暗中の影は溶かされて
その日を皮切りに、アリアの元へは誰かが入れ代わり立ち代わり訪れるようになっていた。
「今日はなにをしていたんだ?」
就寝前のベッドの中。さらりと髪を撫でながら尋ねられ、アリアはくすぐったそうに目を細める。
「今日は……、午前中は新しい家具の搬入に立ち会って、午後はユーリとパーティーの招待状を……」
こんなふうに一日の出来事を報告し、明日の予定を告げることはここ最近の日課となっている。特に来客者に関しては、あらかじめ全てシオンの耳に入っている……、というよりも、みなシオンの許可を得てからアリアに打診をしているらしく、本当に隙なく次から次へとスケジュールが埋まっている状態だ。
「招待状は出来上がったのか?」
「えぇ。ユーリに手伝ってもらって」
すでにパーティー開催の話はしてある為、招待状は形ばかりのもの。それでも一つ一つ手作りした招待状にはアリアの想いが込められている。
新居を整え、パーティーの準備をし、その合間に来客者をもてなして……。ここ最近のアリアはずっと家にいながら大忙しだった。
「どうせなら手伝わせればいい」
ここ最近入れ代わり立ち代わりやってくる来客者たちは、ユーリやシャノンをはじめとしたパーティーの招待客たち。気心知れた彼らに仕事を分担してやればいいと低く笑うシオンに、アリアは困ったような咎めるような、そんな曖昧な表情で眉根を下げる。
「……シオン……」
「必要なものがあれば言ってくれ」
「ううん。大丈夫」
髪や耳、頬を撫でながら甘やかすような目が向けられて、アリアは小さく首を振る。
結婚式の準備はほとんどシオンが進めたような状態だった。だから、今回の身内だけのお披露目パーティーは、アリアが心を込めて準備したいとはりきっている。
ウェントゥス家に来てから初めて主催するパーティーが、精霊王たちを招いてのお披露目会など、なんて豪華なのだろう。
「精霊王たちのところへ行く時にはオレも同行する」
「ありがとう。……ん……」
ちゅ……、と額へ軽いキスが落とされて、アリアの口からは僅かに甘い吐息が洩れる。
夜、寝室に入ってからこんなふうに他愛のない話をし、その間シオンの指先や唇が悪戯にアリアに触れてくるのはいつものこと。
ここ最近はただ抱き締められて眠るだけの日もあるけれど、ほとんどはこのまま夫婦の甘い時間を過ごすことになる。
「ねっ、シオン……ッ」
顎を掬われ、唇が重なる直前。
まだ話は終わっていないと制止をかけるアリアに、シオンの「なんだ?」という冷静な目が向けられる。
ここ最近は家にいながらしてとても忙しい毎日だけれど、それは構わない。それは、構わないのだけれど……。
「……外聞が、あまり良くない気がするのだけれど……」
言いにくそうに口にしたその言葉に、至近距離でアリアの頬に触れる動きは変えぬまま、シオンが飄々と尋ね返してくる。
「なにがだ?」
「なにが、って……」
少し前から気になっていたこと。
なんとなく言い難い事柄だけに、思わず言葉が詰まってしまう。
アリアは揺らめく瞳をシオンから外し、口ごもりながらもそれを口にする。
「……夫の留守中に……、その……、友人とはいえ、男の人が、次から次へと遊びに来るなんて……」
夫不在中の男性の来客。
それがあまり褒められた行為でないことくらい、アリアもわかっている。
もちろん会うのは来客室で、近くには常に家の人間がいるけれど、事情をなにも知らない外部の人間がこの状況を目にしたらどう思うのか。いくらシオン公認とはいえ、外聞はあまり良くはないだろう。
そもそも、一学年下のルークやリリアンは学校帰りとして、他のメンバーたちは今はみなそれぞれ仕事に就いている。
ある程度自由の効く立場だとしても、仕事はどうしているのだろう。
考えてみれば、シオンもここ最近はよく家で事務仕事をこなしている。
「うちの人間は内部のことを外に洩らすほど低劣な教育を受けていない」
高い教養と、厳しい礼儀作法を教え込まれた者のみが仕えることを許される公爵家。間違っても家の中のことを外で話したりしないと告げるシオンは、だから大丈夫だとでも言いたいのだろうが、アリアは困った顔になってしまう。
「そういう問題じゃ……」
