終末の足音 2
「手がかりが、見つかった?」
王宮から戻ったシオンからもたらされた情報に、アリアは水差しからグラスに水を注ぐ動きを止めていた。
「あぁ。ジャレッドのおかげでな」
しかもその情報源がジャレッドだと聞けばさらに驚愕してしまう。
先日、なにか心当たりがありそうな素振りを見せていたものの、まさかリオやシオンたちが動いてもなかなか得られずにいた情報を、どうして一介の民間人でしかないジャレッドが掴めると思うだろう。
(……さすが“攻略対象者”……)
普通であれば無理だろうと思うことも、そのキャラクターが特化したことであればできてしまう。民間の手広い情報を持つ起業家であるジャレッドだからこそ持つ能力だ。
だが、一瞬そんなことを考えて、アリアはふとこれは“ゲーム”の世界などではなかったことを思い出して苦笑する。
全ては、ジャレッドの運と実力によるものだ。
「蛇の道は蛇、だそうだ」
国の捜査機関を動かしている自分たちよりも先に、あっさりと目的の人物を見つけ出してしまったジャレッドへ僅かな悔しさを見せつつも、シオンは淡々と口にする。
この世界にも、子供が生まれた時や婚姻の際には届け出をするような住民登録という制度はある。だが、“パソコン”のようなものが存在しているわけではないため、その中から人一人を探すともなれば全て人海戦術の手作業で行われる。
とはいえ、本来であればそこまで時間がかかるようなものでもないはずなのだが……。
リヒトが名乗った「ワーグナー」という家名。偽名であることは充分考えられていたが、実際は母方の姓だったらしい。そのため、「ワーグナー」を調べてもすぐにリヒトに辿り着かなかったのだ。
リヒトが母方の姓を名乗り、王都でふらふらとしている本当の理由はアリアにあるかもしれない。だが、元はといえば父親と母親が家庭内別居状態であったことにも起因しているのではないかと推測された。
正体さえわかってしまえば、リオたちがリヒトの背景を調べ上げることなど造作のないことだ。リヒトの父親がとある男爵家の当主だということまですぐに調べがつき、数年前から家庭内別居状態であった両親がしばらく前に正式に離婚が成立し、それと同時にリヒトが家を出たということまでわかっている。ただ、離婚の事実はまだ母方の実家にまで話がいっていないらしく、その辺りのごたごたもあって「リヒト・ワーグナー」という存在をうやむやなものにしてしまっていたらしかった。
そして、そんなリヒトの母親だが、元は商家の娘だったという。決して大きくはないものの、堅実な商いをしているらしく、その“ワーグナー家”とかなり昔に一度だけ取引をしたことがあり、ジェレッドの記憶の片隅に残っていたということだった。
「さすがジャレッドね……」
ここは、“ゲーム”の中の世界ではなかった。それでも“可能性の一つ”だと言われるくらいには“ゲーム”の“元”になっている。
ジャレッドの記憶力もさることながら、たまたま過去に取引をしていたという偶然も、まるで“運命”の奔流に呑まれていくかのようで。
「潜伏先の確認が取れ次第、捕えるための包囲網を敷くつもりだ」
リヒトの身元がわかったところで、放蕩息子のような振る舞いをしているリヒトの居場所がわかるわけではない。だが、ある程度の行動範囲を絞ることができたと告げたシオンは、リヒトを捕獲するためには慎重にも慎重を重ねてかかるべきだという考えを崩してはいない。
自分が“国”を敵に回したことを――、国から超重要人物としてマークされていることを、リヒトも理解しているだろう。
こちらが気づいたことを察すれば、すぐに雲隠れしてしまうに違いない。
「……それって、やっぱり私は付いていったらダメよね……?」
アリアには、どうしてもリヒトに会わなければならない理由がある。
拘束され、しかるべき施設に収容されたリヒトと面会することが許されるとはとても思えない。ならば、リヒトと対面するチャンスは恐らく一度だけ。
「……お前はなにを言っている」
おずおずとしたアリアの問いかけに、シオンからは苛立ったような呆れたような驚きの声が上がる。
「お前を狙っている危険人物にみすみす近づけさせるわけがないだろう」
アリアに向けられるシオンの瞳は、怒りさえ感じるほど鋭いもの。
「自分がどんな目に遭わされたのか……、遭わされそうになったのか、覚えていないじゃないだろう」
シオンの怒りはリヒトに対する殺意もあるが、あんな目に遭ってさえリヒトに近づこうとするアリアにも向けられている。
「それは、もちろん……」
忘れるわけがない。
今だって、あの時のことを思い出せば身が凍る思いがする。
もしあのまま助けが来なかったなら……。そんなことは考えたくもない。
シオンのおかげでかなり恐怖は和らいでいるものの、いざリヒトを前にしたら自分がどうなるかはわからない。
「……でも……」
アリアには、リヒトに接触しなければならない理由がある。
「なんだ」
とても口にできない理由に、言い淀むように瞳を揺らめかせたアリアへと、シオンの苛立たしげな目が向けられた。
「……シオンがいて、リオ様たちもいて……。この状況でリヒトになにができるわけでもないと思うのだけれど」
そもそもリヒトは魔法が使えない。魔法に頼り切った世界で魔法の無力化は確かにある意味脅威だが、数と力でかかれば取り押さえられないということはないだろう。
魔法があれば一対百でも勝利できるだろうが、さすがに生身同士でそれは不可能だ。
それでも。
「オレはヤツを甘く見るつもりはない」
おずおずと告げたアリアに、シオンの厳しい声が響く。
「あぁいう人間はなにをしでかすかわからないからな」
「……それは……、そう、だけど……」
狂気に駆られた人間の思考回路は理解不能だ。それにはアリアも同意する。
こうなれば、やはりシオンには内緒で動くしかないのだろうか。
だが。
「……なにを考えている」
「……え?」
嫌そうに顔を顰めたシオンの問いかけに、アリアは内心ぎくりと目を向ける。
「こういう時のお前がろくなことを考えていないことはわかっている」
「そんなこと……」
これまでの経験上、アリアの考えていることなどすっかりお見通しということか。
「どうしてヤツに会う必要がある」
怒りさえ感じるシオンからの詰問に、アリアは思わずたじろぎながらもなんとか誤魔化せないだろうかとシオンの考えを否定する。
「……そういう……、わけじゃ……」
「話せ」
とはいえアリアにシオンを誤魔化せるわけがない。
真っ直ぐな瞳に射抜かれて、アリアはただ口を閉ざすことしかできなくなってしまう。
「きちんと話す気があるなら連れて行ってやってもいい」
そんなアリアに、苛立ちを隠せないながらも諦めたように落とされた妥協案。
「……シオン……」
「勝手に動かれたら堪らないからな」
もう痛いほど学んだと独白したシオンは、厳しい口調で口を開く。
「その代わり、オレの傍から絶対に離れるな」
元より離すつもりはないと告げながら、シオンはアリアへ確約を求めてくる。
「……うん。わかってる……」
全てをシオンに話すわけにはいかない。
それでももう一度リヒトと対面するためには、ある程度のことは話さなければならないだろう。
アリアは覚悟を決め、シオンの胸元に顔を寄せるとそっと緊張の吐息を零していた。