揺れる想い
今日は、一度全ての指環を妖精界へと戻す日だった。
魔王封印の話し合いを進める為には、全ての精霊王たちから意見を聞く必要がある。つまりはその間、妖精界は全ての精霊王が不在ということになる。その為、精霊王たちの代わりというわけではないのだが、妖精界の魔力の安定の為、輝きを取り戻した指環を神殿へ納めておく必要があるのだということだった。
「……今度は猫、か」
ルイスを伴い、遅れてやってきたリオの姿を目に留めるや否やシャノンの口から洩らされたげんなりとした声色に、アリアは思わず振り返る。
今この場には、各々の指環を持つ「1」のメンバーたちとギルバート。それからユーリとシャノンの"主人公"コンビと、当然のようにアラスターが顔を揃えていた。
「え……?」
「光の守護聖獣」
またなにが視えているのかと瞳を瞬かせるアリアへと、シャノンは大きく肩を落とす。
「なんか、華奢っぽい猫の姿してる。白だかクリーム色だか、少しピンクも入ってる女性的な」
今度の聖獣はどうやら"猫"らしい。そう解説するシャノンは本気で嫌そうで、アリアは思わず困った笑みを浮かべてしまう。
できればアリアもそんな聖獣たちの姿を見てみたいと思うものの、それはきっと贅沢すぎる我が儘だ。
――ピンク、白、クリーム色。
"マグノリア"は、花の名前。
それらの色が、"マグノリア"の一般的な花の色だということを、恐らくシャノンは知らないだろう。
「頭の上で寝てるけどな」
猫は、確かによく寝る生き物だ。丸まって昼寝をしているなど普通だろう。
だが。
「……」
思わず、柔和な微笑みを浮かべているリオとその頭の上を見てしまう。
リオに、華奢な白猫は似合うと思う。思うが……。
(……意外と大胆不敵……?)
この国の皇太子の頭の上で眠るなど、なんて大それたことを、と、アリアは思わず乾いた笑みを浮かべてしまう。――実際は、相手は猫の姿をしているとはいえ、聖なる生き物だけれども。
「……アンタは相変わらずじゃれつかれてんな」
と。今度はアリアの足下から肩の横からと、若干引き気味にその身体の周りを眺めながらシャノンが言う。
「え……?」
「アンタの聖獣が一番意味不明だ」
足元に仔犬のようなものが擦り寄ってきたり、ペタペタとペンギンらしきものが駆け回ってみたり。と思えば身体の横をクラゲのように浮遊していたり。
形が定まらないのはまだ子供のような存在だからだろうかとも思うが、いくらラナの見た目が幼くとも、さすがにそんなことはないだろう。
相変わらずシャノンの特殊能力は凄いと、こんな時だけは少しだけ羨ましくも思ってしまいながら、アリアはふと別の出来事を思い出す。
「……あの……、シャノン……?」
無言で向けられる瞳に、遠慮がちに口を開く。
「……シャノンはあの時、なにを視たの?」
シャノンが口にした"マグノリア"の名前。人間界と妖精界の過去は、リオですらわからないと言っていた。それを、唯一知ることができるとしたら、特別な能力を持つ"主人公"シャノンだけ。
「……俺はただ、光の指環に遺された強い残留思念を視み取っただけだ。精霊王たちの過去を覗いたわけじゃない」
視ようとして視たわけでも、視たかったわけでもない。ただ、勝手に流れ込んできた"誰か"の意思に同調してしまっただけ。
それでも、シャノンが望む望まないに関わらず、なにか察してしまう部分があるのだろう。感情の乗らない淡々とした声色でそう言って、シャノンはチラリと今はルイスが借り受けている指環へと視線を投げる。
「……あの、"仮初めの指環"なら過去も視めるかもしれないけどな」
レイモンドと"マグノリア"の過去に大きく関わったと思われる"仮初めの指環"。そこには過去の強い想いや願いが遺されてるだろうが、シャノンはふいと目を逸らす。
「……そういう趣味はない」
他人の過去や感情を勝手に視み取ることは、シャノンがずっと嫌厭してきた行為だ。
「うん……。そうよね……」
そんなシャノンの気持ちはよく知っているつもりだから、アリアも興味本位でそれ以上踏み込むことは難しい。これが魔王封印の為に必要なことなのか――"ゲーム"の中ではどのように関わってきたものなのかはわからないが、きっと、必要な時が来れば、自然と明かされていくものなのだろう。
と。レイモンドが姿を現して、迎え入れたリオと一言二言言葉を交わしている様子を眺めながら、シャノンは僅かに――本当にほんの少しだけぴくりと反応した。
シャノン以外、誰にも視ることのできない光景。
レイモンドの登場に、リオの頭の上でうたた寝をしていた白猫がぴくりと身体を起こし、とん……っ、と地面へと降り立つと、すりすりと嬉しそうにその足元へと頭を擦り寄せる。
水の聖獣と似ているような行動であっても、どこか大きな違いを感じさせるソレ。
「……」
重々しくなにか考えるような間があって、シャノンはアリアへと独り言のような呟きを口にする。
