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蜜月 2

 全面ガラス張りの壁の向こうには、海が広がっていた。

 手前には、こちらもクリスタルでできた綺麗な祭壇。

 ここは、珊瑚礁をイメージして作られたという、海辺に建てられた小さな白亜の教会の中だった。

「す……、ごい……」

 耳を澄ませば波の音まで聞こえてきそうな蒼の世界に、アリアは感嘆の吐息を洩らす。

「気に入ったか?」

「……うん……」

 斜め後ろに立つシオンから尋ねられ、アリアは輝く瞳で教会内を見回しながら、こくりと小さく頷いた。

 アリアにとって、水は物心ついた時から傍にあり、いつも癒しを与えてくれる優しい存在。

 揺蕩う水の流れを感じられるこの場所は、これ以上なく幸せを感じる暖かな世界だった。

「お前が好きそうだと思った」

 だからあの時(・・・)この教会を選んだのだと告げてくるシオンに、アリアの胸にはじんわりとした感動が満ちていく。

「……シオン……」

 自分のことを守るために、シオンがアリアを連れて逃げることを決意したあの時。

 シオンが婚姻届を提出しようとまず向かった場所がここだった。

 そんな時でさえ、アリアのことを想って。

 結局あの時はここに来ることは叶わなかったが、今日ここにこうして足を運ぶことができ、本当に良かったとアリアは思う。

 自分が、どれほどシオンに想われているか。改めてそれを実感させられて、思わず泣きたくなってしまう。

「……ありがとう……。すごく、嬉しい……」

 こんな素敵な場所で永遠の愛を誓おうと思ってくれていたのかと、胸に溢れる感動を、どう言葉にしていいのかわからない。

 すごく、嬉しくて。とても、幸せで。

 そんな風に感動に浸っているアリアを見つめ、シオンの唇がそっと言葉を紡ぐ。

「……本当は……」

「……?」

 シオンの瞳は、アリアを見つめていながらも、どこか過去を見ているかのような気配がした。

「……あの時(・・・)、ここで正式に求婚しようと思っていた」

「!」

 くす、と。結局そうはならなかった過去を思いながら告げられたその自嘲の呟きに、アリアは思わず息を呑む。

「……え……、と……」

 それから、愛おしげに向けられるその瞳に、今さらながら恥ずかしくなってくる。

 シオンとは、もう正式に夫婦となっている。

 シオンから与えられる愛情は、今さら疑う余地などどこにもなく、不安に思うことすらない。

 それでも、そんな眼差しを向けられてしまったら。

「……ど、どんな風……、に?」

 あの時、アリアがあのままなにも知らずにいたら。

 たった一日だけでも、真実を知るまでの時間があったなら。

 シオンは、ここでどうするつもりだったのだろうと、今さらながら好奇心が沸き上がってしまう。

 なぜかドキドキと高鳴る胸に、うっすらと頬を染めたアリアがシオンを見上げること十数秒。

「……」

 互いを見つめ合い、くす、と可笑しそうな笑みを溢したシオンは、ふいにアリアの前に(ひざまず)いていた。

「シ、シオン……ッ!?」

「アリア()

「!」

 驚きに目を見張ったアリアへと、シオンはその手を取ると、まるで騎士のように恭しくアリアのことを見上げてくる。

「生涯愛し、大切にすると誓います。私の妻に……、私と、結婚して下さい」

「……っ!?」

 膝をつき、真摯にアリアを見上げてくるシオンの姿は、まるで"特別な一枚絵(スチル)"を見ているかのようで。

(ど、どうしよう……!)

 "ゲーム"のシオンファンであるアリアが、脳内で歓喜の声を上げてしまう。

(カッコよすぎるんだけど……!)

