胸騒ぎ
ここは、王宮の一角。シオンの手元で使い魔のような鳥は溶けて消え、そこに残った二つ折りの紙に目を通したシオンから、深々とした吐息が吐き出された。
「……まったく、アイツはすぐにこれだ……」
その呟きに、隣を歩くユーリの顔が神妙に顰められる。
「どうしたんだ?」
「外出すると騒いだらしい」
向けられる疑問符にやれやれと肩を落とし、シオンは“なにか”を確認するかのように額へ意識を集中させる。数秒間、シオンがそうして神経を研ぎ澄ませたその理由は。
「……とりあえずはきちんと家にいるみたいだが……」
僅かな安堵を示して呟かれたその言葉に、妙な胸騒ぎを覚えたユーリは、強い眼差しで確認する。
「……それ、ほんとに?」
「……ユーリ?」
そんなユーリの反応に、シオンの眉も驚いたように顰められる。
「……それって、あくまでアリアじゃなく、あの魔法石の位置情報だろ?」
「!」
改めて取られた確認に、シオンの瞳が見張られる。
シオンが感知しているのは、あくまでアリアが身に付けている魔法石の波動であって、アリア自身の位置情報などではない。
それでも。
「……アイツが今までアレを外したことはない」
もちろん入浴時など、どうしても外さなければならない瞬間もあるが、そういったやむをやまれぬ事情がある時以外は。シオンがペンダントを贈った時から、アリアの胸元にそれがない時はなかった。
だが。
「今までなくたって、今この時はわからない」
そうきっぱり言い切るユーリに、シオンの中で動揺が生まれたのがわかる。
「むしろ、今まで外したことがないからこそ、最高の目くらましになる」
「っ」
別段アリアに、そこまでの思惑があるわけではないのだろう。けれど、ユーリに言わせてみれば、あんなシオンの独占欲の象徴を、肌身離さずつけていること自体が驚きだ。
アリアは自分の居場所を常に把握されていたからと困ることはないと笑っているが、そういう問題ではないだろう。
「お前に出るなと言われて、それでもどうしてもそうせざるをえない“なにか”が起こったとしたら?」
だから、そんなアリアが。本気でシオンに居場所を知られたくないと思って行動したなら、ペンダントはこれ以上ない“囮”になる。
「……オレの杞憂ならいいんだ。不安を煽るようなことを言って悪かった」
「……いや……」
ユーリの不安を現すように僅かに揺れる大きな瞳に、シオンからも動揺の空気が滲み出す。
胸へと湧き上がるこの不安感が、ただの気のせいで済むならばいい。
――けれど、もし、それが現実になってしまったら?
「……リオ様のところへ行く?」
「っ、あぁ」
今、ユーリとシオンがいる場所は王宮内。今日の仕事が王宮勤めであったことだけは幸いかもしれない。
神妙な顔で互いの意思を確認し、ユーリとシオンはなにかに駆り立てられるかのように、この国の皇太子であり、瞬間移動能力を持つリオの元へと急ぐのだった。
そうして。
「今すぐアリアのところへ跳んでくれ」
突然の謁見を求めたユーリとシオンに、ただ事ではないことを悟ったのだろう。過密スケジュールの中ですぐに目通しの叶ったリオへ、シオンの単刀直入の要求が飛んだ。
「……アリアになにか……」
「……すみません。ただの思い過ごしだったら、リオ様に迷惑をおかけするだけなのですが……」
途端動揺の走ったリオの顔に、ユーリは申し訳なさそうに口にする。
ただ、“嫌な予感”がしただけ。それだけの理由で皇太子を動かすなど、本来であれば許されない。
「いいよ。そんなこと気にしないで」
それでも心優しいリオは「なにごともなければそれが一番いいから」と、ユーリの不安を払拭するかのように柔らかく微笑い、すぐにシオンとユーリを手招いた。
「シオン、ユーリ。こっちへ」
いつもと変わらずリオの傍に仕えるルイスは、特段なにも口を出すことはなく、数歩離れた位置で三人を見守っている。
「君たちをアリアの元へ送ればいいかな?」
「そうしてくれ」
アリアが家にいるのであれば、わざわざリオの元へ来なくとも、馬車でウェントゥス家へ戻ってもそれほど時間はかからない。問題は、家にいなかった時。その万一の不安を拭うためにリオへ至急の目通りを願ったのだ。
「わかった」
