天の声の元へもう一度 3
前回と同じように、光の下で手を組んだ。
(来たのか)
(はい)
まるでアリアが再びここへ足を運ぶことを予測していたかのような反応に、こくりと心の中で頷いた。
(私は、具体的になにをすればいいんですか?)
そうして単刀直入に、一番の疑問を投げかける。
このままでは二つの世界が消滅することも、それを回避する手立てがあることも理解した。だが、肝心なその方法は漠然としすぎていてわからない。
――アリアとリヒトが元の世界に戻ること……。
どうすればそのようなことができるのか。
(難しいことはなにもない)
だが、思わず身構えるアリアに、無感情の天の声が落ちてくる。
(もう一人の異分子に接触し、ただ祈ればいい)
(……“祈る”……)
必要とされることがそれだけだというならば、確かに難しいことはなにもない。むしろ、祈りを捧げる行為そのものよりも、リヒトを掴まえることの方が遥かに厳しい状況だ。
(鍵は、魔王だ)
(っ魔王……!?)
そこでもう一つ、思いもよらない名を出され、アリアは驚愕に目を見張る。
(そうだ。そなたは魔王の名を知っているだろう)
(な、まえ……)
それがどう今の話に繋がってくるのだろうと困惑しかけ、思い出す。
――『我が名を呼ぶがいい』
あの時――、封印を受け入れた魔王は、アリアに確かにそう言った。
――『お前が望むならいつでも連れていってやろう』
行き先は魔王の元かと思っていたが、まさかその言葉はこういう意味だったのか。
思えば、魔王もアリアを異分子と言い、排除しようとしていた。
それはまさか、生きとし生けるものの敵であるはずの魔王が、世界を消滅させまいとしていたからなのか。
(魔王もまた、神に翻弄される存在だ)
自分と同じように世界の真理の一部を知る存在だと、そう声は説明した。
行方のわからないリヒトを探し出し、接触し、魔王へと手助けを乞う。
そうしてアリアとリヒトが元の世界に戻るために生まれたエネルギーが、二つの世界の間のクッション材となり、消滅に繋がる衝突を回避することができる――……。
アリアにその原理がわかるはずもないが、例えだとするならば理解はできる。けれど、消滅を免れたその後は。
(……そうしたら……、私はどうなりますか?)
アリアは、死んでしまうわけでも消えてしまうわけでもない。ただ、中身が――、記憶が元の世界に戻り、アリアは本来在るべき姿に戻るだけ。
もう一つの記憶を持たない少女こそ、“アリア・フルール”の真の姿。それは、わかっている。わかってはいるけれど、それはもう、アリアであってアリアでない人間だ。
(そなたの記憶が元の持ち主へ戻らなければ、元々の人間の意識が戻らないことになる)
(!?)
アリアがどうなるというよりも、アリアがアリアでいたままの時に辿る彼女の運命を告げられて、アリアの胸へは大きな衝撃が走る。
(そなたの意識がこちらに留まり続けるということはそういうことだ)
彼女の記憶と意識は、世界の消滅と共に過去のアリアに移植された。消滅してしまった人間に意識は必要ないが、もしそのまま世界が存続することになったなら、彼女の意識はその時点から抜けてしまうことになる。
今のアリアにある記憶は、今、あちらの世界で生きているであろう彼女のものではなく、消滅してしまった一代前の彼女のもの。それでも互いの存在は今も強く影響し合っているのだと説明され、もはやわかるようで意味がわからない。
ただ、間違いなく言えることは。
(そなたには、元の世界でも大切な家族がいただろう)
彼女は、三人の子供を持つ母親だった。
そんな彼女がある日突然植物人間状態になったとしたら、子供たちはどれほど辛く悲しい思いをするだろう。
(そなたから記憶は離れるかもしれないが、全て元の姿に戻るだけだ)
そう……、世界は元の姿に戻るだけ。
元の姿に戻り、もう消滅の危機を迎えることもない。
異分子の存在も未来の不安もなくなった、全てが丸く収まった綺麗な結末。
アリアは元々、この世界に在ってはならない異質な存在だったのだから。
(他になにかあるか?)
愕然としたアリアに向けられる、無情な問いかけ。
もう、なにも考えられなかった。
アリアは死んでしまうわけではない。
だから、悲しむことなどなにもないはずだと。そんなふうに思えるはずがない。
アリアがアリアでなくなったなら、シオンは……、みんなはどう思うのだろう。
それさえも元の姿に戻るだけだと……、世界にとっては問題にもならないほどのことなのだろう。
(……マグノリア様に……、マグノリア様とお話ができたりしますか?)
なにも考えられなくなったアリアが咄嗟に縋ったのは、かつて同じような決断を迫られたかもしれないマグノリアの存在だった。
(そなたの言う“マグノリア”とは、死んだ者のことだろう)
(そうです)
どうやらわざわざ説明せずともわかってくれたらしい天の声に、アリアは神妙に肯定した。
天界は、死んだ者の魂が行くところ――“天国”のようなものだとレイモンドは言っていた。生者は決して行くことが叶わない場所なのだと。
つまり、アリアの望みに対する応えは。
(死者と生者が交わることはできない)
わかりきっていたことをはっきりと告げられて、アリアは細い息を吐く。
(……そう……、ですよね……)
(だが)
抑揚のない天の声は、そこで一つの可能性を進言した。
(そなたは指環を手にしているな)
(指環……?)
それは、レイモンドから借り受けた“空の指環”のことだろう。
左手の小指につけたそれに触れ、アリアはこれがどうしたのだろうと困惑する。
(ここは世界の境界が曖昧な場だ。元より存在が異質なそなたであれば、語るだけのことならば叶うやもしれん)
(!)
それは、つまり。
生者と死者の境界が曖昧なこの特殊な空間であれば、マグノリア本人に会うことは叶わなくとも、シャノンのようにマグノリアの意識に触れることができるということだろうか。
(……っ、マグノリア様……っ)
藁にもすがる思いで、アリアは思わず心の中で声を上げる。
可能性はあくまでも可能性で、応えが返ることはないかもしれない。
それでも、どうかこの声が届いてほしいと、祈るようにその名を呼ぶ。
(マグノリア様……っ)
マグノリアの、話が聞いてみたい。
マグノリアと、話がしてみたい。
自分の話を聞いてほしい。
今のこの状況を一人で抱えられるほどアリアは強くはない。
……と。
(……はい。アリア様)