 しかも、すでに"フルール"姓ではないこともあってか、こんな時だけ"姫"呼びだ。

 そういえば、"ゲーム"の中でも時折ふざけてユーリのことを"姫"呼びしていたことを思い出せば、益々(ますます)狂喜乱舞してしまう。

 "あちらの世界"の記憶を持つアリアは、どうしたってミーハー心に振り回されてしまう運命だ。

「……アリア? 返事は?」

 そこで、未だその手を取ったままのシオンから、くす、とからかうような目を向けられて、アリアはきょとん、と不思議そうに目を瞬かせてしまう。

「え……」

 ――返事、というのは。

 すでにシオンとは夫婦となっているけれど、それでも。

 これは、あの時叶うことのなかった夢の再現(つづき)だから。

「……ぁ……」

 今さらながらそのことに気づいたアリアは小さな吐息を洩らし、それからふわりとした花のような微笑みを浮かべていた。

「……はい。喜んでお受け致します」

 何度、同じ問いかけをされたとしても。

 何度でも、アリアは同じ答えを返すだろう。

 百回でも、二百回でも。千回でも、一万回でも。

 いつだって、シオンの隣で笑っていたいと思うから。

「アリア……」

 海の光に満ちた幻想的な教会の中。

「愛してる」

 シオンはアリアの手の甲にキスを落とし、それからゆっくりと立ち上がる。

「……うん。私も……」

 さらりと長い髪を撫で下ろされ、そのまま頬へ伸ばされた手に、促されるまでもなく少しだけ上向いて目を閉じた。

「……アリア……」

 静かに重なった唇に、どこからか祝福を意味する教会の鐘の音が聞こえた気がした。





 *****





 二人並んで海辺を歩いていた。

 季節は春から夏へと移り変わろうとしていて、こうした天気のいい日は、ワンピースのような軽やかなドレス姿がちょうど良い。

 長く白いレースの裾を揺らしながら、目の前に広がる蒼い海を前にして、アリアはシオンの方へと振り返る。

 ウェントゥス家の別荘が建てられた広大なこの場所は、今はアリアとシオンだけのプライベートビーチとなっていた。

「……ねぇ? シオン」

 それだけで、アリアの言いたいことを悟ったのだろう。シオンの顔が、物言いたげに顰められる。

「……風邪をひく」

「ちょっとだけだから」

 そう上目遣いでねだるアリアは、すでに靴を脱ごうと手を伸ばしているところだった。

「アリア」

「だって、こんなに気持ち良さそうなのに」

 ぽかぽかとした暖かな陽光と、キラキラと輝く蒼い海。

 まるでおいでと手を広げて誘っているかのような海の世界に、水を愛し、愛されるアリアが惹かれないはずはない。

 せめて足だけでも水の感覚に浸りたいと、アリアは渋るシオンの説得を試みる。

 そうして、ダメ? と見上げられるその瞳に、シオンは諦めたような溜め息を洩らしていた。

「……少しだけだぞ」

「うん」

「すぐに戻るからな」

 まるで大人が子供を諫めるようなその物言いに、アリアは困ったように小首を傾ける。

「……シオンは案外心配性なんだから」

 アリアが滅多に風邪もひかないくらい丈夫であることも、今靡く海風が、夏を運ぶ暖かなものであることもわかっていて、それでもシオンは万が一を考えている。

 ――本来のシオンは、他人を思いやるような、そんな性格ではないはずなのに。

「お前だけだ」

 断言され、アリアは困ったような、嬉しいような、そんな複雑な苦笑を溢す。

 ……知っている。

 相手がアリアだからこそ、人一倍心配性になることも、その上で我が儘を叶えてくれることも。

「ねぇっ、シオンも……っ」

 ワンピースドレスの裾を上げ、ぱしゃぱしゃと楽しそうに浅瀬を歩き出したアリアは、軽く水を蹴り上げながらシオンを誘う。

 その素足からはキラキラとした水が舞い、アリア自身を輝かせているかのようなその景色に、シオンは深々とした溜め息を吐き出していた。

「……全く、お前は」

