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シオンがアリアの両親から許可を得て以来、アリアはウェントゥス家とアクア家で交互に過ごすような生活を続けていた。だが、いよいよ魔王が復活するとなればシオンがアリアを手離すはずもなく、アリアはシオンに抱き込まれるようにして眠る夜を過ごしていた。
"ゲーム"は"ハッピーエンド"が基本的な"お約束"なのだから、必ず封印は果たせるものと信じている。それでも魔王が目覚めることに、不安を感じないわけがない。それが、シオンの腕の中にいるだけで和らいでいくのだから、どうしようもない自分の気持ちを自覚する。
なにがあっても、共にいてくれると言った。
その言葉を、心の底から信じられた。
それだけで、強くいられる気がするのだ。
けれどその日、シオンはどうしても譲れない用事があるということで、ほんの短い間だけ、ユーリにアリアを任せて一人で出かけていた。
最初は僅かな振動から、大きな地鳴りへと。
見上げた王宮の空へは黒く淀んだ空気が立ち上ぼり、その直後、巨大な神聖結界が張り巡らされていた。
「! アリア……ッ!」
地震の余韻に人々が混乱に陥る中。結界の中央にある王宮を降り仰いだシオンは、忌々しげな舌打ちを洩らすとすぐさま風を纏って駆け出してきた。
*****
「な、なに……っ!?」
ぐらぐらと揺らぐ大地に、アリアは反射的に周りの安全を確認していた。
ここは、シオンの自室。天井まで届く本棚が倒れることはなかったが、そこにびっしりと収められた本の数々は、バラバラと床へ落下した。
「アリア……ッ」
同じようなことを考えたのだろう。この室内で一番安全なのは、周りに落下物のなにもないソファ周りだ。たまたま二人でお茶をしていたことが幸いし、ユーリの瞳がアリアへその場から動くなと伝えてくる。
「! カップが……!」
「落ちても割れない……!」
ガタガタと揺れるティーカップは小刻みの振動で移動して、思わず声を上げたアリアに、ユーリの冷静で厳しい声が飛ぶ。
確かにソファセットの下に最近敷かれるようになった絨毯は毛足が長く、割れ物が落ちたとしても柔らかく受け止めてくれるだろう。
そんなユーリはとても頼もしく、辺りを――、否、不吉な気配を探るような目つきを見せた後、ひたりとアリアを見据えていた。
「……行くよ」
ぴた……っ、と振動が止まったのが合図だった。
「っ!」
その意味を理解して、アリアの瞳は大きく見張られた。
「シオンは……、すぐ追いついてくるだろうから」
絶対的な自信を持って、ユーリはその場に立ち上がる。
「王家の扉へ」
「……っうん」
促すようなその視線に頷くと、アリアはユーリと共にウェントゥス家の扉の元へと向かっていた。
*****
「っ! ルイス様……!」
転移装置である王家の扉をくぐり抜けた先では、ルイスが単独でアリアたちを待ち構えていた。
「リオ様は……っ!」
辺りに視線を投げても、当然ながらリオの姿はない。
「リオ様は先に行っている。お前たちが一番乗りだ。……ユーリ、場所はわかるな?」
「はい……っ!」
リオと共に封印の強化に当たっていたユーリは、魔王が眠りについている場所を知っている。アリアと共に先に行くことを促され、ユーリは真剣な表情で頷いていた。
「私は他の者とすぐに後を追う」
「っわかりました……!」
その時、また扉に光が灯った。
誰がやってくるのかはわからないが、他のメンバーも次々と合流を果たすだろう。
「アリア……ッ、こっち……!」
駆け出すユーリに呼ばれ、アリアも走り出していた。
そこは、王宮の深部にある、巨大な地下貯水槽のような場所だった。
地下に作られた、なにもない巨大な空間。雰囲気だけで言えば真っ白な病院を思わせるような部分もあるが、所々に青白い光も見える。まるで"チューブ"にも似た形状のそれは……。
「リオ様……っ」
「! アリアッ、ユーリ……ッ」
一人、神妙な面持ちでその場に佇んでいたリオが振り返り、これ以上前に出るなと目で示してくる。
「封印は……っ!」
アリアは初めて足を踏み入れる場所だが、ユーリはすでに知っているのだろう。
壁に這う青白いチューブのようなものが集まった先。魔王を眠らせる為に使われていたものだろうか。いくつもの魔法石らしきものが散らばった場所に、黒い靄のようなものが立ち上っていた。
「……たった今、消滅したところだ」
「「!」」
元の形状をアリアは知らないが、なんとなく、ガラスでできたドーム状のような結界が張られていたのではないかと思われた。
――『貴方たち人間が封印して利用しておいて、私たちには我慢を強いるの……!?』
――『……エネルギー源は魔王なんだよ』
そこから伸びるチューブのようなものは、恐らく魔力を搾取する為の特殊器具。
湯気が上がるように立ち上る黒い靄は不気味な感じがするにも関わらず、不思議と嫌な気配や恐怖心がないのはなぜなのだろうか。
「……来るよ」
こくり、と小さく息を呑み、リオが黒い靄の向こうへ緊張感溢れる目を向ける。
