終末の足音
あの後ほどなくしてシオンが迎えにやってきて、アリアは後ろ髪を引かれる気持ちで家に帰ってきた。
レイモンドと二人で話した時間はそう長くなかったが、それでも有意義な一時だったような気がする。
ずっと気にかかっていた、人間界と妖精界が断絶した理由。
レイモンドが危惧していたように、扉を閉ざさなければ、双方の世界は滅びの道に向かっていたかもしれない。
それは、妖精たちの間で発症した病のせいではなく、その前にレイモンドが語った人間たちの行いのせいで。
今や使うことの叶わなくなってしまった過去の遺産は、国中の至る所に保管されている。
神剣が眠っていた地下遺跡もその一つ。あの地下遺跡は今だ機能している奇跡的な遺物だが、今の人間の魔法力ではとても作ることは叶わない。
今とは違い、国同士が激しい争いを繰り広げていた時代。もし、その技術が戦争に使われたなら……、と考えるとぞっとしてしまう。恐らくは、一国を一瞬にして滅ぼしてしまう以上の威力はあるに違いない。
妖精界は、人間界へ魔力を貸すことを拒めない。ならば、どうすればいいか。
渡す魔力を制限するためには、互いの行き来を抑制することが最善の手段。
そんな葛藤を抱えている時に、まるで天の配剤のように流行した妖精たちの病。
人間にも伝染しかねない危惧が生まれたことは、例え一時的とはいえ互いの世界から距離を置くこれ以上ない理由になっただろう。
――レイモンドとマグノリアの別離、という結末を除いては。
マグノリアは、再び扉が開かれる時を信じて人間界に残ったのだ。例え年老いてしまったとしても、またいつか恋人に会える日を夢見て。
妖精界と人間界とでは、流れる時間の早さが違う。そんなことは百も承知で。もう二度と会えないかもしれない覚悟とともに。
いつかリオがアリアに教えてくれた精霊王と人間の姫君との切ない恋物語は、きっとマグノリアが後世へ妖精界の存在を伝えるために語り継いだ御伽噺なのではないだろうか。
時と共にお伽話の中の存在となってしまった妖精界。
異質なアルカナの存在は、そういった意味においては、確かに二つの世界を再び結ぶための最大の役割を果たしたと言えるのかもしれない。こちらもまた、ギルバートの犠牲の上に成り立っていることを決して忘れてはならないけれど。
(もしかしたら、アルカナは……)
ふと、アリアの頭の中に一つの仮説が浮かぶ。
純真無垢な存在である妖精たちの中で突然生まれた悪意の存在。それはもしかしたら、人間界の負の魔力が妖精界にもたらした影響なのではないだろうか、と。
真実はわからない。ただ、なんとなくそんなことを思った。
――神は、この世界を創っただけの存在。ただの傍観者にしかすぎないという。
無慈悲で無情で無関心だと語っていた天上の声の言葉を思い出し、アリアはこれ以上考えても意味のないことだと小さく頭を振る。
妖精界が天界と繋がったのは、全ての指輪が力を取り戻し、それぞれの神殿に納められてしばらくたった頃のことだったとレイモンドは言っていた。光の聖域の上空から突然光が差し、“声”が聞こえたのだと。
それもまた、遥か彼方の昔の姿に戻ったということなのだろうか。
考えて答えが出るものではない。
そして、答えが出たからといってなにが変わるでもない。
今、アリアが直面しなければならない問題は別にあるのだ。そちらに思考を集中しなければ。
ここは、シオンとアリアの部屋。
「…………」
紙の上へさらさらと走らせていたペンを置き、アリアは“日記”を閉じた。“日記”といっても、毎日書いているわけではなく、主に“ゲーム”に関係することだけを綴ったアリアの秘密帳だ。
今回は“ゲーム”とは関係ないのだが、誰にも言えないアリアの想いが書き綴ってある。……どこにも吐き出せない気持ちを。
(……リヒトを見つけたら……)
ふるり、と身体が震えた。
それは、リヒトから与えられた恐怖を身体が思い出したからか、それとも。
(……きっと、すぐに見つかるわよね)
早く、見つかればいい。
と、同時に、その日が一日でも先に伸びればいいとも思ってしまう。
――世界の危機ぎりぎりまで。
ただ、問題は、例えリヒトが見つかったとしても、リオやシオンたちがアリアに会わせるつもりがないということだ。そこは一番の課題だろう。
(もし、接触できたら……)
なんとか接触できたとして、チャンスは間違いなく一度だけ。
その時は、一瞬の躊躇も許されない。
(……魔王、に…………)
“魔王”の名にとても相応しくない、綺麗な姿形をした青年のことを思い出す。