 いくらアリアに絆されていようと、さすがに海に入ってはしゃぐようなことはできず、シオンは数メートル先で楽しそうな笑顔を浮かべているアリアを見守るように目を細める。

 本当に楽しそうに水を蹴るアリアは、どこか幻想的でさえある。

 だが、シオンと目の合ったアリアが幸せそうに微笑んで、くるりとレースの裾を翻した時。

「アリアッ、足元を良く見……っ」

 シオンの視界にちらりと映った、どこからか流れてきたのであろう長い水草。

「っきゃあっ!?」

 シオンが慌てて駆け寄ろうとしてもすでに遅い。

 ――ぱしゃん……っ、と。

 水草に足元を捕られたアリアは、身体半分を海に沈めてしまっていた。

「……だからお前は本当に……」

「ご、ごめんなさい……」

 シオンから差し出された手を取って立ち上がりながら、アリアは子供のように転んでしまったことへの羞恥心にほんのり顔を赤らめながら、申し訳なさそうに謝罪する。

「でも、思ったより暖かかったから大丈……」

 足を水に浸けた時にも思ったが、夏に向かう海の水は、心地よい程度の冷たさで、身体が震えてしまうまでの寒さはない。

 アリアは濡れた身体でシオンを見上げ、

「……シオン……?」

 じっ、と自分をみつめてくる双眸に、不思議そうに首を傾げていた。

「……どうかし……、ん……っ?」

 ふいに影のできた視界。

 と、すぐに唇へと柔らかな感触が伝わって、アリアは驚いたように目を見張る。

「シ、シオン……っ!?」

「……潮の味だな」

 ペロリ、と。それを確認するかのように唇を舐め取ったシオンの仕草は、思わずドキリとしてしまうほど色っぽい。

「甘いのかと思ったが」

「っ!」

 親指の腹で唇を辿られて、一気に顔へと熱が籠る。

 確かに、先ほど跳ね上がった水滴で唇も少し濡れていたが、海水が甘いはずがない。

「全部計算か?」

「え……?」

 と。

「っ!? きゃぁ……!?」

 シオンが落とした視線の先。そこでは、濡れた生地から白い肌が透けていて、途端羞恥に駆られたアリアは、小さな悲鳴を上げていた。

「そ、そんなはず……っ、あ……っ!?」

 濡れて透けた腹部をそっと撫でられて、アリアはびくりと身体を震わせる。

「肌が透けていて、まるで水の女神か妖精みたいだな」

 今日のアリアは、ふわりとした白いワンピースドレスを着ていた。濡れたそれが肌に密着しているその姿は、まるで水浴びをした後の女神か妖精のようで。

 くす、と楽しそうな笑みを洩らし、シオンは下着まで透けている胸元へと手を伸ばす。

「それとも男を誘惑するセイレーンか?」

「あ……っ」

 優しく胸元を掬われて、びくりと肩を揺らしたアリアは、羞恥で潤んだ瞳でシオンを見上げ、ふるふると首を横に振る。

「シ、シオ……ッ」

「ここなら誰もいないしな」

「っ!」

 くすりと意味ありげに引き上がった口の端に、アリアは大きく息を呑む。

「このまま歌声(・・)を聞かせてくれてもいいんだが」

「待……っ、部屋、に……っ」

 濡れた身体を抱き込んでこようとするシオンに、アリアは必死に腕を突っ張ねる。

「シ、オン……ッ」

 広がる視界の何処にも、アリアとシオン以外の姿はない。

 けれど、隠れる場所もなにもない、こんな開放された空間で、これほど明るい空の下で。

 一体なにを考えているのだろうと動揺するアリアへと、シオンは赤くなった耳元で囁いてくる。

「……部屋に戻ればいいのか?」

「っ」

 一瞬息を呑んだ後、アリアはこくりと首を縦に振る。

 アリアがシオンを拒否する理由など、もはやない。

「……仕方ない。夜まで待ってやる」

 だが、一通りアリアをからかって気が済んだのか、シオンはくすりと笑うとあっさりと濡れた身体を解放した。

 とはいっても。

「一度戻るぞ」

 そう言って手を差し出され。

「……うん……」

 アリアはその手を取ると、シオンと共に歩き出していた。

次回はRかな?と思っています。(こちらでは省略です)

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