憩いの場所
「2」のメンバーたちはちょくちょく顔を出していたようだが、シオンを伴い、久しぶりに訪れたジャレッドの事務所。珍しくも全員揃って出迎えられ、アリアは報告が遅くなってしまったことを謝罪していた。
「とりあえず、第一段階は突破、ってことだな」
すでに指環が全て揃ったことは「2」のメンバーたちにも伝わっているのだろうが、改めてアリアから話を聞いたジャレッドは、ほっとした吐息を吐き出しながらも、気を引き締め直すような様子を見せる。
「……みんなのおかげだわ」
それに静かな微笑みを返しながら、アリアも次の段階を思って僅かな緊張感を滲ませる。
無事に指環を手に入れて、そこで終わりなわけではない。ここから先は指環との交流を深め、より強い絆を作ることが重要となってくる。
そして、これらの指環を使い、どのようにして魔王に対抗するのか。精霊王たちの協力を得て、強大な存在へと挑む為の作戦を立てていかなければならない。
時間は、どんなにあっても多すぎるということはない。
「……それで? 魔王復活はいつなわけ?」
一番の重要事項。
ストローで飲み物を吸い上げつつ向けられた、顔を顰めたノアの問いかけに、アリアは困った表情になっていた。
「……さすがに、何月何日、とか決まっているわけじゃ……」
魔王が完全に目を醒ます前までに生贄を寄越せとは言われているらしいが、具体的な期限が切られているわけではない。
封印されている魔王との意志疎通がどのようにして成されているのかは、最上層部だけしか知らない国家秘密の為、いくら贄に選ばれたとはいえ一介の公爵令嬢でしかないアリアにわかるはずもない。アリアが聞いている話は、あくまで封印の弱まり具合から計算される憶測程度のものだった。
「だが、当初の予測よりも先延ばしにはなっていることは確かだ」
と、シオンが淡々とそう口にしたのに、訝しげなアラスターの双眸が向けられる。
「……なにかしたのか?」
少しの違和感から"なにか"を推測する。それは、アラスターが「2」の"ゲーム"の中で、"探偵"的役割を担ったゆえの鋭さだろうか。
「……いや? オレはなにも」
「!」
いつもと変わらない無表情。だが、アラスターから違和感を指摘された上で疑いの気持ちを持って見れば、シオンのそのセリフには確かに裏が感じられた。
"オレはなにもしていない"。
もし、普通にアリアがそれを聞いただけならば。アラスターが気づかなければ、そのまま流してしまっていただろう。
例え、シオンがなにもしていなくても。"他の誰か"であれば。
「……なにか……、してたの?」
決して責めるわけではなく、ただ事実を知りたくておずおずとした視線を向ければ、シオンの蟀谷が僅かにぴくりと反応した。
魔王の復活を先延ばしするようなことができるとしたならば。
「……ユーリ? と……、リオ、様……?」
そういえば、先日もユーリがリオを訪ねて王宮を訪れていたことを思い出す。
まさか、毎日。アリアの知らないところで、二人は光魔法を行使していたのだろうか。
「……」
「シオン!?」
無言を返すシオンへと、アリアはただ真実を求めてその顔をじっと見る。
と、シオンはしばらく沈黙を貫いた後、諦めたように肩で吐息をついていた。
「……ずっと、封印の強化をしていたみたいだな」
とはいえそれは、気休め程度の僅かなもの。そうでなければ、永遠と強化を続ければ、魔王は復活しないという理論が出来上がってしまう。
それでも。
やっぱり、と納得すると共に、今さらそんな重要なことを気づかされ、アリアは愕然としてしまう。
アリアの知らないところで、そんなことを。
もしかしたら、アリアが知らないだけで、みんながみなそれぞれなにかしら足掻いてくれていたのかもしれないと思えば、きゅっ、と胸が締め付けられる思いがした。
「封印の時間が長いほど、復活した時の魔力は削られているらしいからな。それがささやかなものとはいえ、1日でも長くなるように」
1日の封印強化で数時間の時間稼ぎにしかならなくても、それを2ヶ月間毎日続ければ、それなりの日数となってくる。
それは、魔法石がここまで順調に集められるとは思っていなかった為でもあるが、結果的には魔王の魔力をほんの僅かでも削ぐことにも繋がっていた。
「……そんな……、ことを……」
封印が弱まり、魔王復活の兆しが見えた頃から、リオや国王、前国王たちは強化の為に動いていたらしいが、自分にもなにかできることを、とユーリに迫られ、リオがそこにユーリが加わることができるように働きかけたらしい。
