天の声の元へもう一度 1
ウェントゥス公爵家次期当主として、今は父親の補佐についているシオンは、不定期に王宮にも足を運んでいる。
そんなシオンが明日は一日王宮勤めであることを知ったアリアは、就寝前のベッドの上でそっと伺いを立てていた。
「ねぇ、シオン。明日、一緒に王宮に行ってもいいかしら?」
いつものようにアリアの長い髪を撫でていたシオンは、見上げられる大きな瞳を前に神妙な顔になる。
「……妖精界か」
すぐに意味を悟ったらしいシオンの確認に、アリアはその腕の中で可愛らしく小首を傾げて見せる。
「……だめ?」
シオンがいい顔をしないだろうことは初めからわかっていた。元々過保護だったシオンは、あの一件以来、自分と共にいる時を除いて、アリアを一歩も外に出したがらない雰囲気を醸し出している。
せめて、リヒトの身柄を確保するまでは。それまでは、とても安心してアリアに独り歩きをさせられないと思っていることはわかっている。
それは全てアリアの自業自得で、仕方のないことだ。
だからこそ、アリアはシオンが望むままに大人しく過ごしている。
アリアとて、もう一度リヒトと二人で対峙する勇気はない。
「扉まで送ってもらって、帰りも一緒に帰るから」
「……」
ね? と下から見上げるアリアにシオンは沈黙する。
さすがのリヒトも妖精界までアリアを追いかけてくることはできないだろうから、そういった意味ではアリアの身に万が一が起こることはない。
それでもシオンからの同意がすぐに得られないのは、きっと他の不安要素があるからだろう。
「……妖精界よ? 他にはどこにも行かないわ。心配するようなことはないでしょう?」
本心だけは見抜かれないよう細心の注意を払いながら、アリアは賢明に訴える。
アリアが一人で行ったとしても、妖精界に危険はない。妖精界と人間界の時間の流れが違うことを考慮すれば、シオンの送り迎えの時間はむしろちょうどいいくらいだ。
「……妖精界になんの用事がある」
簡単には了承しねるとばかりに顰められるシオンの表情に、アリアは困ったように眉を下げる。
「……もう少し詳しい話が聞けたらと思って。この前はいろいろと驚きすぎて、きちんと話を聞けなかったから……。もちろんもう話を聞けない可能性もあるけれど」
この世界には表裏一体となるもう一つの世界――、つまりは、アリアの記憶にある世界――、がある、ということは、リオに呼び出されたあの場でみんなに話してある。
だからといって、そんな世界の構造を聞いたところで、結局のところだからなんだという話なのだ。
アリアが、本当に知りたいと思っている“真実”。それは、決して口にはできないことだけれど。
だから。
「……少しでも、リヒトを捕まえる情報が得られれば、って」
決して嘘ではない言い訳を隠れ蓑にして、アリアはシオンへ懇願の瞳を向ける。
リオはなんとかするようなことを言っていたけれど、現状、リヒトのことはなにもわかっていない状態だ。
あちらの世界のリヒトのことを知ったとしても、こちらでリヒトの尻尾を捕まえるヒントが得られるとは正直思わない。
ただ、アリアにとっては、もう一度妖精界に話を聞きに行くための理由が必要だった。
「お前はその件からは外したはずだ」
リヒトを捕まえるための作戦から、アリアはもう完全に除外されている。だから余計なことはするなと告げてくるシオンに、アリアは素直に頷き返す。
「わかっているわ。なにもしない。ただ、情報をもらうだけよ」
リヒトは、魔法を無効化する能力を持っている。
しかも、完全なる“ゲームへの転生者”であるリヒトには、きっと、俗に言う“チート能力”が本当に備わっているのだ。
リヒトがシオンたちに向かって言っていたという“無敵説”。それはきっと、“魔法がない”という条件下においては本当のことに違いない。
リヒトの周りの一定の範囲内では魔法が使えないという現実。この状況でリヒトを捕まえることは極めて困難だと言えるだろう。
この世界の人間は、己の魔力が強ければ強いほど、それだけ魔法に頼った生活をしている。その力が失われた時、本当にその字の如く無力になる。
「ね?」
渋るシオンの顔を覗き込み、アリアは瞳を揺らめかせる。
リヒトは一時期世間を震撼させた凶悪犯だ。それは、少し落ち着きを見せた今となっても変わらない。
そんなリヒトを、心優しいリオが皇太子として一刻も早く捕まえたいと思っていることは当然だ。
リオのためにも、シオンの安心のためにも。そして、なによりも狙われているアリアを守るためにも。一刻も早くリヒトを捕まえることが望ましい。
「だめ……?」
「……わかった」
おずおずと口にしたアリアの問いかけに、シオンは不承不承といった様子で深い吐息を吐き出した。
「ただし、闇の精霊王にだけは会うな」
「!」
ここでのシオンの心配事はそちららしい。
それには目を丸くしつつも、アリアは嬉しそうな笑みを零す。
「っ、ありがとう……!」
シオンも、なにか薄々感じているものはあるに違いない。
どことなく探るような目を向けてくるシオンの視線には気づかないふりをして、アリアはシオンの胸元へと顔を寄せていた。