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夢の中の君に恋をする 1

 数年前にアリアに“記憶”が降りてきてすぐ。うっかりシオンに洩らした「……バスとかはないのよね……」の言葉から、今や完全に整備された交通網。

 “あちらの世界”で言うところの“タクシー”に当たる辻馬車や“バス”に当たる乗合馬車は、シオンの手腕によってもはや人々の生活になくてはならないものになっている。

 とはいえ、仮にも公爵家の人間であるアリアはそれらの公共の乗り物に乗ったことはなく、リヒトと共に初めて乗った乗合馬車は、とても新鮮な経験だった。

「ねぇ、リヒト。どこに行くつもりなの?」

「オレの家」

 王都の中心街から少しだけ奥に入った場所で物珍しげに辺りを見回していたアリアは、あっさりしたリヒトの返答に目を丸くする。

「え?」

「ほら、すぐそこだ」

「え……? ぇえ……?」

 目の前には、それなりに立派な、俗に言う“アパートメント”。

 これまでのリヒトの行動範囲からも、王都とそう離れた場所には住んでいないだろうとは思っていたが、さすがにこれは予想外だった。

「他に聞かれたらマズイ話だからな」

 当然ながら慣れた様子で階段を登り、くす、と潜めた声で笑われて、アリアの瞳は揺らめいた。

「……それって、やっぱり“3”の……?」

 “ゲーム”が始まると告げられて、話があると言われれば、リヒトの用事はもうそれしか考えられなかった。

 だが、不安を覚えるアリアに対し、リヒトからはただ笑顔が返るだけ。

「ここだ。入って」

 鍵が回され、カチャリと扉が開かれたその先には。

「……一人暮らし……?」

 そこは、いわゆる“1LDK”の部屋だった。建物の外見から一家族で暮らす部屋もあるように見受けられたが、リヒトに開かれた部屋は独身用らしい。

「そっ。しぱらく前に王都に出てきたんだ」

 そう笑いながら中に入ることを促され、一瞬躊躇してしまう。

 リヒトを信用しているいないに関わらず、アリアはもはや人妻だ。他に家人がいればいいという話でもないだろうが、異性と二人きりの空間で過ごすようなことは、さすがのアリアも多少の抵抗感を覚えてしまう。