「お前が気を病むようなことはなにもない」
言葉を失うアリアの髪を、シオンがさらりと掬う。
「みんな、自らの意志で動いているだけだ」
相変わらず表情は動くことなく、声色は淡々としているシオンだが、アリアをみつめる瞳は真剣そのものだ。
「お前だって、同じ立場ならそうするだろう?」
「…………うん」
だから負い目に感じることなどなにもないと告げられて、アリアは小さく頷いた。
シオンの言う通り、アリアだって誰かが窮地に立たされたならば、動かずにはいられない。そしてそこに、迷惑を感じることも恩を売ろうなどという打算もない。
だからここは、申し訳ないと身を縮めるのではなく、心からの喜びと感謝を。
「……ありがとう。嬉しい」
今度、きちんとみんなにこの気持ちを伝えようと心に刻みながら泣きそうに微笑んだ。
「お前を、魔王のところになんていかせない」
シオンの指先がアリアの頬を撫で、どことなく二人の世界が作られる。
そうしてこのまま口づけでも交わしてしまいそうな二人の雰囲気に耐え兼ねたらしいノアが、そこで悪びれもなく堂々と口を開いていた。
「まぁ、オレは貰う気満々だけどね?」
「っ、ノア……ッ」
魔王になど渡さないという部分においては共通意志を見せながら、シオンの元に置いたままにはしないと挑発的に笑うノアに、アリアは思わず赤面する。
「渡すわけがないだろう」
対し、シオンは受けて立つとばかりに不穏な空気を醸し出し、しばしの睨み合いが続く。
それから数秒後。
「……悔しいけど、今だけは譲っておいてやるよ」
なにか諦めたようにやれやれと肩を竦めたノアは、そのまた数秒後、ぽつりと本音を洩らしていた。
「…………オレにもっと魔力があったら、役に立てるのに」
「っ」
妖精界に共に行くことも、魔王を封印する為になにかできることがあるわけでもなく、ただこうして見守ることしかできないと、悔しげに呟かれた気持ちの吐露に、アリアは小さく息を呑む。
「…………ノアにはもっと素敵な能力があるじゃない」
アリアの為になにかしたいと思ってくれていること。それが、純粋に嬉しいと思う。
そして、ノアにはノアのできることがあるから。
「音楽は人の心を癒すわ。それは、ノアにしかできないことだもの」
音楽は、なくても生きていくことには困らない。けれど、これほどまでに音楽が人の生活の中に浸透しているのは、音楽が人々の心に響き、気持ちを浄化してくれるからだ。
ノアの奏でるピアノの音は、不安で硬くなるアリアの心を解きほぐしてくれる。
「……じゃあ、また一緒に弾こう」
"ゲーム"であった光景と同じように、ノアは時折、みなが雑談をしている時にピアノを弾いていることがある。ノアの演奏に耳を傾けるのではなく、一緒に音楽を奏でようと誘いかけてくる真摯な瞳に、アリアは少しだけ眉を下げてくすりと微笑う。
「……お手柔らかにお願いします」
ピアノのことになるとノアはスパルタ気味になる。一緒に弾くのであれば手加減して欲しいと苦笑を溢すアリアへと、ノアは悪戯っぽい色を瞳に浮かばせる。
「仕方ないね」
……と。
「悪いが、それは次回にしてくれ」
そんな二人に、シオンが割って入ってくる。
アリアがノアとピアノを弾くことに若干の不快さを感じてはいても、シオンは一定の理解を示してくれている。だが、今日はそんな時間は取れないと言って、シオンはアリアを外へと促していた。
「話が終わったらとっとと行くぞ」
そうしてさっさと席を立とうとするシオンへと、シリルの丸い目が向けられる。
「もう行かれるんですか?」
「予定があるんだ」
いつもに比べてかなり早い退席に驚く面々へ、淡々としながらも先を急ぐシオンの返事が返される。
「そうですか」
そんな中。多少の不審さを覚えながらも頷くシリルを横目に、アリアはこっそりと一人赤くなる。
「……どうかしたのか?」
少し離れた位置から向けられるサイラスの探るような目つきに、アリアは慌てて首を横に振る。
「い、いえ……っ、別に……っ」
元々今日は、シオンからこの後の予定を告げられていた。
その内容も、少し帰りが遅くなるかもしれないことも、きちんと母親に話してから出てきたものの、帰宅は早い方がいい。
時間が読めないからこそ先を急ぐシオンへと、アリアもまた腰を上げる。
「行くぞ」
「あ……っ、じゃあ、またね」
促され、少しだけ赤い顔でパタパタとシオンの後に続いて出ていくアリアへと、ギルバートは訝しげな瞳を向け、シャノンはやれやれと肩で息を吐いていた。