空の指環
かつて、魔力が弱まり、討伐の魔力を失い、封印すらも怪しくなり始めた世界で魔王が復活した時。力ある一人の王族が自らその身を喰わせることで、内側から魔王の力を抑え込んだ。
そうして自分の身ごと魔王を封印し、以降、復活する度に魔王の中に在る彼の存在に助けられ、なんとか封印を果たしてきた。
だが、人間は限られた命の中で生きる儚い存在だ。魔王と共に永い永い時間を生きる中で、彼も少しずつ魔王に溶け込み、本来の意思を失いおかしくなっていった。
ある時、本格的に封印の魔力すら失った世界に、永い眠りにつく為の条件を乞われ、一人の少女を贄とするよう求めたのは、完全に闇の力に意思を蝕まれた彼だ。それでも、世界を滅ぼすのではなく、一人の少女を犠牲にするだけで破壊活動を止めたのだと考えれば、彼は魔王を充分抑え込んでいたと言えるのかもしれない。
孤独な彼にとって、心優しい少女たちは、ほんの一時でも安らぎを得られる存在。それだけで狂いながらも失いかけた理性が留まり、僅かながらも正気を取り戻すことができた。
「……魔王の生み出す強大な魔力を、こうして俺たちが利用できているのも、元はといえば彼――アレス殿下のおかげだ」
そうですよね? と、シャノンがリオへ目だけで問いかければ、その事実をこの魔王復活の騒ぎの中で知った若き皇太子は、苦渋の表情で頷いた。
特殊能力を使い過ぎた為か、魔王の混沌とした意志に触れた為か、シャノンの顔色はとても芳しいと言えるものではなかったが、それでもふらふらとする身体をアラスターに支えられながら、自分の知った真実を口にしていた。
「……そ、んな……」
人間が、弱まった魔力を補う為に、眠っている魔王から魔力を搾取していると聞いた時、正直アリアは寒気がした。目覚めれば世界を滅ぼそうとする脅威の存在さえ、人間は自分達の都合で利用している。
ただ、今さら元には戻れない。"あちらの世界"で"電力"を失った生活ができないように、この世界は魔力に支えられて生活している。
その時アリアは、まるで"原子炉"のようだ、とふと思った。一度暴走すれば人々を脅威に陥れる存在。それでも、その脅威を制御して頼らなければ、人々の安定した生活を作ることはできない。それに代わるものを生み出す為には、この先かなりの時間を用することになるだろう。
「アレス殿下は、ただひたすらに、自分の愛した国の人々が幸せであることを願っている」
愛する国と人々の為に、自らの身を犠牲にしたかつての王子。精神に異常をきたしてさえ、彼の、人々の幸せを思う願いは変わらない。
例えほとんどの意識を闇に呑まれ、一人の少女を贄に求めることに、なんの疑問も罪悪も抱くことがないほど精神を蝕まれていたとしても。
永遠とも言える時の中で、闇の狂気と闘いながら、それでも人々の為にと微笑み続けることのできる強い意志。
たった一つ。彼の愛した人々の幸せを願って。
「――マグノリアさんと一緒ですね」
そこで、シャノンは唐突にレイモンドへ話を振り、その複雑な微笑にレイモンドはほんの一瞬目を見張る。
それからどこか遠い目をして、静かに口を開いていた。
「……彼女は、空の魔力の始祖だ」
「……え……?」
そっと語られた驚愕の事実に、アリアは瞳を瞬かせる。
「空の魔力は特殊で光に近く、一番歴史も古く格式高いものだと思われているかもしれないが、事実は逆だ」
時は、遠い遠い古き時代にまで遡る。人間界も、妖精界と同じく、水・土・風・火、そして光と闇の魔力から成り立っていた。それらの魔力は交わることなく、独立したものだったという。
「世界が魔力に溢れていた当時、光の魔力を持つ者のみが生まれていた王家の中で、彼女は落ちこぼれだった」
まだ小さな国々が点在するだけの古き時代。光の魔力を持つ者が国を治め、その統治者は"王族"として尊ばれていた。
そんな古き時代の王家は近親婚が当然で、光の魔力を持つ者しか生まれてはこなかった。そのはずが。
「影で、よく泣いていた。そこで私たちは出逢った」
なんとなく、想像できる気がした。
光の魔力を継ぐ王家の中で、唯一、その魔力を持たない存在。"落ちこぼれ"で済めばいいが、時には虐げられ、もしかしたら不義の子と後ろ指さされるようなこともあったかもしれない。
「後から思えば、彼女は新たな可能性をこの世に生み出す為の要の存在だった」
空の魔力は、水・土・風・火、の、四つの魔力を光へと繋ぐ魔力。
魔族の持つ闇以外の魔力は、その後、互いに交わり合いながら、あらゆる"魔法"を構築し、進化してきた。そのきっかけとなったのが、マグノリアの持つ"空"の性質。"空"の魔力が格式高いと言われているのは、この辺りの理由から来ているのかもしれない。