「……王都で仕事に就いてるの?」

 それでもここまできて引き返すわけにもいかず、アリアは「お邪魔します」と小さく頭を下げ、そろそろと室内に足を踏み入れた。

 ドクリ……ッ、と。

 まるでなにかの胸騒ぎのような、奇妙な鼓動が胸を打つが、自意識過剰すぎると自分に言い聞かせる。

「気になる?」

「……だって、今までそういうことは一切教えてくれなかったじゃない」

 そう……。アリアは、リヒトのことをなにも知らないのだ。

 リヒトの身分も、普段どんな生活を送っているのかも、今なにをしているのかも。

 わかっているのは、リヒトがアリアと同じ“もう一つの世界”の記憶を持っているということだけ。

 その事実が、今頃になってアリアを不安にさせてくる。

「まぁ、そうだな」

 くす、と小さな笑みを零し、リヒトの唇が弧を描く。

「あちこち転々としてるんだよ。この家も越してきたばかりだし」

「そうなの?」

 確かに室内を観察すれば、寝台や小さなテーブルといった必要最低限のものがあるだけで、人一人が生活しているにはとても殺風景な光景だった。

「……どうして?」

 転々と住まいを変えている理由。そして、新たな住まいにここを選んだわけ。

「どうしてだと思う?」

 逆に尋ねられ、なぜかアリアの瞳は動揺に揺れた。

 アリアを射抜くリヒトの瞳が……、なんだかとても怖い気がするのは気のせいか。

「……ここは、さ。仮初とはいえ、アンタのために用意した部屋だ」

「え……?」

 くす、と笑われ、身体中にドクドクとした血流が巡る。

「……それって……、どう、いう……」

 笑みを描いて甘く綻ぶリヒトの顔。

「わからない?」

「っ」

 ぞわり……っ、と。

 瞬間、身の毛がよだつような悪寒に襲われた。

 そうしてアリアが、わけがわからないまま本能的にリヒトから距離を取ろうとした直後。

「こういうことだよ」

「!? リヒト……ッ!?」

 どこに隠し持っていたのか、くるりと細い縄のようなものを身体に巻きつけられ、アリアの瞳は驚愕に見開かれた。

「なにし……っ」

初めてアンタを(・・・・・・・)見た時から(・・・・・)ずっとずっと好きだったんだ……。ここにアンタを閉じ込めて……、もうどこにも行かせない……」

「!? リ、ヒト……? 嘘……っ」

 うっとりとした吐息で愛の言葉を告げられて、アリアは急速に身体が冷えていく感覚を味わった。

 リヒトが一体なにを言っているのかわからなかった。

 愛する相手に想いを告げるにしては、リヒトから醸し出される雰囲気は、どこか異様で。

「嘘? どうして?」

 不思議そうに向けられる瞳に、こくりと乾いた喉が鳴る。

「……どうして、って……」

 そうこうしている間にも、アリアを拘束するために巻かれる縄の量は増えていき、どんどん抵抗できなくなっていく。

 さらには。

「――っ!?」

 風の刃で縄を切ろうとしても、全く魔力が操れずに目を見張る。

 そこにあるのは、アリアの髪先一つ揺らすことのない無風。

(……そ、うよ……)

 ――『ある意味、"無効化チート"ってヤツ? なんの役に立つのかは知らねぇけど』

 いつかリヒトに言われた言葉を思い出す。

 リヒトには、魔法が効かない。そして、リヒトの周りの一定範囲内においては、魔法そのものが無効化されるのだと。

「っ」

「……自分が、“BLゲーム”の世界の登場人物だって気づいた時の絶望がわかるか?」

 背中に冷たい汗を伝わらせるアリアの拒否反応を知ってか知らずか、器用にアリアの拘束を強めながら、リヒトはくすりと自嘲気味の笑みを零す。

「それから、どれだけ歓喜したか」

 健全な男子であるリヒトが“BLゲーム”の世界に転生したと気づいて絶望し、“シナリオ”を変えることができると知って安堵した。

 それは、初めてリヒトに会った時に聞いたこと。

 けれど、その“歓喜”の意味は。

「オレの知る登場人物がいる“ゲーム”の世界にしてはおかしかった。どう見てもここは“現代”じゃない。それからすぐに、ここが“禁プリ1”の世界だとわかって……」

 拘束が終わったのか、手の動きを止めたリヒトが優しく笑いかけてくる。

「そう、ここにはアンタがいたんだ」

 にこりと向けられた甘い笑みは思わず見惚れてしまいそうなものなのに、アリアの身の内に広がるのはぞわりとした恐怖だけ。

「前世のオレの彼女(・・・・・)に……、生身のアリアに会えるなんて、オレがどれだけ狂喜乱舞したかアンタにはわからないだろうな」

「……な、にを……、言って……?」

 “前世の彼女”。“生身のアリア”。

 なにを言っているかわからないのに、それらの言葉の意味がわかる気がして怖くなる。

 ――二次元の登場人物を本気で好きになり、そのキャラクターを“彼女”と呼び、ついには結婚までしてしまう“オタク”がいることをアリア(・・・)は知っている。

「考えてみろよ。もしここが“BLゲーム”の世界でなければ、完全に主役なお姫様はアンタだろ」

 ここは、それぞれユーリとシャノンを“主人公”にした“BLゲーム”の世界。

 けれど、もし。この世界が健全な“乙女ゲーム”の世界だったらと仮定したならば……。

 “アリア・フルール”の人物設定は、高貴な身分で非の打ち所がなく、主人公であるユーリにコンプレックスを抱かせるほどの可憐な美少女――。

「男を虜にするのは当たり前だ」

 ここは、“BLゲーム”の世界。アリアの周りにいる“ヒーロー”たちは、みなどんな美少女も魅惑的な女性も目に入らず、ユーリとシャノンに惹かれていく。

 だからアリアはすっかり失念していたのだ。“アリア・フルール”の設定(・・)は、“誰もが手に入れたくても入れられない高嶺の花”。だからこそユーリは、シオンがアリアと婚約を解消し、自分を選ぼうとすることに、本当にそれでいいのかと苦悩するのだから。

「それはオレも同じ」

「な、にを……っ」

 拘束した身体をそのまま部屋の奥にまで押しやられ、じわじわとした恐怖が湧いてくる。

 綺麗な微笑みを浮かべたリヒトに、ふるりと身体が震える。

「初めて“アリア・フルール”を見た時、絶対に()る、って決めたのに、それが“BLゲーム”だってわかった時のオレのショック、わかるか?」

 リヒトは“凌辱系ゲーム”を好んでプレイしていたと言っていた。つまりは、なんらかの形で“アリア・フルール”のキャラクターだけを目にし、それが“男性向け18禁ゲーム”だと思ったということだろうか。

「この世界に生まれ変わって、これはオレへのご褒美かと思ったよ」

 恍惚とした表情でそう告げるリヒトは、もう、アリアの知るリヒトではない。

「二次元じゃなく、本当に生身のアンタを犯せる」

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