天の声の元へもう一度 4
(! マグノリア、様……?)
小指のつけ根が熱を持ち、鈴の音のような涼やかな声が脳内に響いた気がして、アリアは恐る恐る声をかける。
(…………)
それから、しばし落ちる沈黙。
やはり今の声は自分の願望が生み出した空耳だったのだろうかと、僅かな希望が打ち砕かれかけた時。
(……お辛い……、のですね……?)
(っ、マグノリア様……っ)
全てわかっているかのように届いた静かな声に、アリアは泣きそうに唇を震わせる。
(私……っ)
どうしたらいいのかわからない。
――否。正しくは、自分が選ぶべき道など一つしかないことなどもうわかっている。
ただ、頭では理解していても、心が、感情がついていかなくて。
(……マグノリア様は……っ)
愛する人との決別をつきつけられて。
別の道を歩む覚悟を決めて。
その時、どんな思いで、なにを思って。
(……あの人が大切にする……、みんなの生きる世界を守りたかったから)
(っ)
思わず息を詰めたアリアに、ふわ……っ、と、指環にあたたかな光が灯る。
と同時に、マグノリアが、困ったような、慈母のような、そんな微笑みでアリアを包み込もうとしているような感覚がした。
(離れることは本当の苦ではないわ。真の苦しみは、共にいることを選んだ末に、それを後悔してしまうことだもの)
(――!)
とても柔らかなその言の葉にハッとなる。
なにかを犠牲にして共に在ることを選んだ結果、その罪に囚われ、共にいることが苦しくなる。
だから後悔はないと微笑むマグノリアに、アリアの瞳は揺らめいた。
(……マグノリア様……)
声だけでもわかる。凛とした佇まいと、高潔な空気感。
(……私、も……)
マグノリアのようになれるだろうか。
そんな不安を抱えるアリアに、ふわり、とした空気が舞う。
(だからといって、貴女まで同じ選択肢を取る必要はないわ)
自分たちが出した“正しい答え”が、アリアたちにとっても正解だとは限らないと柔らかく告げながら、それでもどこか困ったような苦笑も届く。
(でも)
落ちる、神妙な間。
(……貴女も、この世界を見捨てることはできないわね)
(……っ)
アリアが元の世界に戻ろうが戻るまいが、アリアは消えてしまう。それが、一人で消えるか世界と共に消えるかの違いだけ。
ならば、選べる答えなど最初から一つしか存在していないだろう。
(貴女の本当の憂いは、自分が消えてしまうことじゃない)
(っ)
切なげに微笑まれ、思わず泣きそうになってくる。
アリアが、一番恐れていること。
(愛する人を残してしまうことでしょう……?)
(……っ!)
どちらを選んでも消えてしまうのだ。ならば、自分一人が消える未来を選んだ方がいい。
そんなことは、考えるまでもなくわかっている。
ただ、世界が存続した場合、残された人たちのことを考えると胸が張り裂けそうな痛みに襲われるのだ。
もし、自分だったら。
せめて、自分だけでも一緒に連れていってほしいと願うだろう。
シオンであれば、世界と共に滅びることも厭わないかもしれない。
けれど、この世界にはユーリがいるのだ。
例えこの世界が“ゲーム”の世界ではなかったとしても、やはりユーリは“主人公”なのだと思う。
ユーリがいれば、きっと、大丈夫だと思えるから。
――一緒には、いけない……。
(マグノリア様、も……)
同じ想いをしたのだろうか。
人間界と妖精界では、流れる時間が違う。そして、人間と精霊王とでは寿命も違うのだ。
人間であるマグノリアは、精霊王であるレイモンドよりも、遥かに早く寿命が尽きてしまうことは最初からわかっていたはずだ。
だから、新たな指環を求め、その結果――……。
(……そうね。私も、自分の運命を呪わなかったといえば嘘になるわ)
困ったように微笑い、マグノリアは「でも」と先を続ける。
(あの人とは、今もこうして繋がり合っていると信じられるから……)
マグノリアのその想いに呼応するかのように、アリアの小指では小さな光が舞った。
