文化祭 ~人魚の恋~
(……どうしてこんなことに……?)
目の前で繰り広げられる光景を眺めながら、アリアは乾いた微笑を浮かべる。
明日は、学園へと入学してすぐに開催される文化祭だった。
例の、ユーリが女装させられることになった演劇部の衣装合わせも、この日に上映される舞台のためだった。
準備に追われる学園内は浮き足立ち、アリアもまた明日を楽しみに当日の予定を考えていたのだが。
学園内への立ち入りが緩む中、遊びに来た……、というよりも、正確にはシオンに会いに来たリリアンに、ユーリがキレた。
と、いうのも……。
「シオンから離れろっ」
明日のための飾り付けなどが進む中庭。
シオンの腕へとしっかりと絡み付いて離れないリリアンへと、ユーリの眉根が吊り上がる。
「どうして貴方にそんなこと言われなくちゃならないんですかっ」
「オレはシオンとアリアの友達だ!」
「だからって、なんの権利が貴方にあって!」
ベタベタと、馴れ馴れしくシオンに絡むリリアンへとユーリがぷち切れた時には、正直アリアは胸が踊った。それは明らかにリリアンにシオンを盗られたくないという意思表示で、思わずシオンへと「よかったわね」的な笑みを向けてしまったほどだ。
(なのに……)
「シオンはアリアの婚約者だぞ!?」
(……うん……、だからユーリ、それは忘れてくれていいのだけれど……)
「それがどうしたっていうんですかっ」
(ユーリもリリアンくらい婚約者の存在を忘れてくれて構わないのよ?)
それぞれシオンの右と左に陣取って、取り合うように互いの主張を繰り広げる二人の様子に、さすがのシオンも頭を悩ませているような気配がする。
(ぱっと見た感じはとっても嬉しい光景なのに……)
シオンを奪われまいと、互いを牽制し合う二人。
こんな姿は"ゲーム"では一切見られなかった。
本来ならば、リリアンが一方的に敵認識していたはずで、こちらも一方的に想いを寄せてくるシオンに困惑していたユーリのはずなのだ。
それがもはや、"ゲーム"の間柄の影もない。
すでにこの時点で確実にユーリはシオンに好意的な感情を持っているし、リリアンに対してはこちらも本日をもって"敵"だと認識されている。
完全に、犬猿の仲。
「仮にも侯爵令嬢なら弁えろよっ」
「シオン様以外に触れたりしませんからっ!」
右へ左へと引っ張られるシオンの姿に、さすがのアリアも少しだけ同情の気持ちが芽生えてくる。
しっかりとシオンの腕を掴んで離さないユーリの姿に、「萌え」などと素直に喜べない自分がいる。
(……逃げようかしら……)
二人の口論の中に時折アリアの名前が上がっているような気がするものの、そもそも二人の争いに自分は関係ないはずだと、アリアはその場から逃亡しようかと画策する。
けれど。
「……」
じっ、と無言で向けられた切れ長の瞳に、アリアは肩を震わせる。
(えっ……、私がなんとかするの!?)
暗に、こいつらをどうにかしろと命じる視線。
(リリアンはともかく、ユーリに張り付かれているんだからいいじゃない!)
そうでもなければ、さすがのユーリもこうまで積極的にシオンへと絡んではこないだろう。
(……逃げたらダメ……?)
おずおずと視線を返すアリアの心中などお見通しだとでも言いたげに鋭くなる瞳。
(どうしろって言うのよ…っ!)
なんだかいろいろな意味で泣きたくなってくる。
「……お前たち、いい加減にしろ」
「シオンッ!」
「シオン様っ!」
考えてみれば、今までシオンがされるがままでいたことの方が不思議だろう。
自ら二人を強引に引き剥がすと、シオンはアリアの方へと歩いてくる。
向けられる、八つ当たりとも言える視線。
「お前も仮にも婚約者なら自分の立場を主張しろ」
「……え……」
でも、偽装だし……、などという反論は許されそうにない。
偽装するならきちんとソレらしく振る舞えということだろうかと思いながら、アリアは曖昧な笑みを溢す。
「……両手に花で大変ね」
刹那、不機嫌そうにジロリと睨まれ、アリアは口をつぐんでいた。
*****
文化祭は、二日間。国内トップクラスの学園とあって、豪華絢爛に行われる。
アリアの記憶にあるような、クラスごとの出し物などはなく、部活動に参加していないアリアたちは、一般の来客と同じようにただこの二日間の"お祭り"を楽しむだけだった。
「素敵でしたねぇ……!」
当然のように遊びに来ていたリリアンが、まだ夢心地の気分で感動の吐息を洩らす。
例の、ユーリが衣装合わせをした演劇部から是非にと誘われ、足を運んで見た舞台。それがたった今終わったところだった。
「ファンになっちゃいそうですっ」
「そうね」
席を立ち、舞台を見ていた時と同じように仕方なくシオンの隣を歩きながら、アリアは笑顔で同意する。
"演劇部"とは言いながら、中身は"あちらの世界"の宝塚をアリアへと思い起こさせた。
