結婚行進曲 1
桜の花弁が舞う中で、三年の時を過ごした魔法学園を惜しみながら後にして約1ヶ月。
卒業してからは息をつく暇もないほど目まぐるしい日々が続いており、この日まではあっという間の出来事だった。
今日は、アリアの19歳の誕生日。
そして、偶然にも休日だったこの日は、シオンとの結婚式を挙げる日でもあった。
全身がカットレースで作られた、俗に言うAラインの美しいウェディングドレス。Vネックのボレロからは綺麗なデコルテラインが覗き、長袖の花柄のレースからは白い腕が透けて見えている。
背中には花を模した大きなフリルと、そこから流れるレースのロングトレーンは、豪奢すぎない華やかさを生み出していた。
「……アリア様……。本当に素敵ですわ……」
「本当に、とてもお綺麗で……」
ドレスを仕立てた裁縫師や着付けの手伝いをしていた女性たちがうっとりとした感嘆の吐息を洩らしてきて、アリアもまた鏡に映る自分の姿を見つめながら恥ずかしそうに微笑んだ。
「ありがとう」
サイドから後方まで編み込まれた髪はアップにされ、そこには白い花が飾られている。
耳元を飾るイヤリングも、胸元で輝くネックレスも、金に糸目をつけないシオンがここぞとばかりに投資した為、超一流品ばかりだ。
ラメとパールの入ったパウダーを軽く叩かれた肌もキラキラと輝いていて、アリアは思わず鏡の中の自分に見入ってしまっていた。
(……これが、私……?)
"アリア・フルール"が美少女であることは知っている。なにせ、"主人公"であるユーリが、本当にシオンに選ばれるのが自分でいいのかと劣等感を抱いてしまうような相手として設定されている"キャラクター"だ。だが、とはいえここは"BLゲーム"の世界。どんなに妖艶な美人も可憐な美少女も意味を持たないのがこの世界だ。だからアリアは、自分の容姿を自覚していても、意識したことは全くないと言っていい。
それでも、"女"として生まれた者が、人生で一番輝くであろうこの日だけは。
(…………)
鏡に映る自分の姿を上から下まで全身見下ろして、突然恥ずかしくなってくる。そこにいるのは、文句のつけようがないほど綺麗な少女。
本当にこれが自分なのかと、つい動揺してしまっていた。
そこへ。
――ココン……ッ。
扉を叩く軽いノック音が響き、室内の女性たちが意味ありげな瞳をアリアへ向けてくる。
「シオン様ですわね」
「きっと驚かれますよ」
そうしてふふふ、と笑いながら扉へ向かった女性が室内へと招き入れたのは、予想を違うことなくシオンだった。
「アリア」
「っシオン」
声をかけられ、なぜかドキドキと高鳴る鼓動を感じながら振り向いた。
「…………」
「…………」
目が合って、アリアを凝視したシオンはなぜか沈黙する。
「……シ、シオン……?」
ドキマギと、胸へと変な緊張が滲んでくるのはなぜだろうか。
「……いや……」
しばし時を止めていたシオンは、すぐに思い直したかのようにいつも通りの無表情を貼り付ける。
だが。
「こんなに綺麗な花嫁様は見たことありませんわ」
まるでシオンの心中などお見通しだとばかりに笑った女性は、その笑顔を消すことはないままに悪戯っぽい瞳を輝かせていた。
「……そんなこと……」
いくらなんでもお世辞が過ぎると、恥ずかしそうに頬を染めるアリアへ、女性は益々笑みを深くする。
「本当ですわ。……シオン様もそう思われますでしょう?」
ふふ、と向けられる柔らかな瞳。
「……あぁ」
一瞬の間があった後、表情一つ変えないシオンがそれに頷いて、アリアはかぁぁぁ、と顔へと熱が昇っていくのを感じていた。
それが、感情の見えない淡々とした一言だったとしても、シオンは決してお世辞などは口にしない。つまりその同意がどういうことかと考えれば、答えは一目瞭然だった。
「……シ、シオンも……」
二、三歩先に立ったシオンを見つめ、アリアはさらに顔を赤らめる。
「……っすごく、カッコいい……っ」
その言葉に、シオンが一瞬僅かに目を見張ったが、うるさいほど高鳴る自分の心臓の音に翻弄されていたアリアはそれに気づくことはない。そして、今まで心の中で思ってはいても、本人を前にしっかりと口にすることが初めてかもしれないことも。
シオンは、騎士服にも似た正装に身を包んでいた。白を基調としながらも、首元や腕部分はシオンのイメージカラーである黒色に、金色の刺繍が覗く。黒いブーツはシオンの足の長さを主張していて、これでマントや剣まで携えていたならば、アリアは瞬殺されていたかもしれない。
自分が"軍服萌え"だった自覚はないが、今のシオンは"腐女子"の理想を全て詰め込んだかのような姿をしていた。
これが、女装したユーリを相手にしているというのなら、ミーハー気分できゃーきゃーと見悶えることができるのに、相手が自分ともなると勝手は大きく変わってくる。
シオンは"ゲーム"の"メインヒーロー"で、彼女の"最推しキャラ"。本当に自分がシオンと結婚してしまっていいのかとすら思ってしまう。
