mission3-4 仮面パーティーに潜入せよ!
無言で早歩きになる背中。
「シオンっ、あの……」
ほとんど引きずられるような格好でその後に付いていきながら、アリアは焦ったように口を開く。
「あの、シオン……っ?」
ごめんなさい、と、自分が思うより遥かに弱々しく紡がれた謝罪の言葉に、シオンはぴたりと歩みを止める。
「……お前は本当に仕方のないヤツだな」
「そのっ、あんな大金……!」
怒っているのだろうか。
シオンがあっさりと提示してみせた金額にむしろ戦慄さえ覚えつつ、アリアは言葉に言い淀む。
「半分はお前の功績だ」
だから気にするなと言われても、余りの金額に動揺が隠せるはずもない。
「それよりも」
ふいに落とされた視線の先には、まだ解かれる様子のない、アリアの腕に嵌められた拘束具。
「普通はあんな目に遭わされたら泣き喚きそうなものを」
「!」
上から下までアリアの姿を見下ろして、シオンが呆れたような吐息を漏らす。
(どうせ私は"普通"じゃないわよ…!)
可愛らしい、大人しい公爵令嬢になることなど、三年前のあの瞬間からとうに諦めていることだ。
と。
「お前っ、そんな言い方ないだろ!?」
いつの間にか駆け寄ってきたユーリが眉を吊り上げながらシオンを責め、
「アリアは女の子だぞ!?怖くなかったわけがないだろ!?」
大丈夫?と優しく両の手を包まれて、瞬間、張り詰めていた緊張感が緩んでいくのをアリアは感じる。
「……ユーリ……」
今さらになって、指先がカタカタと震えてくる。
怖いなんて、自覚はなかった。
あの瞬間は本当に、いっそ男の懐に飛び込んでみるのもいいかもしれないと本気で思っていた。
なのに。
「……ユーリは本当にカッコいいわね」
うっかり好きになっちゃいそう。
ユーリの存在そのものの癒しの力は絶大で、思わず泣きそうになってしまう。
「……悪かった」
そんな二人の様子にさすがに自分に非があると思ったのか、シオンはアリアの拘束具の鍵穴へと鍵を差し込むと、カチャン、と音を立ててアリアの腕を解放していた。
「……」
「……シオン?」
手鎖のかけられていた手首を静かに見下ろすシオンの姿に、アリアはどうかしたのかと小首を捻る。
鉄製の拘束具に捕らわれていたとはいえ、特に抵抗などしなかったアリアの手首には掠れた跡などは残っていなかった。
「……いや、なんでもない」
行くぞ、と促すシオンは、一体どこへ向かうつもりなのだろう。
促されるままユーリと共にシオンの後に付いていくと、焦った様子でバタバタとこちらへと駆けてくる気配があった。
「アリア!大丈夫か!?」
「大立ち回りを始めた時は、正直ちょっと魅入っちゃいましたけど」
息を切らし、心配そうな目を向けてくるセオドアと、「不謹慎スけど」と苦笑するルークへと、アリアは心配させてしまったことを謝罪する。
「二人共、本当にごめんなさい……」
「心臓止まるかと思ったぞ!?」
「一体なにがあったんスか!」
代わる代わる声を上げるセオドアとルークに、どこまで話すべきなのか答えに困る。
そうこうしている間にもとある部屋の前へと辿り着き、シオンがその部屋の扉を開いていた。
「ここは……?」
広くもなく、狭くもない室内。部屋の中にはちょっとしたラウンジも設置されており、ソファーとテーブル、奥には大きなベッドも置かれている。
ちょっとした宿泊施設のような内装。
「落札者のみに与えられる部屋だそうだ」
どさっと乱暴な仕草でソファに身を預け、シオンは視線だけでアリアを隣へ呼ぶ。
「このまま競り落とした商品を試すでも好きにしろ、ってことだな」
悪趣味だな、と冷めた口調で言い放つシオンの言葉に、その場になんとも言えない空気が漂う。
過去に、ここで、誰かが被害を受けているかもしれないと思えば、落ち着いてなどいられないのが普通だろう。
「ルーク」
「はいっ」
