救出 1
「っアリア……ッ!」
シオンが探し人の名前を叫びながら室内へ踏み込めば、そこには、ベッドの端にゆったりと腰かけた一人の青年がいた。
そして。
「……あ〜ぁ。壊してくれちゃって。さっきからうるさいと思ったら、どうすんだよ、その扉」
弁償してくれんの? と、飄々とした態度で挑発的な笑みを口元に刻んだ青年の背後には――……。
「! アリア……ッ!」
切り裂かれた服の間から白い肌を覗かせたアリアが、全身を縛り上げられたうつ伏せの状態でぐったりと横になっていて、シオンへと一瞬にして殺意が湧き上がる。
「っ貴様……っ!」
「っ待て……っ、早まるな……!」
当然すぐに走り寄ろうとしたシオンを、手を伸ばして引き止めたのはアラスターだ。
「闇雲に突っ込むな……!」
片腕でシャノンを支えながら、アラスターは「冷静になれ」と厳しい目を向ける。
なぜか魔法が使えないこの状況。
その原因は、と考えた時には、どう頭を働かせても、目の前の青年が絡んでいるとしか思えない。
それくらいの推測は、当然シオンにもできる程度のものだが、怒りに我を忘れた状態ではどうかわからない。
この異常な状況を作り出しているのが目の前の青年だというならば、相手はかなり得体の知れない人間だった。
「離せ……っ」
「っシオン……ッ!」
気持ちはシオンと同じだが、シオンが冷静さを欠いている今、自分が抑制役にならなければと、ユーリもシオンの腕を掴んで引き止める。
「アリア……ッ!」
だが、怒りに燃えたシオンの瞳には、無事かどうかもわからないアリアの姿しか入っていない。
「計画は完璧なはずだったのにどうやって……、って……、……あぁ」
この状況下でも全く追い込まれている感のない青年は不機嫌そうに眉を寄せ、
「シャノン、またお前か」
ふらふらとアラスターに支えられているシャノンの姿に、ちっ、と忌々しげな舌打ちを洩らす。
「お前、マジで厄介だな」
今回、こうしてアリアの消息を掴むことができたのは、全てシャノンの特殊能力によるものだ。
シャノンの持つ精神感応能力は、魔法によるものではない。
だから、例え魔法が使えない世界でも、シャノンの能力には影響しないのだ。
「アリア……ッ!」
「シオン……!」
そこで一瞬の隙を突いてアラスターとユーリの制止を振り払ったシオンが走り出し、僅かに驚いたように目を見張った青年は、けれど口元へとくすりとした嘲笑を浮かばせる。
「っと。返さねーよ?」
咄嗟に青年がベッドの下から取り出したのは金属バッドのようなもの。
「――っ!」
「っシオン……ッッッ!」
「……が…………っ!」
神業にも近い瞬発力ですぐに後方へと飛び退こうとしたものの、それはシオンの腹部へ打撃を与え、腹部を抑えたシオンの身体はふらりと傾いた。
魔法が発動しないこの状況では、攻撃魔法も防御魔法も、もちろん治癒魔法も使えない。
「普段魔法に頼り切った生活してるからなぁ〜? 頼りの魔法が使えねぇとマジで役立たずだな」
けらけらと楽しそうに笑った青年は、次に絶対王者のような気配を滲ませて冷たく目を細めて見せる。
「魔法の使えないお前らは、オレには勝てねーようにできてるんだよ」
「……な、にを言って……? っ……!」
激痛の走る頭を抑えるように顔を上げたシャノンは、青年のカラクリを見破ろうとしているかのようだったが、すぐに耐え切れずに膝を折ってしまう。
「っシャノン……ッ!」
悪意からシャノンを守るようにアラスターが間に入るが、それに構うことなく、青年はアラスター越しのシャノンへ鋭い目を向ける。
「お前に視ませて堪るかよ……っ! いい子で寝てろ……っっ!」
「……くぁ……っ!」
まるで闇の中へと突き落とさんとするような禍々しい感情をぶつけられ、シャノンの身体は引き攣った。
「! シャノン……ッ!」
もし、青年の正体を見破ることができるとしたら、それはシャノン以外にいないだろうが、いくらなんでも過酷すぎると、アラスターはシャノンを部屋の後方まで下がらせる。
「お前らはオレに勝てない。それは神に定められた決まり事だ。なにせオレには“負けなし”の“チート”があるからな」
「……なにを……、言って……?」
青年の言っていることの意味がわからず瞳を揺らめかせるユーリを無視し、青年はシオンとギルバート、それからアラスターを順次に見遣る。
「同じ“ヒーロー”でも、お前らにはない能力だろ?」