そんなアリアとシオンの醸し出す空気感に、周りの女性たちはまぁまぁ、と、照れたような微笑ましいような雰囲気でもって二人を見守っていた。
と、なにを思ってか、ふと辺りに視線を向けたシオンは、静かに口を開いていた。
「……少しだけ席を外して貰えるか」
「……シオン?」
このタイミングでなにをと戸惑うアリアに、周りの女性たちも迫った時刻を気にして僅かに迷う様子を見せる。それでも互いに窺うように視線を交わしながら、促されるままに扉の方へと向かっていた。
「……挙式までもう時間がありませんから、本当に少しだけですよ?」
準備はまだ全て整ったわけではない。外へ足を向けながらかけられた困ったような女性の声に、シオンはわかっているとばかりの視線を返す。
「5分もあればいい」
「畏まりました」
最後に扉の向こうに消えた女性が深く頭を下げ、その扉がパタリと静かな音を立てて閉められた後。
「……アリア」
「っは、はい……っ」
二人きりになった空間で、途端緊張感が強くなったアリアは、思わず上擦った声を上げてしまっていた。
「……緊張してるのか?」
「そ、それはもちろん……」
一方、シオンはといえば、相変わらず涼しい顔でくすりと笑い、悠然とアリアの前まで歩いてくる。
その見惚れるような姿にドキドキと胸を高鳴らせてしまいながら、アリアはこくりと息を呑む。
なにをそんなに緊張することがあるのかと思ってもよくわからない。
確かに今日の主役はアリアだが、王族の結婚式などとは違い、絶対に失敗してはならない儀式があるわけでも、やんごとなき招待客が首を揃えているわけでもない。
そう考えると、この緊張感はもしかしたら。
「隣にいる」
「っ」
淡々とした、けれど心の込められた強い言の葉に、アリアの瞳はゆらりと揺れた。
「これからは、ずっと」
長いシオンの指先が愛おしそうにアリアの頬へと伸ばされて、触れられるその感触にドキドキする。
「お前が嫌だと言っても、離してやったりしない」
「っ、そ、んなこと……」
シオンのことを嫌だと思うことがあるなんてことはきっとあり得ない。
それが例え恋ではなかったとしても、アリアは初めからシオンのことが好きだった。
それが、いつの間にかかけがえのない人になっていて。
失いたくない……、誰よりも大切な存在になっていた。
「お前のことを愛してる」
「っ」
静かで真摯な瞳に見下ろされ、どう言葉を返していいのかわからない。
「世界中の誰よりも。世界の全てを敵に回しても、お前だけは譲れない」
「……シ、オン……」
淡々と語られる、けれど真剣で嘘偽りのない低い声。
その言葉に、胸へとじんわりとしたものが溢れてくる。
「なにがあっても守り抜いてみせる。オレの全身全霊をかけて愛すると誓う」
――だから。
「オレの、妻になってくれ」
そんなことは今更だ。
結婚して欲しいと告げられて頷いた。
一度目は、アリアを魔王の手から逃そうとした時に。
二度目は、その魔王からアリアを守り抜いた時に。
そうでもなくとも、アリアとシオンはずっと前から婚約を結んでいて、よほどのことがない限りはこの婚姻が覆ることはない。
それでも。
「……はい」
じわ、と涙が浮かびそうになるのを必死で耐えながら微笑んだ。
シオンから向けられる愛情を疑ったことは一度もない。
なぜユーリではなく自分が、とは未だに不思議に思うけれど、シオンに愛されている自覚はある。
それでも、嬉しい、と暖かな幸せが胸に広がっていくのは、アリアもシオンに同じ想いを抱いているからだ。
「ずっと、傍に」
「……はい」
見つめ合ったまま頷いた。
「愛してる」
真っ直ぐな瞳に見下ろされ、いよいよ涙腺が危なくなってくる。
ここで、泣くわけにはいかないのに。
「……綺麗だ」
そんなことは絶対に口にしない性格のシオンから向けられる眩しそうな瞳。
「っ」
「お前はもう、オレだけのものだ」
そっと頬を愛撫され、言い聞かせるような強い声が落ちてくる。
「誰にも渡さない」
「……シ、オン……ッ」
「今日は、それを世界中に見せつけてやる為の日だ」
「っ」
本来煩わしいはずでしかないはずの結婚式を、シオンが自ら進んで押し進めた理由。
「なにがあっても守る」
向けられる真摯な瞳と言葉に、アリアはなぜ自分がここまで緊張していたのかを理解した。
それはきっと、今日から本当の意味でシオンの妻となることに、神経が張り詰めていたからだ。
「お前はオレの隣で笑っていればいい」
それらの言葉は今日のこの日のことでもあり、これからの未来のことでもある。
――シオンの隣で、ずっと幸せに微笑んで……――。
そこで時間切れを知らせる軽いノック音が耳に届き、「そろそろいいですか?」と先程の女性が顔を覗かせた。
「あぁ」
頷いて、シオンはアリアを見つめてくすりと笑う。
「準備ができたら行くぞ」
「世界中に、見せつけてやる」
――この少女が、唯一自分だけのものだということを。