学生とはいえプロ顔負けの、女性のみで作られた舞台。
男性役の生徒がそれは素敵で、数多の女性ファンを魅了しているというのも頷けた。
「これ、オリジナルなんですよね?」
もう一方のシオンの隣にはユーリがいる為、必然的にアリアの隣を歩くことになったリリアンは、「すごいですよねぇ」と感嘆の吐息を洩らす。けれどそれは"この世界"にとってのオリジナル物語であって、言ってしまえばその内容は『人魚姫』そのものだった。
「ラストが切なくて泣いちゃいました」
恋した王子に想い届かず、海の泡となって消えた人魚姫。
シャボン玉のような泡が舞って七色に輝き、王子の幸せを願いながら人魚姫が消えていく演出は、確かに涙を誘うものだった。
「……オレは気に入らない」
と、不満そうな声が届き、アリアはシオンを挟んで反対側を覗き込む。
「なんなんだ、あの人魚姫」
声を奪われたとはいえ、本当の自分の姿を告げるでもなく、ひたすら王子とその婚約者となった姫君の姿をただただ影から見守るだけのその精神が気に入らないと、ユーリは口を尖らせる。
一瞬、もはや犬猿の仲となったリリアンに対する反抗かとも思ったが、その解答はあまりにもユーリらしくて、思わずくすくす笑ってしまう。
「さすがユーリ様。この悲恋の素晴らしさが理解できないんですね」
そんなユーリへ呆れたように口を開くリリアンの反論は、恐らく嫌味のつもりだろう。
「だったらお前が人魚姫の立場だったらどうなんだよ?」
リリアンこそ大人しくしていない最たる例だろうと言い含み、ユーリがじとりとした視線をリリアンに向ける。
「それは……」
ユーリの最も過ぎる指摘に考え込むこと数十秒。
「そうですね!あんなうじうじ影から見守るとかありえません!」
ぐっと拳を握り締め、リリアンが声高らかに同意する。
確かにリリアンの性格からすれば、例え声をなくしたとしても大人しく王子様を見守り続けるなどということはしないだろう。逆効果にさえなりかねないが、積極的にアピールするに違いない。
これは確かに人魚姫にも非はあるのかもしれないと意見を交わす二人の前では、もはや切ない悲恋物語が崩壊してしまっている。
「大体、いくら命を助けられたからって、それはそれだろ?感謝はすべきかもしれないけど、その後ずっと傍にいて介抱してくれた姫を好きになってなにが悪いかわからない」
観客のほとんどが人魚姫へと感情移入し、人魚姫に気づかない王子を責めるけれど、命を助けてくれたこと以外、王子を支えたのは婚約者となった姫君だ。姫君の性格が悪いならばまだしも、姫君はずっと王子の傍で寄り添っていた。
だからこそ、どうしてその姫君の優しさに蓋をしてしまうのかと憤りを露にするユーリへと、アリアは冷たい汗が背中を流れていくのを感じえない。
(ユーリがそれを言っちゃうの!?)
シオンにとっての"人魚姫"は、まさにユーリに他ならない。
命を助けられたわけではないけれど、幼いシオンの窮地を救った、心優しい"姫君"だ。
「シオンだってそう思うだろ?」
(シオンに聞くの!?)
頭一つ分高い位置にあるシオンの顔を覗き込み、ユーリは顔をしかめてみせる。
「……まぁ、確かに、相手が王子でなくても誰でも助けていそうだが」
相手がたまたま王子で恋に落ちたけれど、王子だから助けたわけではない。きっと誰が溺れていても助けただろうし、そうでなければむしろ性格が悪いことになるとでも言いたげな新たな見解に、アリアは再び目を見張る。
(シオンまで……!)
確かにユーリならば、困っている人がいたならば、どんな相手でも全力で助けに向かうのだろうとは思う。
だが、それとこれとは話は別だ。
「だろっ?」
得意気に胸を張るユーリへと、頭が痛くなってくる。
(気づいて!ユーリ!)
泡となって消えるような、そんな悲恋の姫君ではなく、芯の通った強い"人魚姫"であるユーリへと。
「……?」
と、ふいに隣から視線を感じ、アリアはシオンの方へと振り返る。
「……どうしたの?」
どう表現したらいいのか、とにかく複雑な感情が入り交じって見える、アリアを観察するかのような視線。
「……いや……」
すぐに視線は反らされ、その双眸はいつの間にか前を歩き始めたユーリの後ろ姿へと向けられる。
じ……、と。意味深に見つめられるシオンの瞳。
(……こっちは、むしろ王子様の方が人魚姫を忘れられないみたいだけど)
幼い頃に助けた"王子"のことなどすっかり忘れている"人魚姫"と、その時のことをずっと忘れられずにいた王子様。
尤も、シオンには傍で介抱してくれた姫君など存在しないから、それは当たり前のことなのかもしれないけれど。
(シオン、頑張って!)
"ゲーム"開始以来、何度心の中でエールを送ったかわからない。
ユーリの後ろ姿をみつめるシオンへ、アリアは再度「ファイト!」と声援を送っていた。