世界が、今日も幸せでありますように。
「……マ、グノリア……?」
レイモンドの瞳が大きく見開かれ、ごくりと緊張に息を呑む。
「……これは、空の指環と光の指環の中に込められた彼女の残留思念が形になっただけの存在だ。彼女そのものなわけじゃない。……それでも」
そこに浮かび上がったのは、過去の想いが形となっただけの残像。意志の疎通ができるわけではなく、一方的なもの。それでも指環に残された想いを直接伝えることはできると、シャノンは静かに少女の残像とマグノリアとを見守っていた。
『……私は、貴方を苦しませてしまっていませんか?』
まるで空気中に投影された立体的な"ビデオレター"のようだと思いながら、アリアは困ったような、哀しそうな、そしてとても心配そうな表情をした少女をみつめていた。
二人の"主人公"が揃って生み出す奇跡。もしかしたら、と思った"王道パターン"がこうして実現したことに、アリアは驚きながらもほっと安堵する。
きっとこれが、本来の"ゲーム"の流れに違いない。
『ネロ様も……』
自分の名前が出たことに、ネロの肩が僅かに反応した。
だが、少女の残像は、すぐ近くにいるネロの存在にはもちろん気づくことはない。
『あの方も。なにも悪くないのに』
レイモンドとネロの瞳には、哀しげに微笑む少女の姿が映り込む。
『……私たちのせいで』
きっと、指環に光が灯らなかったことを自分のせいにして苦しんでいるのだろうと、少女はそっと目を落とす。そこには、純粋にネロのことを思う暖かな気持ちが伝わってきても、僅かな恨みも辛みも見えることはなかった。
『私は……、私たちの選択肢が間違っていなかったことを、ずっと願っています』
別離を選んだことは、他ならない自分たちの意志。
そして、人間界と妖精界とを繋ぐ扉を閉ざしたことの意味。その為に多くの困難が待ち受けていたとしても、いつの日か、明るい未来が来ることを願って。
『みんな、笑っているかしら?』
レイモンドとネロを始めとした六人の精霊王と妖精たち。決して楽しいことばかりではなかったけれど、守りたいと願った人間たちの世界。
笑顔が溢れていますようにと、少女は願う。
『レイ……、貴方も。幸せになってほしい』
それは決して、自分以外の誰かと添い遂げて欲しいという意味ではなく、責任感が強すぎる為に、その重圧に押し潰されることのないように。
『私は、貴方に会って、とても幸せだった』
一方的に語られる言葉は、レイモンドの心に届いても、微笑む視線と重なることはない。
「……わかっている」
それでもレイモンドは深く頷き、優しい眼差しを向けていた。
『人間界と妖精界に、明るい未来が訪れることを祈っています』
まるで締めくくりのようなその言葉に呼応するように、キラキラとした光が舞った。
『きっと、大丈夫……』
胸に手を置き、少女はそこにいるであろう恋人へと優しく問いかける。
『そう、信じていていいのよね?』
「マグノリア……ッ」
少しずつ空気に溶けていく姿に、レイモンドの手が空を切る。
『レイ……』
掴むことなく素通りした手。けれどその瞳はまるで恋人の姿を見ているかのように、そっとレイモンドの頬へと伸ばされた。
『大好きよ。ずっと、貴方のことを想ってる』
微笑む少女の瞳に涙が浮かんだように見えたのは気のせいか。
恋人へと愛の言葉を囁いて、少女は光の舞う空気の中へと消えていく。
『……遠いところから、ずっと見守っているから』
祈るように指を組み、柔らかく微笑んだ。
『世界が、今日も幸せでありますように』
そうして光と共に姿は消え、後には沈黙だけが残された。
「……マグノリア……」
ぐっと拳を握り締め、唇を引き結んだレイモンドは、今、なにを思うのか。
「……」
そこから少し離れた位置で、ネロもまたじっと消えた少女の姿をみつめていた。
「……っシャノン……ッ!?」
「ユーリ!?」
と、ほぼ同時に力尽きたように二人が倒れ込み、完全に休眠状態に入ってしまったシャノンはアラスターの腕に抱き留められ、ユーリは伸ばされたシオンの腕に、ふらふらと覚束ない様子で縋りついていた。
「……ったく、無茶するんじゃねーよ」
眠ってしまったシャノンに、アラスターがやれやれと声をかければ、
「お前もだ」