「そんな彼女だからこそ……、世界は彼女を手離すことを拒んだのかもしれない」
レイモンドのその独白は、二人が共に生きることができなかった理由が、"仮初めの指環"に光が灯らなかったことだけが理由ではないことを表していた。
「我々は、納得した上で別々の世界で生きることを選んだ」
一度繋いだ手を離した二人。
人間界と妖精界の間でなにが起こったのか。
「そなたたちの中に、彼女は今も生きている」
"空"の魔力はこうしてアリアたちの中に脈々と受け継がれていると、レイモンドは懐かしむような瞳をして語っていた。
「……マグノリア……」
(……あ……)
そうしてレイモンドの瞳がルイスの持つ指環へと向けられて、アリアはふと思い立つ。
妖精界の神殿で奉られている指環は、己の意思を持っている。
先ほどの闘いの中でレイモンドを守った空の魔力は、恐らく空の指環の中に在るマグノリアの意思が形となったもの。ほんの一瞬の幻は、想いの奇跡が生んだものかもしれないけれど。
精神感応能力という特殊な能力を持つシャノンにだけ視ることのできる、指環の中の聖獣の存在。
そして――、"奇跡の光魔法"を持つユーリ。
もしかしたら、と思った。
マグノリアの空の指環と、レイモンドの光の指環。
「……あの……、ルイス様」
おずおずと歩み寄り、アリアはすでにリオの傍に控えているルイスを見た。
「なんだ」
リオの不思議そうな瞳がアリアに向けられるのと同時に、ルイスの顔が顰められる。
「その……、指環を、貸して頂けませんか?」
今はルイスの指で輝く空の指環を示し、アリアの瞳が遠慮がちに上げられる。
「……アリア?」
ルイスの隣でリオが瞳を瞬かせるのに、アリアは曖昧な表情で苦笑する。
「ちょっとだけ、試してみたいことが」
「……ルイス」
なにかを考えているらしいアリアの様子に、リオはルイスへ指環を渡すように声をかける。そもそもこれらの指環は自分達のものではない。アリアの願いに応えてリオが寡黙な側近へと促せば、ルイスは特になにかを言及することもなく己の指から空の指環を引き抜いていた。
「なにをする気だ」
「……いえ……、ちょっと……」
自信なさげに苦笑して、アリアはぺこりと頭を下げるとユーリとシャノンの元へ駆けていく。
「ユーリッ、シャノンッ」
「「?」」
揃って向けられる"主人公"二人の不思議そうな大きな瞳には、思わず笑みが零れてしまう。
「ちょっと、この指環をしてみてくれない?」
「は? なんだよ突然」
そうしてシャノンへ空の指環を差し出せば、案の定意味がわからないと構えるような気配があって、アリアは申し訳なさそうに肩を小さくしていた。
「……シャノンは……、ちょっと大変かもしれないけど……」
指環には、たくさんの強い想いが込められている。それに直接触れることは、精神感応能力を持つシャノンにとっては苦痛を伴うことかもしれない。
けれど。
「……いいよ。してやる」
僅かな逡巡があった後、シャノンは小さく肩を落とすとアリアへ掌を向けていた。
「……ありがとう……」
ほっと吐息をつきながら、アリアは嬉しそうな笑みを溢す。
それを意識の端に捉えながら、シャノンは受け取った指環を己の中指へと滑らせて――……。
「――――っ!」
「っ! シャノン!?」
瞬間、びくりと肩を震わせた親友へ慌てた様子のアラスターの声がかけられて、シャノンは一つ大きな深呼吸をすると、静かに顔を上げていた。
「いや、大丈夫だ……」
自分の特殊能力を制御するように、浅い呼吸を繰り返す。
と。
「ユーリッ、指環が……!」
驚いたようなルークの声が上げられて、シャノンへ向けられていた意識がユーリの手元で輝く指環へと集まった。
「祈って……!」
思わず、アリアは声を上げる。
誰にも見えない精神的存在を視ることのできるシャノンと、奇跡の光魔法を持つユーリ。この続編で、"最強主人公"二人が揃う理由。
訳がわからないながらも、アリアに促されるままにユーリは目を閉じ、指環へと魔力を注ぐ。すると、そこから光が溢れ、今度はシャノンの持つ指環へと流れていく。
それに呼応するかのように空の指環も瞬いて、気づけば光の灯った双方の指環は、惹かれ合うようにその輝きを交わらせていた。
『……レイ』
微かに鈴の鳴るような声が聞こえ、今にも空気に溶けて消えてしまいそうな朧気な姿が浮かび上がる。
ふわふわとウェーブした金色の長い髪。薄いピンク色のドレスを着た可愛らしい少女は、キラキラと輝く光の中で優しく微笑んでいた。