救出 2
「……アラ、スター……、ギ、ルバート……」
「っシャノン!?」
と、そこで弱々しい声が空気を震わせて、その声の主であるシャノンへと、「大丈夫なのか」というアラスターの驚いたような目が向けられる。
「……っ、恐らく、アイツは魔法を無力化できる代わりに、自分自身の魔力もない……っ。だから……っ」
辛そうな表情と呼吸で「視えた」ことを告げ、シャノンはアラスターとギルバートへ視線を投げる。
「っ、だから……っ、ここは完全に単純な力勝負だ……っ」
シオンはもちろん、ギルバートやアラスターも基本的な体術は心得ている。だが、いざ闘うことになった時、どうしてもそこに魔法を併用することが前提となっているのは仕方のないことだろう。
だから、その魔法に頼れない今。
「……マジでうぜぇな、お前」
青年の、す……っ、と細められた瞳がシャノンを捉え、苛立たしげな舌打ちが洩らされる。そんな剥き出しの悪意を受けたシャノンは頭を抑え、荒い呼吸の中で言葉を紡ぐ。
「……なんでかよくわからないけど、多分、数で攻めても無駄なんだ……っ。ただ、お前ら二人がかりなら……っ」
元々、どんな勝負もただ頭数を揃えれば勝てるというものではない。雑魚を何人集めようが強者の一人分にもなりはしない。また、強者が二人いたとしても必ずしも力が倍になるかといえばそうではない。
勝利に必要なものは相性と呼吸。そして恐らく、ギルバートとアラスターは。
「……お前ら二人を警戒してるのが視える……」
この中で一番強いはずのシオンではなく、ギルバートとアラスターの二人組を。特にアラスターを気にする様子が見えるのは、先ほど青年自身が告げたように、アラスターの持つ単純な“力”以外のなにかを警戒しているからだろうか。
「俺のことはいいから……っ」
「っシャノンにはオレがついてる……!」
自分のことを誰よりも心配してくれるアラスターへ、それよりもアリアを、と祈るような目を向けるシャノンに、ユーリがアラスターの代わりを名乗り出る。
「ギルバート……! アラスター……ッ!」
早くアリアを! と促すシャノンの叫びに、ギルバートとアラスターの二人はシオンの横に立って青年へと身構える。
「……お前はアリアの救出が最優先だ」
「わかっている」
ギルバートとアラスターが青年の相手をし、シオンは隙を突いてアリアを奪い返す。
シオンがギルバートの潜めた指示に頷けば、アラスターは組んだ手の指をぽきぽき鳴らす。
「ただの喧嘩とか久しぶりだしな」
「……お前は案外そういうヤツだよな」
ニヤリと不敵に笑うアラスターへ、決して深い付き合いではないはずのギルバートは苦笑する。
一見穏やかそうに見えるアラスターが、過去、それなりにやんちゃをしてきたことは、ある意味似たような境遇にあるギルバートには簡単に想像がついた。
――単純な殴り合いの喧嘩であれば、もしかしたらアラスターが一番強いかもしれない。
「あっちも武器持ってることだし、こっちもいいよな?」
先ほど扉を壊した斧のような農具に視線を投げ、アラスターはこともなげに物騒なことを口にする。
そんな凶器を持ち出したら、下手をすれば大怪我だけで済まなくなってしまうかもしれないけれど。
「殺しても構わない」
「……おいおい、物騒だな」
「隠蔽なんて、公爵家の力でどうとでもできる」
「いやいや、いくらなんでも」
完全に本気で言っているシオンの低い声に、緊張を解す目的も兼ねて、ギルバートが乾いた突っ込みを入れる。
どんな理由があろうと、殺人は罪に問われる。公爵家の力で揉み消すことは可能でも、それは誰よりもアリアが悲しむだろう。
「……死なない程度の怪我なら、後でいくらでも治してやる」
「……その役目って、もしかしなくてもオレだよな?」
少しだけ冷静さを取り戻してきたらしいシオンのセリフに、ユーリもまた苦笑する。
シオンも治癒魔法は使えるが、この中で一番治癒力に長けているのはユーリだ。
「……まぁ、いいや。アリアを取り戻す為ならある程度のことは許す!」
仕方がないと吐息をついたユーリが、そう宣言したのが合図になった。
「……やるか」
ギルバートの呟きに、シオンとアラスターと三人分の、鋭い視線が青年へと向けられる。
「……っ」
その心を一つにした三人の厳しい空気に、さすがの青年も身構える。
だが。
「コイツがどうなってもいいのかよ」
「っ」
そこには、青年から触れられるほどの距離に横たわっているアリアの姿。青年の片手には、未だに先ほどシオンを殴打した金属バッドのようなものが握られている。
「…………」
「…………っ」
状況だけで見れば追い詰められているはずの青年は、くす、と余裕の笑みを崩さず、無言の睨み合いが続く。
狭い室内で、青年までの距離はほんの数歩ほど。普通に考えて、青年がアリアに害を成すよりも、ギルバートたちが青年を取り押さえる方が早いはずだった。けれど、そうは思っても三人の決意を鈍らせてしまうのは、青年があまりにも得体の知れない人間であるということと、“万が一”を考えてしまうくらいアリアのことが大切だからだ。
「……これ以上アリアになにかしてみろ。許さない」