「…………俺は、他人の感情は視めても、正直よくわからない」
他人の感情を視み取って、誰よりもその人の感情に同調することができたとしても、今までずっと他人との接触を拒んできたシャノンは、他人への寄り添い方がわからない。
「ずっと、普通の人間にはない能力である以上、黙っておくべきなんだと思ってた」
例え無意識に他人の感情に触れてしまったとしても、視なかったふり。知らなかったふり。
それが正しい在り方なのだと思っていた。
けれど。
「こういう時は、どうするのが正しい」
真っ直ぐな瞳がアリアを射貫く。
この少女との出逢いをきっかけにして、ほんの少しだけ考え方が変わった。
「無理矢理にでも視て、伝えた方がいいのか?」
他人の心の中を覗くという忌むべきはずの行為が、一方で"誰か"を助けることに繋がるのだということを知ってしまった。
「強引に視んでやろうなんて、アンタに出逢うまで考えたこともなかったのに」
嫌がられても。例えその為に嫌われたとしても。それでも隠していることを暴いてやりたいと思ったのは初めてだった。
それでこの少女を救えるのならば、いくらでも能力を使ってやろうと思ったし、二度と顔を見たくないと思われるくらいに憎まれても構わないと思った。
けれど、彼女は。
「……アンタは、視んで欲しがってた。だったら俺にしかできない、そういうこともあるのかな、って」
本当は、誰にも言えずに苦しんでいた。心の奥底では知ってほしいと、強引に暴いてほしいと願っていたから。
自分がこの能力を使うことで救われるものがあるのなら、"誰か"の心を少しだけでも軽くすることができるのならば、嬉しいとは思うのだ。
「……ただ、そこまで踏み込む勇気はない」
この少女の時は、例え嫌われてもいいと思った。それが独りよがりの自己満足だとしても、なにをしてでも救いたかった。
今もレイモンドたち精霊王にどう思われようが構わないとは思っているが、それでも土足で他人の領域に踏み込む勇気は持てずにいる。自分が嫌われたり憎まれたりするのは構わない。ただ、相手を傷つけてしまうかもしれないと思うと、どうしても二の足を踏んでしまう。
「……そ、れは……」
答えを求められ、アリアの瞳も迷うように揺らめいた。
「……なにが正しいかなんて、私にもわからない」
もし、"ゲーム"続編の知識があったなら。そうしたら迷うことなくシャノンへ"正解"を教えられていただろうかと考えて、それは違うとすぐに心の中で否定する。
人間の気持ちはそんなに簡単なものではない。"ゲーム"から読み取れるものなどその人の一面だけでしかなく、きっと唯一の正解などどこにもなくて、けれど正解はたくさん存在するのだろう。
「ただ、私はシャノンに救われた」
ずっと苦しかった。誰にも言えずに一人で抱え、悩んでいた。
身勝手な結論を出したアリアへ、それは間違っていると叱咤して差し出されたその手に、どれだけ救われただろうか。
「だからきっと、シャノンにしかできない……、シャノンだからこそ救える人たちはたくさんいると思うの」
現に、アリアはまた救われている。
シャノンは全く意識している様子はないが、闇と光の指環を一度の挑戦で手に入れることができたのは、シャノンがその特殊能力を使って導いてくれたからだ。
シャノンがいなければ、まだ指環を揃えることはできていなかったかもしれない。
最強の光の魔力を持つユーリと並ぶ、もう一人の"主人公"。
シャノンに定められた役目はきっと。
「……レイモンド様と"マグノリア"さんの過去を勝手に暴いていいのかはわからないけれど……」
それは、とても繊細な問題だ。過去の傷に触れられたくないと思うかもしれないし、神聖な想い出を他人に掻き回されたくないと感じるかもしれない。
「ただ、なにかの誤解があるのなら、きっとそれは解けた方が救われるんじゃないかと思う」
人間界と妖精界との断絶は、決して意図されたものではなかったのかもしれないというリオの言葉を思い出す。二つの世界の間でなにが起こったのか、アリアが知りたいと思うのは、なにも好奇心からだけではない。
「二人とも……、ううん、三人とも、みんな今も苦しんでるような気がする」
レイモンドと"マグノリア"の残留思念という名の亡霊と。
そして……。
「……闇の精霊王、か」
「……うん……」
言い直したアリアへと、シャノンもなにかを察しているように、肩を落として真剣な瞳を向けてくる。
レイモンドと"マグノリア"と、"仮初めの指環"の関係。
普段は陽気なネロの、苦しげな吐露を思い出す。
さすがのシャノンも、そこまでは知らないだろうけれど。
「……そう、だな……」
アリアの言葉に、シャノンは気持ちを揺さぶられたかのようにきゅっと唇を噛み締める。
「うん……」
――みんなが救われますように。
そう願い、アリアは静かにシャノンへと頷き返していた。