ふいにかけられた低い声にびくっ、と肩を強張らせ、ルークはその声の方へと顔を向ける。
「それは……?」
透明な液体が入った小さなガラス瓶。
それを指先で掲げて振ってみせたシオンへと、ルークは潜めた表情になる。
「こっちも落札特典だ。ソレを使えば商品も思うままだからな」
もしやと誰もが頭に掠めた答えを肯定され、室内へと再び冷たい空気が流れ出す。
妖しげな仮面パーティーの実態と。
その裏で行われていた闇取引。
……そして、例のクスリ。
入手経路はわからないまでも全ての証拠は出揃って、シオンはセオドアへと視線を投げる。
「もうルイスに連絡はしたんだろう?」
「……あぁ」
アリアを発見した時点で報告済みだと頷くセオドアに、すでに撤退経路は確保済みだと説明し、シオンは淡々と口を開く。
「突入部隊が踏み込んできたタイミングで、騒ぎに紛れてここを出る」
それまでは時間潰しだと、そうかからないであろう時間を示唆して、シオンはアリアへと視線を投げる。
「それで、どうする」
「……え?」
腕を引かれ、その勢いで、とす……っ、とソファへと身が沈む。
さらりと、アリアの長い髪を掬うシオンの手。
ギシ……ッ、と、安いスプリングの軋む音が耳に響く。
「せっかくだから、抱かれるか?」
お前はオレが買った最高級品だしな。と、近距離から顔を覗き込まれてアリアは固まる。
「……え……」
『シオン(先輩)…っ!』
その瞬間、真っ赤になった三者三様の声が上がった。
「冗談だ」
「………」
(……えぇぇぇぇぇ!?)
くすっ、とおかしそうに口許を緩めたシオンの顔を見上げながら、アリアは心の中で絶叫する。
(……シオンて、こんなこと言う人だった!?)
正しく言うなら、"ゲーム"のシオンは、ユーリへとセクハラ紛いの行為を仕掛けることも、艶めいた言葉を囁くのも日常茶飯事のことだった。だから、この言動そのものはそれほどおかしいことではない。
ないのだが……。
(ユーリ以外にも言っちゃうの!?)
相手はユーリ限定だと思っていたアリアにとって、これは衝撃の出来事だ。
少しだけ、アリアの中のシオン像を修正しなければならないかもしれない。
コトン……、とテーブルの上へと置かれた小瓶。それに気づいて、アリアは重大事項を思い出す。
「バイロ……ッ、あの男の人は……!?」
勢いよく身を起こし、まだ顔の火照りが取れていない面々へと一人一人顔を向ける。
「男?」
セオドアの顔が記憶を辿るように潜められ、アリアは焦りから上ずった声を上げる。
「長い銀髪の……っ」
「……あぁ、お前を買おうとしてたヤツか」
それがどうかしたかとどうでもよさように呟くシオンに、アリアは懸命な目を向ける。
「あの人なの……っ!恐らく、今回の黒幕は……っ」
どこまで話すべきなのか。
顔へと必死さを滲み出すアリアの訴えに、全員が一様に唾を呑む。
――事件の黒幕。
つまり、それは。
「……魔族……」
小さく洩らされたルークの呟きに、アリアはコクンと頷いた。
けれど。
「……多分、もうここにはいないな。あの後すぐに気配を絶った感覚がした」
なにかを察したのか鋭いヤツだと、そう苦々しく洩らすシオンの答えに、アリアもまたきゅっと唇を噛み締めていた。
「……だから買われたら買われたでそれでもいいかと思ったのだけれど」
そうすれば行方を眩ませられることもなかったのにと、さらりと言ってのけるアリアの思考に、その場の空気がピシリと固まる。
なんとも言えない微妙な沈黙が続くこと十数秒。
「……お前は、よっぽどコレを試してみたいようだな?」
ついでに人体実験も兼ねられる、と、例の小瓶片手に至極真面目な顔でシオンに迫られ、アリアの顔へと朱色が走る。
「なんでそうな……っ」
「なにもわかっていないお前のせいだろう」
突入部隊が現場へ足を踏み込むまで後数秒。
そんな二人の遣り取りを微妙な顔で眺めつつ、今度はそれを咎める者はいなかった。