「……」
「……」
ユーリがアリアを庇うように腕を上げ、じ……、と虚空を睨み付ける。
ゆうらり、と。
闇の中から人影が見えたような気がした。
――の瞬間。
「「――――っ!」」
どこからともなく放たれた六種の光がその人影へと突き刺さり、四肢を絡み取るかのような動きを見せる。
アルカナを討伐した時に見た光景にも似たそれは、精霊王たちによるものだ。あの時と違うのは、各々の魔法が別々に四肢を拘束するのではなく、六つの魔力が合わさってまだ見えぬ人影を縛り付けているということだった。
「……お前を、自由にはさせない」
「このまま大人しく封印されな……っ」
厳かな声と共にどこからともなくレイモンドが姿を現し、次いでティエラの勇ましい声が響いた。
「……深い眠りを」
凛と響いたのはラナの声。
「借りはしっかり返す」
「ここらでオレたちの力を見せつけてやらないとな」
ゼフィロスとイシュムも姿を現し、前へと突き出した掌に更なる魔力を込める。
――……ゥオオオオ……ッ、オゥ……ッ
聖なる魔法に抗うかのような声が耳に届くが、それが魔王のものなのかどうかはわからない。
そうして。
「アリア……ッ!」
恐らくは、先頭に立っていたであろうルイスを追い抜き、風を纏ったシオンがアリアの元へと駆けてくる。
「シオン」
「肝心な時になにやってんだよ」
アリアは微かに肩の力を抜いてシオンを迎え、ユーリからはやれやれといった溜め息が洩らされる。
「お前も、少し待つくらいのことはしろ」
アリアと二人で先走られては堪らないと咎めるような目を向けたシオンは、どうやら二人が待っているかと自室に寄ったのが時間的ロスになっていたようだった。
「すぐに追いついてくると思ったし」
悪びれなく向けられる信頼だが、恐らくユーリは、共に封印強化をしていたリオのことが心配だったに違いない。事実、リオは一人でここにいたのだから。
「そういう問題じゃ……」
「状況は?」
今はそんな話をしている場合ではないと、真剣な瞳で辺りを見回しながら問いかけてきたのはセオドアだ。
「……今、精霊王たちが抑えてくれている」
そう言ってユーリが視線を向けた先には、暗黒の靄へと伸びる六色の光。
まるで光と闇が争っているかのように、キラキラとした光が漆黒の闇の周りでコントラストを描いているが、その中身は垣間見ることすらできなかった。
「このまま封印できれば一番だけれど……」
きゅ、と唇を噛み締めるユーリは、そんな上手くはいかないことをわかっているかのようだった。
「魔法陣はすでに描いてある」
そこへリオがやってきて、真剣な瞳をユーリへ向ける。
「ユーリ、まずはサポートを」
「はいっ」
頷いたユーリは、すぐに挑むような鋭い目付きで黒い靄へと顔を上げた。
よくよく魔力を込めた瞳で足元を見回せば、室内の床には、アリアが理解できない魔法陣がいくつも描かれているようだった。
「作戦通りに」
「「……はい……っ!」」
集まった面子の顔を見回したリオの真剣な眼差しに、全員が緊張の息を呑んで頷いた。
アリア、シオン、セオドア、ルーク、ギルバートは、各々の属性の指環を手に。新たに"空の指環"となった指環はルイスが。光の指環はリオの指で光っている。
ユーリとルーカスは、各々リオとギルバートのサポートに。
シャノンはどうしても付いてくると言って譲らなかったアラスターと共に、今は一番後方に控えているが、なにかあればルーカスが二人の護りに回ることになっている。
「いくよ……っ」
先頭に立ったリオの金色の髪がふわりと靡き、足元の魔法陣に光が走る。
ユーリとリオを中心に、アリアたちは弧を描くように等間隔で立ち、二人の援護に徹底する。
リオとユーリの全身が光の膜のようなもので覆われて、魔力が高まっていくのがわかる。
カ……ッ! と魔法陣が瞬くと同時に二人から膨大な光の魔力が闇に向かって放たれた。
だが、それは、まるで虚無に呑み込まれるかのように闇の中へと消えていき、相手に打撃を与えているのか、封印の為の魔法が構築されているのかもわからない。
「……く……っ」
精霊王の誰かが、苦しげに声を洩らしたのが聞こえた。
「……だ、め……っ!」
奥歯を食い締めるような綺麗な声色は、ラナのものだ。
「破られる……!」
その叫びは誰のものか。
直後、ガラスが弾け飛ぶような煌めきと、音なき音が響き渡り、闇が黒い竜巻のように蠢いた。
そうしてその中央の人影へと急速に闇が吸収されていき――。
「……」
「……」
まさに闇を思わせる漆黒の髪。だが、その黒髪は輝いて、一見すると人好きのしそうな雰囲気は、どこかリオを思わせるところがあった。
なぜか金色をした双眸が上げられて、その青年としばし無言で対峙する。
ただ、向けられる圧力だけは容赦なく、じりりと半歩後ずさってしまう威力があった。
柔らかそうに見える雰囲気と相反する、瞳の奥の冷たい光。
その口がゆっくりと開いていき、これ以上ない緊張が走り抜けていく。
そっと差し出された手。
その先にいるのは。
「……アリア。おいで」
それが、魔王の第一発声だった。