その場の空気を和ませるようにふわりと微笑ったリオが額へ意識を集中させ、黄金の魔力が湧き上がる。
「……」
「……」
瞬間移動は、その名の通り、特定の場所や相手の元へ一瞬にして移動する魔法。
一秒、二秒、三秒……、と時が過ぎ。
「――――っ」
いつもであればありえないその間と、リオが息を呑む気配に、シオンの表情が不審で顰められる。
「……どうした」
ドクン……ッ、と嫌な鼓動が胸を打ったのは、ユーリだけではないはずだ。
「……跳べないんだ」
「…………え……?」
一瞬にして喉が干乾びるように声が絡んだ。
つまり、それは。
「……アリアのところへ、繋げない」
「!」
そんなことは、ありえない。
だが、今、その“ありえない”ことが起こっている。
「……ウェントゥス家へ……!」
すぐに次の行動を決めたシオンが、リオへと真剣な目を向ける。
「一緒に跳んでくれっ」
「! アリア……!」
まずは、普段アリアが一番過ごしている時間が長いであろう、シオンとアリアの共同スペースへ。そこに姿がなかったからといって家にいないとは限らないが、なんの気配もない空間に、焦燥はさらに募っていく。
心休まるあたたかな空間を、とアリアが作り上げた室内は、こんな時でさえユーリたちを優しく迎え入れ、主がいなくともアリアの存在を思わせる。
恐らくは、そこで本を読んだり二人でお茶を飲んだりと寛ぐためのソファセット。
「……」
無言でそこに向かったシオンが、机の上に置かれた“なにか”を発見した。
チャリ……ッ、と小さな金属音が響き、シオンが手に取った一枚の紙。
「!? シオン……ッ!?」
シオンがそれに目を落とすと同時に、ユーリはこくりと喉を鳴らす。
「それ………」
「……あぁ」
ユーリとリオの想像通り、それはアリアがシオンに宛てたもの。
しっかりと手紙を残し、堂々とペンダントを置いていったことからも、アリアが外出を故意に隠そうとしていないことだけは窺える。
「……わざわざ手紙を残して出かけるくらいだ。心配するほどのことは……」
ない……、かもしれない、と言いかけたのであろうリオも、それを最後まで口にすることはできずに口を噤む。
子供ではないのだ。しかもアリアはかなりの魔力を有している。しっかりと書き置きまでされた少しくらいの外出で、これほど大騒ぎするなどそちらの方がどうかしているだろう。
それでも、その場に広がった妙な不安感は拭えない。
「……」
「…………」
三者三様の沈黙が落ち、不穏な空気が広がっていく。
大丈夫だ、と思う気持ちを、それ以上の不安が襲う。
大丈夫……、なわけがない。
リオの瞬間移動が使えないのだ。どう考えてもそれだけでこの状況は異常だろう。
思えば、前にもこういうことはあった。
一度目は、ギルバートがアリアを連れ去った時。あの時ギルバートは、アリアの居場所が探れないような闇魔法をかけていたという。だが、今アリアと一緒にいるのはギルバートではない。
そして、二度目。
リオの瞬間移動が叶わず、シオンが魔法石の波動からアリアを探し出した時。
あの時のアリアは一人だった。そこに特段不審な点はなかったように思う。
だが。
――本当になにもなかっただろうか?
疑念は嫌な予感を通り越し、恐ろしい確信へと変わっていく。
あの時アリアが、“誰か”と一緒にいたと仮定したならば。今もその“誰か”と一緒にいる可能性はかなり高いのではないだろうか。
つまりそれは、その“誰か”とアリアは知り合いだということになる。
もし、以前からの“知り合い”ならば。アリアが会うことに警戒する理由があるだろうか。
「! シャノン……」
そこでなにかを思いついたように顔を上げたユーリに、シオンもハッとした顔でリオの方へ振り返る。
「今すぐシャノンとギルバートに連絡を取ってくれ!」
シャノンであれば、精神感応能力でアリアの意識を追跡できるかもしれない。
そして、空間転移のできるギルバートは連絡役に必要だ。リオやルーカスも瞬間移動を使えるが、立場ある人間の時間をこれ以上拘束するわけにはいかない。
「っわかった」
まずは、ギルバートに事情を話して共に動いてもらう。
焦燥感に駆られながら、それでも最善の選択を取るべく、三人は顔を見合わせていた。