空の指環は、レイモンドとマグノリアが確かに愛し合っていたことの証。今も、この指環の中には、マグノリアの意志と想いが宿っている。
(あの人が精霊王として自分の役目を終えて、胸を張ってこちらの世界に来た時。笑顔で迎えに行こうと思っているの)
レイモンドが精霊王としての命を全うした時。レイモンドの魂は天上へ――、マグノリアの待つ世界に行くのだろう。
だから、それまでは。
(あの人は、私の誇りよ。そして、私もそんなあの人に誇れる人間でいたかったから)
天上からレイモンドを見守っているのだと、マグノリアは胸を張る。
(後悔はしていないわ)
凛と告げるマグノリアを、なんて美しい人だろうと思った。
直接会ったことはないけれど、その声色だけでも清廉な人となりがわかる気がした。
――それは、レイモンドの隣に立つに相応しい……。
(でも、私と貴女とでは違うから)
慈愛に満ちた言の葉に、アリアは思わず動揺する。
(貴女は、貴女だけの、悔いることのない答えを出して)
ただ少しだけ境遇の似た他人が出した答えが、そのままアリアの正しい答えになるかと言われれば、それはきっと違うだろう。
だから、アリアだけの答えを。
(大切な人たちに、誇れるような)
もう、残された時間は多くはない。
その時は――、二つの世界が衝突するまでの時間は、刻一刻と迫っている。
最初は緩やかだった互いに引き合う力は、段々と加速度を増していって。
もう、ほとんど猶予はないと、生命の神は告げていた。
(私にできることはなにもないけれど)
ふわり、と。あたたかな空気がアリアの身体を満たす。
マグノリアに救いを求めても、助けてもらいたかったわけではない。
ただ、話をしてみたかっただけ。
(祈っているわ)
後悔のない選択肢を、と微笑むマグノリアは、どこまでも綺麗で美しい。
(……はい……)
タイムリミットが迫る中で、自分は後悔しないためにどうすればいいのだろう。
ツキリと胸に走る痛みに、アリアはきゅ、と唇を引き結んでいた。
顔を上げたアリアの瞳に、眉を顰めたレイモンドの顔がぼんやりと映り込んでいた。
「……なにを聞かされた」
「え……?」
基本的に不干渉な立場を貫くレイモンドらしからぬ問いかけに、アリアは不思議そうに瞳を瞬かせる。
と、眦から涙が伝い落ち、アリアはいつの間にか自分が泣いていたことを初めて理解した。
「す、すみません……」
慌てて涙を拭うアリアにも、レイモンドが特段慰めのような言葉をかける気配はない。
けれど。
「……マグノリア様、と……」
「っ!?」
マグノリアの名前を出した途端、あからさまに顔に浮かんだ動揺の色に、アリアはすぐに首を振る。
「い、いえ……っ、お会いしたとかではなくて……っ。指環が……っ、マグノリア様の意思を継いでいるから……っ」
頭の整理ができないまま説明したせいで、支離滅裂な内容になってしまう。
マグノリアに会ったわけでも、直接話したわけでもない。
ただ、指環を通し、そこに遺るマグノリアの意思と交流を図ることができた。言うならばそういうことだろう。
「……そうか」
そして、そんなしどろもどろで理解し難いアリアの言葉に、レイモンドは特になにかを追求してくるでもなく、アリアの小指で輝く空の指環へ、郷愁の色が浮かんだ目を向ける。
「その指環は、マグノリアの想いそのものだからな」
マグノリアの願いが込められた指環。
それは、マグノリアの意志が形となったものだと言っても過言ではないだろう。
そんなふうに、それほどまでに大切なものを。こうしてアリアへ貸してくれたことに、僅かな動揺と共にじんわりとしたものが湧き上がる。
――レイモンドは、それほどまでにアリアのことを信用してくれている。
だから。
「約束の時間まではまだ少し時間があるな」
扉を通して共に人間界までやってきたレイモンドは、虚空を見上げて静かにそんなことを呟いた。
それから、アリアの方へと振り向いて、いつもと変わりない平淡な表情と声色で口を開く。
「昔話を聞かせてやろう」
大変申し訳ありませんが、しばらく更新を停止させて頂きます。
再開は二月中を予定しております。