天の声の元へもう一度 2
「……今日はなんの用だ?」
急な訪問にも関わらず、一人で現れたアリアを出迎えたのはレイモンドだった。
「……もう一度、生命の神にお会いできないかと思いまして」
これは、完全にアリアの我が儘だ。
レイモンドの反応を窺うようにそう口にしたアリアに、けれどレイモンドはまるでアリアの行動がわかっていたかのように表情一つ変えることはなかった。
「連れて行くことは構わないが、話すことができるかどうかはわからないが」
「構いません」
淡々と話しながらも「来い」というような目を向けられて、アリアはレイモンドの傍に寄る。
と。
「コレをしていろ」
単調な声色を変えることなく手渡されたものは。
「……コレ……」
掌の上へコロン……、と転がったそれに、アリアは大きく目を見張る。
人間界の時間にして、今は朝。夕方までには――、本当にすぐに帰るつもりでいたアリアは、わざわざ指環を借りるつもりもなかった。
それでもレイモンドは。
「いちいちラナから水の指環を借りてくる必要もないからな」
アリアの手の中で空色の輝きを放っているのは、レイモンドが保管している“空の指環”。
「ありがとうございます……」
恋人だったマグノリアとの思い出が深いそれをこうして貸し出しくれることに、アリアの胸へはじんわりとしたものが広がっていく。
ほんの短い滞在であれば、身体に及ぼす影響は殆どない。それでもレイモンドは、アリアにそれを預けてくれた。レイモンドにとって、空の指環はなによりも大切なものだろうに。
(マグノリア様……)
きゅ、とそれを小指に嵌めたアリアは、美しく輝く空色を見つめてゆらりと瞳を揺らめかせる。
マグノリアと話をしてみたい、と思った。
レイモンドと……、愛し合う恋人と別々に生きることを決断した、強く美しい少女と。
それから。
(レイモンド様、は……)
愛する女性と別の世界で生きることを決めた時、レイモンドはどう思ったのだろうか。
「なんだ」
「い、いえ……」
自分に向けられる不躾な視線に気づいたのか、眉を顰めて声をかけてきたレイモンドに、アリアはふるふると首を振る。
そんな深い質問を、簡単に口にしていいとは思えない。だが。
「なにか聞きたいことがあるのならはっきりしろ」
潔いほど先を促され、アリアは迷いつつも口を開いていた。
「……立ち入ったことを聞いて、不快な思いをさせてしまうかもしれないんですけど」
その言葉に、レイモンドの眉間にはますます皺が刻まれるが、今さら撤回することも難しい。
「……マグノリア様と別々に生きることを決めた時……」
辛くはなかったですか? と聞きかけて、そこでアリアは一度言葉を呑み込んだ。
そんな質問は愚問でしかない。心から愛し合う二人が別離を選び、辛くないはずがない。
ならば、アリアが本当に知りたいことは。
「どうやってそれを乗り越えたんですか……?」
その苦しみや哀しみをどう昇華したのだろうと、今一番求めている答えを疑問にして投げかける。
「……二つの世界を滅ぼすわけにはいかなかったからな」
淡々としたレイモンドからは、なんの感情も読み取れない。
一見それが、時間が風化させたものなのか、表に現さないようにしているためなのかもわからないほど。……けれど、多分後者なのだろうとは思う。
「……“滅ぼす”……?」
そこで、やっとその言葉を理解して、耳にした不穏な単語に、ドクリ……ッ、と嫌な鼓動が鳴る。
レイモンドとマグノリアが同じ刻を歩むことができなかった理由は、なにもネロが指環に力を与えることができなかったためだけではないことには気づいていた。とするならば、二人を引き離すことになった大きな要因は。
「一個人の気持ちを優先させることはできなかった」
「!」
紛うことなき正論をぶつけられ、反射的に息を呑む。
「私は精霊王として。彼女は王族として。人々の命の重さをよく理解しているつもりだった」
他の精霊王たちを纏め上げ、妖精界の頂点に立つレイモンドは、己の責任をよくわかっている。そしてそれは、恋人だったマグノリアも同じ。
個人の気持ちと多くの命。もし天秤にかけられた時にはその答えなど明白だ。
「犠牲になったつもりはない。そうすべきだと思ったから別の道を選んだ」
それはきっと、“正しい”選択肢なのだろう。
「……以前にも、そんな危機があったんですか……?」
ドクドクと心臓が脈打って、アリアの瞳は動揺に揺らめいた。
今、レイモンドは、滅びを回避するために別離の道を選んだと説明しなかっただろうか。
そんな危機が、大昔にも。
そしてレイモンドとマグノリアの二人の運命は、自分のものにも重なって。
「アルカナほどのものではない。ただの危険回避だったといえばそうなるだろう」
「……」
一体なにが、と揺らめく瞳を向けるアリアに、レイモンドはどこまでも冷静だった。
「聞きたいのなら話してやろう。だが、今は」
そこでレイモンドは足を止め、光が降り注ぐ天上を見上げる。
清廉なその光は、アリアを迎え入れるという意思を示すもの。
「どうやらお前の望みは叶いそうだ」