二人の指環
ようやくデザインが決まり、アリアはほっと肩の力を抜いていた。
慣れないことに真剣に頭を働かせた為か、どっと疲れが押し寄せてくる。
ほどよいタイミングで淹れ直された紅茶を一口口にすれば、その暖かさが身体に染み込んでいくようだった。
「……あちらの雫の形をしたものも綺麗ですね」
もう一口を口に含み、アリアは世間話のつもりで壁に飾られたコイン大ほどのダイヤモンドへと話題を振る。
それは、ここへと足を踏み入れた時、ぐるりと室内を見回したアリアの意識にふと引っかかったものだった。さらりと口にした感想は素直な気持ちではあったものの、アリアの言葉に視線をそちらに向けたシオンはあっさりと口を開いていた。
「それなら、ついでにそれも貰おう」
「っ! そんなつもりで言ったんじゃ……っ」
当然アリアは驚きに見張られた瞳でシオンを見るが、そこには涼しい表情があるだけだ。
物欲などほとんどないだろうに、案外シオンは散財家の素質があるのかと心配になってしまう。
「でしたら、ご婚約の指環とはまた別に、デザインを合わせてこちらの宝石で結婚式で付けられるティアラを作られるのはいかがですか? 式が終わった後にはご使用になった宝石はイヤリングやネックレスなどに作り直されては?」
対し、こちらも穏やかな表情を変えることもなく、そんな提案を口にする。
「……いえ、ネックレス……、は……」
そんなアドバイスの内容に、購入を止めるはずだったアリアは、ついそこに反応してしまう。
今も服の下でひっそりと輝いている魔法石。今までもこれからも、恐らくアリアがそれを外すことはほとんどないだろうと思う。新しいものを貰っても、これ以上に思い入れが強くなることもきっとない。
思わずそんなことを思って困惑してしまったアリアに、ジョシュアの口からはなにかに気づいたかのような「あぁ」という小さな納得の吐息が洩らされていた。
「ペンダントは、すでにお持ちでしたね」
「っ」
失礼しました。と向けられる柔かな謝罪に、アリアは小さく息を呑む。
「そのペンダントはここで作ってもらったものだ」
と、隣からシオンがジョシュアがその経緯を知る理由を淡々と告げてきて、アリアは考えてみればと納得する。
手元にある魔法石を加工しようと思ったなら、シオンがウェントス家御用達のこちらのお店に依頼するのは当然の流れだろう。
だからすでにジョシュアとは顔見知りだったのかと理解しつつ、アリアは事情を知られている気恥ずかしさにうっすらと頬を染めていた。
「魔法石のペンダントなど、希少価値はどの宝石よりも高いものですからね」
とても値段などつけられない価値があると言ってジョシュアは微笑み、それでもアリアとシオンをみつめながら口を開く。
「では、ブローチなどいかがでしょう?」
「それなら……、って……!」
ついつい流れで納得しかけ、アリアはすぐに我に返る。
婚約指輪以外のものを買うつもりなどないというのに、思わず頷いてしまいそうになるのは、さすが洗練された接客のプロといったところだろうか。
「違……っ」
「それから、結婚指輪も頼む」
慌てて上げた訂正の声に被せるように、シオンは淡々と次の依頼へと移ってしまう。
「っ! シオン!?」
それもまた、アリアには寝耳に水の出来事だ。
「そのうち必要になるだろう?」
だが、驚いたように目を見開いたアリアへと、シオンはついでとばかりに至極真面目な瞳を向けてくる。
「……で、も……っ」
「オレは今すぐでも構わないが」
「っ」
結局婚姻届は出すことなく仕舞われているが、あの時すでに、結婚の意思は決めていた。こうして婚約指輪を買いに来た以上、あとは時間の問題だ。
自分を真っ直ぐ見つめてくるシオンの意思の込もった強い瞳に囚われて、アリアはそのまま口を噤んでしまう。
「では、結婚指輪もシンプルなデザインにしましょう。婚約指輪と重ねづけすることも考えれば、むしろ丁度よいかと」
そんな二人のやり取りを静かに見守って、ジョシュアはほど良いタイミングで声をかけてくる。
「どうせならドレスもいくつか候補を絞っておけ」
「……え」
さらりと告げられた言葉に、アリアは呆然としてしまう。
「私どもをご贔屓にして下さるようでしたら、このまま担当の者を呼びますが」
「頼む」
「…………え……っ?」
トントン拍子で進む会話に、アリアの目は大きく見張られたまま丸くなる。
――ドレスというのは、ウェディングドレスのことだろうか。
そうしてすぐに呼ばれた女性デザイナーの勢いに圧倒されながら、思いもよらない怒涛の時間が過ぎていくのだった。
*****
(つ、疲れた……)
急なことで、さすがに試着までさせられることはなかったが、いろいろなデザイン画を前に意見を求められ、それに一つ一つ丁寧に自分の要望を伝えることは、アリアからかなりの体力を奪う結果となっていた。
帰路に着く馬車の中。思わずこのまま椅子の上へと倒れ込んでしまいたい欲求と戦いながら、アリアはずっと疑問に感じていたことを口にしていた。
「……結婚指輪って……。シオンも、するの……?」
その辺りの事情は"あちらの世界"と同じ。男性が指輪をすることは決して珍しくはないものの、平均的にはしていない場合の方が多い。
特にシオンの性格を考えた時には、装飾品など嫌いそうなイメージがある。だからアリアだけでなく、二人分の結婚指輪を作る意思を見せられた時、純粋に驚いてしまっていた。
今現在"風の指輪"を付けている事実はイレギュラーなだけで、シオンが指輪をするという行為が、すぐには信じられなかった。
「……お前との結婚指輪ならばしてもいい」
やはり少し抵抗があるのか、それともアリアのその質問が意外だったのか、僅かに眉を顰めて返された低い声に、アリアの瞳が小さく見張られる。
それは、確かな愛の証。
「……ありがとう……」
思わず気恥ずかしくなりながら口元を緩めれば、シオンの瞳はじ……、となにかを語るかのようにアリアの顔をみつめてくる。
(――――っ!)
