自由恋愛
目一杯「怒っています」の表情を浮かべ、肩と眉とを吊り上げてそこに立っていたのは。
「……ユー、リ」
「アリアになにしてんだよ……!」
ずかずかとやってきたユーリは、身を起こしたネロをアリアから引き剥がすと、背に庇うようにして割って入る。
「…………」
ユーリに睨まれたネロが呆気に取られたように沈黙する中、そんなユーリの横顔を眺めながら、アリアは心の中でうっ、と言葉を詰まらせてしまう。
(……どうしよう……! ユーリがカッコいい……!)
元々ユーリが"男前"であることは"公式設定"だけれども、ここ最近は益々頼りがいのある青年へと進化しつつある。可愛い顔は変わらないが、今のユーリは"女の子のよう"と称されても、女の子に見間違えられるようなことはないだろう。
「…………」
お怒りモードの鋭いユーリの視線を受け止めて、しばし目を瞬かせたネロは、次に可笑しそうににこりと笑う。
「……あら。もしかして、アンタもこの子に骨抜きにされた中の一人?」
「っ!? な……っ!?」
一瞬にして赤くなり、口をぱくぱくさせるユーリの反応に、ネロはアリアへと意味ありげな笑みを向けてくる。
「本当に罪作りな子ねぇ?」
ユーリに限ってそんなことがあるはずもない。
「違……っ、そうじゃなくて……っ!」
案の定、慌てて否定の声を上げたユーリへと、ネロは「ん?」と満面の笑みを浮かべてみせる。
「アリアはシオンの婚約者で恋人だ!」
「……」
そうして真っ赤な顔のまま叫ばれたそのセリフに、ネロは一瞬沈黙するとパチパチと瞳を瞬かせる。
「……それが?」
「"それが?"、って……!」
「だって、恋愛は自由でしょう?」
言い淀むように訴えたユーリへと、口元に手をやったネロのにっこりとした微笑みが向けられる。
「……れん、あい……」
それはどんな意味だっただろうかと思わずその単語を口の中で反芻してしまったアリアの一方で、ユーリはしどろもどろと口ごもる。
「……っ、っそれは……っ、そうかも……っ、しれない、けど……!」
人の気持ちはどうこうできるものではない。
恋人のいる人間を好きになってしまうことは決して望ましいこととは言えないけれど、こればかりはどうしようもない。
無理矢理手に入れようとすることは問題だが、想いを伝える権利は奪えない。
……それは、ユーリにもよくわかる。
「指環に光が灯った。それは、他でもないアンタが、アタシたち精霊王に認められた結果だからだと思って間違いないわ」
真摯な瞳をアリアへ向け、ネロは真剣な顔で話を続ける。
「アンタは妖精界で生きる権利を与えられたのよ」
「……え……」
それは、一体どういう意味か。
戸惑いに瞳を揺らめかせるアリアへと、ネロは真面目な口調になる。
「もちろん、その権利を使うかどうかはアンタ次第だけど」
魔力の弱まった"仮初めの指環"は、妖精界で回復を待っていたが、その間、各々の精霊王たちから祈りを受けていた。
それは、かつて精霊王と恋をした少女へではなく、純粋に、自分たちの世界を救ってくれた少女を助けたいという願いから。
その想いはあの瞬間形を成し、"仮初めの指環"を新たな指環へと進化させたのだ。
もはや"形見"とも言えた指環は意味を変え、レイモンドが保管すべきものからこの少女へ渡るべきものとなった。
「人間は寿命が短く儚い生き物だわ。妖精界に来てアタシと暮らさない?」
その指環を手に、妖精界へと身を置くことも選択肢の一つだと、ネロはにっこりと笑ってみせる。
指環をしていたからといって不老不死になるわけではないが、少なくとも人間界の時間の流れからは解き放たれる。
「っ! なに言ってんだよ……!」
途端、信じられないと声を荒げたユーリの斜め後ろで、アリアは未だに困惑から戻れずにいた。
「……えっ……と……? それ、は……」
「アリア! 帰るよっ」
だが、アリアが全ての状況を理解するより前に、ユーリは傍にあった細い手首を掴むとその場を後にすることを促してくる。
「え……、ユ、ユーリ?」
「シオンも来てる」
アリアをガゼボの外へと引っ張りながら、ユーリは少しだけ怒ったような、真面目な瞳を向ける。
「え?」
「このままシオンと帰りなよ」
ガゼボから一歩出た時点で足を止めて告げられた言葉に、アリアは驚いたように目を見張る。
「シオンが、どうして……」
今日、リオに呼び出されたのはアリア一人だけだ。だが、それを言うならユーリがここにいる理由もわからず疑問の目を向ければ、ユーリはまだむすりとした表情のまま口を開いていた。
「オレは元々リオ様に用事があって。シオンの家にいたから送って貰った」
ユーリがシオンの家に入り浸っていることなど今更で、そこに疑問を覚えることはない。王宮に用事があるといえば、馬車も出してくれるだろう。
「オレの前にアリアが呼ばれてることは聞いてたから」
リオから話を聞いていて、だからシオンも同行してきたのだというユーリの説明は、充分納得のいくものだった。
だが、肝心なシオンの姿は見当たらない。
どうしたのだろうと視線を辺りへと巡らせれば、それに気づいたらしいユーリは、苦笑いを溢していた。
「途中まで一緒だったんだけど、何処かのお偉いさんに掴まって」
シオンはウェントゥス公爵家の子息で、次期当主だ。アリアと出会った頃からすでにその頭角を現していたシオンには、あらゆる意味で近寄ってくる人間も多い。特にここは王宮だ。上層部の人間に声をかけられたら、さすがのシオンも足を止めないわけにはいかないだろう。
「……なにか話があるならオレが残るけど。なにかありますか?」
と、アリアをその視界から外すように半歩前へと進み出たユーリがネロへと問いかけて、その視線を受け止めたネロは、肩を竦めて首を振る。
「特段急ぎの用事はないわ」
「だったら、失礼します」
一応はペコリ、と頭を下げたユーリは、どうやら冷静さを取り戻したらしい。
「行こう」
「え……? う、うん……?」
ぐいっ、と腕を引かれ、アリアは戸惑いながらチラチラと後方へと視線を投げていた。
「知りたいことがあれば、いつでも訪ねてきて」
ひらひらと手を振って、ネロはにっこりと微笑みかけてくる。
――"知りたいこと"。
それは、レイモンドと"マグノリア"のことだろうか。
「……あ……、はい……」
ユーリに腕を引かれながら、思わず頷いてしまったアリアへと、ユーリがぴくりと反応する。
「アリアッ」
どうしてこうも無防備で懲りることを知らないのか。
「ご、ごめんなさい……」
珍しくもお怒りモードで据わった目を向けてくるユーリへと、アリアは身をすくませていた。