「お前に許される必要もねーしな?」
ギリリと唇を噛み締めるシオンに、青年は挑発するかのように愉しそうな笑みを零す。
「自分のモンになにをしようがオレの勝手だろ?」
「……っ貴様……っ!」
シオンの鋭い視線にはさらなる殺意が籠るが、だからといってその睨み合いを打破することはできない。
そうしてじりじりと神経が焼き切れてしまうかと思うほどの時間がどれくらい過ぎただろうか。
きっと現実では数十秒にもならないその時間が、数十分にも感じられたその瞬間。
「……ん……」
「! アリア!?」
ほんの一瞬、アリアが身じろぎする気配があり、シオンの叫びと共にアリアの方へと視線を向けた青年へ、刹那の隙ができた。
「っ! アリアを返せ……!」
「……く……っ」
ギルバートが合図をするように声を上げ、三人同時に床を蹴りつつ、ギルバートとアラスターは青年へ、シオンはアリアの元へ向かう。
「アリア……ッ!」
元々狭い室内だ。ギルバートとアラスターに床の上へと引き倒された青年は、ほぼ乱闘に近い揉み合いをしながら、怒りに満ちた瞳でシオンを射貫く。
「っざけんなよ……っ! オレのモンだって言ってんだろ……!」
「大人しく捕まりやがれ……!」
アリアを渡すまいと即座に起き上がろうとする青年に、ギルバートが拳を繰り出した。
「離せ……!」
それを避けつつ、青年は意識を失っているアリアを抱き上げたシオンに激高する。
「オレのものだ……!」
だが、ギルバートとアラスターの二人相手に、例え負けはしなくとも、アリア奪取を阻むことまでは難しい。
一方シオンは、アリアを腕にするとすぐにユーリたちの元まで後退する。青年に向かう殺意よりもアリアを大切に想う気持ちの方が遥かに上回るのは当然で、すぐに拘束を解こうと身体に食い込んだロープに手をかける。
「アリア……ッ! アリア……ッ!? しっかりしろ……!」
「…………」
呼びかけるも、意識が戻ってきたのかと思われたアリアからの反応はない。
顔色は青白く、シオンの腕の中でぐったりと力をなくしているものの、それでも確かな呼吸だけは確認でき、それだけは僅かに安堵する。
「っ、アリア……ッ!」
きつく縛り上げられた拘束はすぐには解けず、魔法が使えないことに苛立ちが募る。
引き裂かれた服から覗く白い肌は目に毒で、シオンは自分の上着を脱ぐとアリアの身体に巻き付ける。
魔法が使えないこの状況。せめて拘束くらいは解いてやりたいと思ったが時間は惜しい。
とにかく今は一刻も早く落ち着ける場所へ移動しなければ……、と思った時。
「シオン……ッ! アリアを連れてこっちへ……!」
壊れた扉から顔を覗かせた人物に、シオンとユーリが振り返る。
「! ……師団長……っ!」
そこでこちらに向かって手を伸ばしていたのは、ギルバートからの報告を受けたリオが、先行でシオンたちの元へ派遣したルーカスだった。
「遅くなって悪かった。瞬間移動で場所を掴めないのは本当に厄介だ」
リオからの依頼ですぐに合流するはずのルーカスだったが、跳ぼうと思った瞬間に突然なにかに行く手を阻まれた。それでも一度繋がったはずの軌道を掴んでつい先ほどまでシオンがいたはずの場所まで跳び、ここを探し当てたのだ。
そして、このことから導き出される一つの推測。
「どうやら一定の範囲内で魔法が使えないようになってるみたいだ」
一度繋がったはずの軌道は、二度目は繋がらなかった。つまりは、運が良くも悪くも、ちょうどそのタイミングでシオンが“魔法の無力化”範囲に入ったということを意味している。
「だから、その範囲外なら」
ここから離れれば通常通りの魔法が使えるはずだと言って、ルーカスはシオンを外へと促した。
「とにかく今は、君とアリアを家に送ることが先決だ」
いいね? と有無を言わせない厳しい瞳を向けられて、シオンは悔し気に唇を噛み締める。
「……頼む」
なによりも優先されるのはアリアの存在。なにがあろうと青年に対する憎悪が薄まることはないと断言できるが、それでも今のシオンにとって私怨は二の次三の次だ。
魔法さえ使えれば、すぐにロープを切ることができる。これだけ身体を締め付けられていれば、拘束を解いた後の肌にはくっきりとした鬱血が浮かぶに違いない。それを、治癒魔法で跡形もなかったように癒すことは簡単だ。
――だが、癒すことのできない心の傷もある……――。
「ユーリ……ッ! すぐに戻る……! だから君たちも今すぐ彼の傍から離れるんだ……!」
室内では、ほとんど乱闘に近い惨状になっている人影が三人分。
「え……?」
「捕獲しようとしなくていい……! 得体の知れない人間相手に危険すぎる……!」
驚いたように目を見張るユーリへ、ルーカスの口早の指示が飛ぶ。
「これは皇太子命令でもある!」
とにかく今は、アリアの身が優先だ。
そう強く念を押し、ルーカスはシオンと共に外に向かって走り出す。
「わかったね!?」
そして背後でその言葉を聞いたギルバートとアラスターは、自分たちよりも満身創痍な状態のシャノンのことを思い出し、やはり悔しさを噛み締めながら渋々と撤退を決めるのだった。