――『我が名を呼ぶがいい』
――『お前が望むならいつでも連れていってやろう』
あの時のあの言葉は、近く訪れるであろう未来を見越してのことだったのか。
そして、あの時『連れて行く』と言った行き先は、魔王の元ではなく、想像もしていなかった場所――……。
(みんなに……、会っておきたい、な……)
ふと、そんな思いが胸に湧いた。
リヒトがいつ見つかり、いつ接触できるかなど全くわからない。
だからきっと、訪れるのは突然の別れだろう。
ならばいつ“その時”が来てもいいように、後悔のない毎日を送りたい。
だから。
「……アリア?」
湯浴みを終えたシオンが上半身裸の状態で現れて、アリアは引き出しに日記をしまうと振り返る。
「シオン……」
どうした? と訝し気な目になるシオンの身体は、ここ最近随分と引き締まったように感じた。
それはきっと、シオンがここ最近、剣術をはじめとした武術に精を出しているからに違いない。
――リヒトに魔法は通じない。
魔法が無効化されてしまうとなれば、残された手段は物理的な直接攻撃のみ。
そのためにもシオンは、時間を見つけては鍛錬をしているようで、それはなにもシオンだけに限られたことではないようだった。
「……うん。みんなに、会いたいな、って」
シオンや、他の人たちの優しさを感じながら、アリアは小さく微笑んだ。
「……ここに呼べばいい」
一瞬の逡巡があった後にそう提案してきたシオンはなにを考えているのだろうか。
「うん……。ありがとう」
そうする。と頷いて、アリアはシオンの傍まで歩いていくと頭一つ分以上高い位置にあるその顔を見上げた。
「シオン?」
なんだ? と、目だけで尋ねてくるシオンへそっと身を寄せる。
「……愛してる」
夜が更けていくだけの時間帯。
そっと想いを告げたアリアを、シオンは胸の中へ閉じ込める。
「……離さない」
離さないで。と願う気持ちは言葉にならないまま重なった唇の奥へ消えていき、心の中に溶けていった。
*****
家に閉じ籠もることを余儀なくされてしまったアリアだが、そこはさすがに気の毒だと思ってくれたらしい。
みんなに会いたいと言うアリアの願いをシオンは聞き入れてくれて、結果、ウェントゥス家の一角ではほぼ毎日のようにお茶会らしきものが開かれることとなっていた。
学園時代の女友達はもちろんのこと、シャノンたちも家に招き、シオン同行の元、実家に戻ることもある。
お茶会を名目にお菓子作りに励んでいるうちに、料理の腕が上がった気がするのは気のせいではないはずだ。
お菓子を作り、お茶会を開き、時折実家にも足は運び……、というのは、一見遊んで暮らしているようにも思えてしまうことがここ最近の悩みの種となっている。
そして今日。ウェントゥス家に入り浸っているユーリがここにいることは今さらで、シャノンがギルバートとアラスター、そしてジャレッドを連れて顔を出しにきてくれていた。
「オレはそいつのことを直接見たわけじゃねぇからなぁ〜。特徴だけ聞いてもわからねぇな」
ギルバートとアラスターからリヒトの話を聞いたジャレッドは、コーヒーカップを机の上に置くと大きく肩を落として空を仰ぐ。
ここ最近は仕事に忙殺されているというジャレッドは、元より公爵家に足を運ぶなど恐れ多くて気が引ける、と、特別な時を除いてウェントゥス家に来てくれることはない。が、アリアの方から会いに行くことが難しい現状を知り、なんとか時間を作って顔を見せてくれたのだった。
「……それはそうよね」
情報源は多ければ多い方がいい。それくらいのつもりでいたアリアも、想定通りのジャレッドの返答に苦笑いを返すことしかできない。
「……きっと、リオ様たちが見つけてくれるよ」
「……そうね」
力強いユーリの瞳に、小さな笑みを零して同意する。
と、その時。
「“リヒト・ワーグナー”?」
ん? と、ふとなにかを思い出したかのような反応をしたジャレッドが、記憶を手繰り寄せるかのように眉間に皺を寄せて呟いた。
「待てよ……? “ワーグナー”……?」
「なにか知ってるの!?」
その反応に、つい前のめりになって大きな声を上げてしまう。
「知ってるのか!?」
「……いや……、知ってる、っつーか……」
アリアだけではなく、ギルバートたちからも向けられる追及の視線に、ジャレッドは若干引き攣った表情で身を引いた。
それでも。
「ちょっと、確認させてくれ」
早急に調べると告げたジャレッドの瞳は真剣そのもので、アリアたちはただ頷いて、その後のお茶の時間を楽しんだのだけれども――……。
――その結果、“運命”は動き出すのだった。