きちんとシオンの許可を得た上での訪問。変な誤解をされるようなことはなくとも、やはり気持ちの上では気になってしまう。
人妻になってからも、今まで仲良くしていた友人たちと気兼ねに会えること。そのこと自体はとても喜ばしくはあるのだけれど……。
「まさかお前の口からそんな話が出るとはな」
「!」
くす、と可笑しそうに笑われて、アリアは驚いた顔になる。
少しばかり後ろめたい過去があちらこちらにある身としては、すぐに否的できない反応だが、それでも常識を知らないわけではない。
「そうだな。お前はオレの妻だからな」
人のことをなんだと思っているのかとじとりと恨めしげな瞳を向ければ、シオンはくつくつと喉を鳴らしながらさらりとアリアの髪を梳いてくる。
「やっとオレだけのものだという自覚が出てきたか?」
「っシオン……ッ」
ほとんど唇が重なっているような距離感から尋ねられ、アリアは赤くなって声を上げる。
なんとなく。どこか、上手くはぐらかされているような感じがするのは気のせいか。
「まぁ、それも今だけだ」
「え?」
本格的にアリアを組み敷く体勢になったシオンの呟きに、アリアはきょとん、とした無防備な目を向ける。
「今度のパーティーが終わったら……」
「ん……っ」
耳の後ろから首筋を指先で辿られて、ぴくん、と肩が揺れた。
「誰の目にも触れられないよう、鎖に繋いで家の奥に閉じ込めておいてやるから覚悟しておけ」
「――っ!?」
あれは、アリアがシャノンに秘密を暴かれた時。
――『今が昼か夜か、今日が何日なのかもわからない生活をさせてやる』
シオンが放った先程のセリフは、いつか言われたその言葉をアリアに思い起こさせた。
「冗談だ」
そうニヤリと口の端を引き上げるシオンは、冗談なのか本気なのか本当にわからない。
「! 待……っ、ま、だ……っ」
首元のボタンに伸びてくる指先に、アリアはまだ話は終わっていないと訴える。
けれど。
「もう待たない」
「っ、シ、オン……ッ! ん……っ」
そのまま唇を塞がれて、アリアはシオンの腕の中に堕ちていた。
*****
結果。
「……みんなで私になにか隠してない?」
次の日。お手製クレームブリュレに舌鼓を打つユーリが完全に油断している隙をつき、アリアは疑いの眼差しを向けていた。
「……え……」
一瞬咽かけたユーリは、アリアを見つめてぴたりと動きを止める。
基本的に嘘や隠し事が苦手なユーリはすぐに顔に出てしまうから、あからさまに動揺している様子が伝わってきて、むしろ申し訳ない気持ちが湧いてくる。
けれど。
「……だとしたらなんだ?」
挙動不審に手元のブリュレとアリアの顔を行ったり来たり見つめるユーリの一方で、その隣に座っていたシャノンが淡々とした調子でティーカップを傾ける。
「隠し事があるとしたら、それは知られたくないから黙っているんだ」
「……っ、そ、れは……、そう、だけど……っ」
ばっさりと切り捨てられ、アリアは反論する言葉を持たずにそのまま瞳を揺らめかせる。
本日の来客者は、珍しくもユーリとシャノンという“主人公”コンビ。
それぞれの“ヒーロー”と共にいる姿はアリアに活力をもたらすが、この二人の組み合わせはまた、それはそれで幸せな気持ちになる。
なんと言っても、この世界の中心と言って過言ではない二人のツーショット姿だ。こうして二人に出会えたことに、神様へと感謝してもしきれないほどの幸福感が湧いてくる。
隣り合って言葉を交わす二人の姿は、もうずっと見ていたいと思わせるほど。
「みんな、アンタのためにならないことは絶対にしない」
「みんな、アリアのことを想ってる」
そんなふうに、シャノンとユーリに交互に窘められてしまうと、それ以上のことを聞けなくなってしまう。
「ちゃんと話すから」
だから、と困ったように苦笑され、アリアはきゅ、と唇を噛み締める。
「もう少しだけ待ってて」
自分が大切に思われていることはわかっている。
それでも、嫌な予兆で胸が騒ぐのだ。
――『「3」のゲームが始まるよ』
リヒトからの手紙と、シオンやユーリが黙秘を続ける理由。
一体なにが起ころうとしているのかと、アリアは不安定に瞳を揺らめかせていた。
……ムーン版は必要でしょうか……?(悩)