ふらふらなユーリに手を貸しながら、シオンも呆れたように嘆息する。
「そりゃ、無茶くらいするよ。アリアの為なら」
ユーリはニッ、と強気に笑い、その言葉にふとなにかを思い出したようにシオンの視線がアリアへと投げられる。
「……あぁ」
「っ」
瞳の奥になにか思うところがありそうなシオンの視線と目が合って、アリアは思わず息を呑む。
その一方で。
「……終わりました、ね……」
「……そうだな」
どう話を切り出したらいいものかと悩む様子を見せながら、リオが口にした当たり障りのない安堵の言葉に、レイモンドは深い頷きを返していた。
「ご協力、感謝致します。本当にありがとうございました」
「……礼を言うのはこちらの方だ。我々は当然のことをしたまでに過ぎない」
真摯に気持ちを伝えるリオの感謝に、レイモンドは緩く首を振る。
魔王は元々、人間界と妖精界との共通の敵。そして、レイモンドたちはギルバートを始めとした人間界に借りがある。
「これからは……。人間界と妖精界が、共に手を取り合っていける世界を作りたいと思っています」
「……そうだな」
高い理想を抱き、真っ直ぐ向けられるリオの強い瞳に、レイモンドもまたほんの少しの逡巡の後に同意する。
そんなリオとレイモンドの高尚な会話を耳にしながら、シオンは傍にやってきたルークにユーリを預けると、アリアの元へと足を運んでいた。
「……アリア」
「シオン」
これで全てが終わったかと思ってシオンの顔を見ると、どっと疲れが押し寄せてくる感じがして身体から力が抜けてしまう。大丈夫だと信じていても、それでも心のどこかで最悪の事態を考えて恐怖していたことを実感させられてしまえば、極度の緊張感から解放されて泣きたくすらなってしまう。
だが。
「お前は……、またなにをしようとした」
「? なに、って……?」
気が抜けかけたアリアへと苦々しい表情をしたシオンの低い声がかけられて、どこかぼんやりとした瞳が向けられる。
「まさか、魔王にまで同情して……」
「っ、そんなこと、あるわけが……っ」
それは、アリアが魔王に取った行動の一部について言及しているのだろう。
魔王の"異分子"発言に対し、動揺が生まれたことは確かな事実。だからといって、魔王の元へ行こうかと悩んだ訳ではない。確かに、"あちらの世界"に還るべきなのかとは一瞬頭に過ったけれど。
そんなアリアの事情など知るはずもないシオンには、魔王に同情したアリアがその手を取ってしまうのではないかという風に映ったとしてもおかしくはない。
「前にもオレは言ったはずだな? 今度また無茶な真似をしたら……」
慌てて否定したアリアへ疑いを残したまま、シオンからは不穏な空気が滲み出る。
「っ! っしてない……っ! してない……っ、でしょ……!?」
じりじりと迫ってくる気配のするシオンへ、アリアが懸命に首を振った時。
「……シオン。お前、それ違う」
ルークに肩を借りたユーリから、疲れた吐息混じりの突っ込みが入れられていた。
「ここは、とりあえず怒るところじゃなくて抱き締めるところだ」
まぁ、気持ちはわかるけどな。と続けられた呟きは、言葉そのまま、ユーリも相変わらず無茶に見えるアリアの行動に呆れているということなのだろう。
それでもまずは、怒るよりも愛しい少女を失うことのなかった幸福を喜ぶべきだと告げるユーリに、アリアはまた別の意味で動揺してしまう。
「ユ、ユーリ……ッ。なに言……っ」
「……まぁ、それもそうだな」
「シオン……!?」
こんな大勢の人の目のあるところで本当に実行に移す気かと慌てるアリアに、けれど目の前にいるシオンは真剣な目を向けてくる。
「アリア」
「っ」
自分のことを真っ直ぐみつめてくる瞳に息を呑む。
ただアリア一人だけを映し込む、その瞳には逆らえない。
と。
「受け取るな?」
「……え……?」
上着の内ポケットから取り出された小さな箱に、アリアはぱちぱちと不思議そうに目を瞬かせる。
掌の上に、簡単に収まってしまう小さな箱は。
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活動報告に記念SSを掲載致しましたので、よろしければ覗いて下さいますと嬉しいですm(_ _)m