恐らく、その瞳が求めていることは。
アリアは瞬時に顔を赤らめて、誰もいないことはわかりつつ、ついついきょろきょろと辺りを確認してしまう。
隣に座るシオンとは、触れ合うほどの距離にある。
「…………」
「っ」
無言で見下ろされるシオンの瞳に、アリアはきゅっと唇を噛み締めると覚悟を決めるかのように息を呑む。
そうして。
「…………」
そっとシオンの肩へと手を置くと、伸び上がるようにしてその唇へと自分のそれを近づけていた。
「……ん……」
唇へと柔かな感触が伝わってきて十数秒。
重なった唇をゆっくり離し、アリアは羞恥に潤んだ瞳を上げる。
「……今日はありがとう。嬉しかった」
だが、見上げたシオンの表情は不合格だという雰囲気を醸し出していて、アリアの顔は更に熱を持っていく。
「……シ、オン……?」
再度覚悟を決めると目を閉じて、重なった唇に、舌先で小さくノックをする。
「ん……っ、ぅ……っ」
すれば、シオンの唇は僅かに開かれて、アリアはその中へと自分の舌を滑り込ませていた。
「ん……っ、ん、ん……」
いつもシオンがするように、舌先を捉えて拙いながらもそれを絡め取ろうとして。
「ん……っ!?」
ふ……っ、と至近距離で笑う気配があって、シオンのそれは逃げていく。
「ん……っ、ん……っ」
追いかけても交わされて、ついむ……っ、として薄く目を開ければ、そこには可笑しそうに笑うシオンの顔があり、益々カチンと来てしまう。
だが。
「んぅ……!」
急に応じられ、一瞬呼吸が喉に詰まる。
「ん……っ、ん、ぅ……っ、ふ……っ」
ほとんど受け身でいるシオンに、拙いながらも懸命に舌を絡ませて、アリアは荒くなった吐息を吐き出していた。
「……まぁ、及第点か」
息苦しさと羞恥から瞳を潤ませて呼吸を整えているアリアへと、くすりと笑ったシオンはぺろりと自らの唇を舐め取った。
その仕草は妙に野生じみた艶があり、アリアはドキリと胸を高鳴らせてしまう。
「え……っ?」
シオンの手が頬へ伸び、アリアの顔へと影が差す。
「ん……っ」
そうして再び唇を重ねられ、すぐに滑り込んできた舌先に、アリアは目を閉じていた。
「ん……っ、ん……」
一瞬仕返しに躱そうとして、それは叶わず、口づけはすぐに深いものへとなっていく。
「ん……っ、ん、ぅ……っ、ん、ん……っ!」
歯列の裏をなぞられて、二人の舌が絡み合うと、口元からくちゅくちゅとした水音が響いてくる。
ぞわぞわとした感覚が背筋を脅かしてきて、アリアは口づけの合間に慌ててその胸元を押し返していた。
「シオ……ッ、も、ダメ……ッ」
「どうしてだ?」
髪、蟀谷、頬へと、なおも唇を落としてくるシオンへと、ぞくぞくとした感覚に襲われながら必死で抵抗する。
「これ以じょ、は……っ」
ぺろり、と首筋を舐め上げられて、思わず高い嬌声が出てしまいそうになる。
「……ほ、欲しくなっちゃう、から……っ」
素直になろうと覚悟を決め、逞しい胸元へと真っ赤になった顔を埋めるようにして訴えれば、シオンは一瞬驚いたように目を見張っていた。
「それはいいな」
くす、と耳元で低く笑われ、耳朶を甘噛みしてくるシオンへと、アリアはふるふると首を振る。
「! だめ……っ。今日はもう……っ、帰らない、と……っ」
今日は遅くなるかもしれないことも、その理由も話してきた。
だが、完全に日は落ちていて、これ以上帰宅が遅くなるわけにはいかない。
「シオ……ッ、ん……っ」
訴えは再び重ねられた唇に消えていき、角度を変えたキスが何度も繰り返されていく。
「ん……、シ、オン……」
「早く……」
熱くなった呼吸の合間に、シオンの低い吐息が落とされる。
空気に搔き消えたその言葉の先は、声にされずともアリアへと伝わった。
「うん……」
――一緒に暮らすようになれば、こんなもどかしさはないから。
「アリア……」
「ん……」
――『愛してる』
そんな囁きを聞きながら、アリアは再び下りてきた唇に目を閉じていた。