自分と違って“無敵設定”のようなものはないと、青年は酷く楽しそうな笑みを零す。
「……あぁ、そうか。でも、お前ら二人が揃うと厄介か」
だが、ふとギルバートとアラスター……、とくにアラスターに視線を向けると、人を食ったように嘲笑する。
「魔力で劣る分、知能と体術と……、それから幸運の持ち主でもあるもう一人の“ヒーロー”」
青年が言っていることは、この場の誰一人として理解できない。
――もしかしたら、唯一、アリアだけはわかるのかもしれないが……。
そんなことが頭に過り、こうしてアリアが狙われた根本の原因もそこにあるのだろうかと思えば、妙に辻褄が合ってしまう気がして恐ろしい。
「っ、アリアになにをした……っ!」
腹部の痛みに顔を歪めながら、ギリギリと奥歯を噛み締めたシオンの、殺意に満ちた声が飛ぶ。
「“ナニ”、って……、聞きたいか?」
く、と口の端を引き上げた青年からは、シャノンのような特殊な能力がなくとも、ぞくりとした歪んだ気配を感じた。
「まぁ、縛り上げてもまだ抵抗を諦めない根性はすげーけどな?」
「……っ!」
アリアがそう簡単に害を受けたりしないほど強いのは、その高い魔法力ゆえだ。つまり、魔法が使えない状況に陥ったとするならば、アリアはそこらへんの少女たちとなんら変わることのない、ただのか弱い女の子になってしまう。
だから、青年と二人でいた時のアリアは、とても男の力には敵わない非力な少女。
そんなアリアが身体的な脅威に晒されたとしたら、とても抵抗しきれるとは思えない。しかも、青年の言うように、アリアは身体を縛り上げられた状態だ。
この状況で考えられることは……。
最悪の事態を想定して身を凍らせる面々へ、なぜか青年はやれやれといった吐息を洩らす。
「さすがにちょっと腹が立ったから首締めたら、意識飛ばしちまって」
「な……っ!?」
つまりは、抵抗を止めないアリアを大人しくさせる為に、その細い首を締め上げたということだろうか。
驚愕と怒りで目を見開く面子を無視して、青年は残念そうに肩を落とす。
「こんなことになるなら寝てる間にとっとと犯っとけばよかったな」
選択肢を間違った。と嘆く青年の呟きからは、想定していた最悪の事態だけは免れたことが感じられたが、だからといって喜んではいられない。
「! アリアは……っ」
「さすがに殺しはしねーよ。それじゃ意味ねーし」
シオンに代わってユーリが声を上げれば、青年は飄々とした態度で、ぴくりとも動かないアリアへちらりと視線を投げる。
「お前らがどう思おうが、アリアはオレのモンなんだよ」
再びベッドへ腰をかけ、意識をなくしているアリアへ伸ばされる腕。
「っアリアに指一本触れるな……!」
その指先が縛り上げられたアリアに触れる直前、殺意を漲らせたシオンの叫びに、青年の手はぴくりと止まり、振り向いた。
「お前らは“本来の相手”とよろしくヤってろよ」
相変わらず青年の言っていることの意味はわからないが、シオンの眉は引き上がる。
「っふざけるな……! アリアはオレの妻だ……!」
アリアは、きちんと愛し愛され、公的にも認められたシオンの妻。
青年の狂気じみた主張が通るはずもない。
にも関わらず、青年はむしろそちらの方がおかしなことだとばかりに、苛立たしげな気配を醸し出す。
「その言葉、そっくりそのまま返してやるよ。“アリア・フルール”は前世からオレの彼女なんだよ」
「……なにを言ってる」
「……ぜ、んせ……?」
もはや頭のおかしな人間としか思えず、乾いた息を呑むシオンの横で、ユーリの呆然とした反芻が零れ落ちる。
「ずっとずっと愛してて……、やっと手に入れたんだ」
「! ソイツに触るな……っ!」
うっとりとアリアに触れようとする青年に、今にも殴りかかりそうなシオンの怒りの声が飛ぶ。
「誰が返すかよ……っ!」
「!」
と、そこで初めて余裕の態度を崩した青年が激高し、シオンは爪が食い込むほど強く拳を握り締める。
「お前にアリアは渡さない……!」
とはいえ魔法も使えず、ある意味アリアを人質に取られているようなこの状況では、下手に動くこともできない。
「そうだ。コイツを守りたいなら、そのままそこで指を咥えてじっとしてろよ。オレはこの白い肌が傷だらけになって血が滲んでも、むしろゾクゾクする」
「……!」
ぺろりと赤い舌を覗かせて挑発的な目を向けてくる青年は、もはや正常な思考回路をしているとは思えなかった。
そこにあるのは、明らかな狂気。