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昔噺

 王宮に用事がある時は、帰りにそこ(・・)へ寄り道をするのはもう当たり前の流れになっていた。

 時折妖精たちが現れる、部外者立ち入り禁止区域。

 だが、今日は妖精たちの姿は見当たらず、代わりにそこに立っていたのは。

「……ネロ、様……?」

 遠目からでもわかる、見覚えのあるその派手な姿に、アリアはその数歩手前で立ち止まる。

「……あら」

 アリアの存在に、本当にその時まで気づいていなかったのかどうかはわからない。ただ、ネロはアリアの姿を認めると、長い睫毛の乗った瞳を瞬かせ、それからいつものようににっこりと明るい笑顔を向けてきた。

「はぁ~い」

 音符マーク付きの声色で手を振って、くす、と何処か寂しげな瞳で苦笑する。

「暇なら、ちょっと話さない?」



 妖精界への扉近くのガゼボに、隣り合って座った。

「……なにか、あったんですか?」

 その言葉通り、アリアはネロがここにいる理由をそっと問いかける。

「……いーえ? なぁ~んにも。おかげさまで妖精界はすっかり元通り。むしろ平和すぎて困っちゃうくらいだわ」

 だが、ネロは茶目っ気たっぷりの笑顔でそう言うと、大袈裟な仕草で肩を竦めていた。

「だから少しくらいこっちに遊びに来ても全然問題ない、ってわけ」

 全ての聖域に光は満ち、妖精界は本来の姿を取り戻した。神殿に納められているはずの指環は不在だが、それでも魔力が安定している今であれば、少しくらい精霊王がその場から離れても問題はないという。

「……指環も。輝きを取り戻して、アンタたちには本当に感謝してるわ」

 アリアの手元で光る輝きへとそっと視線を落としたネロは、静かな声色で感謝の気持ちを口にした。

「……"仮初めの指環"まで……」

 何処か遠い場所を見ているネロの瞳には、一体なにが映っているのだろう。

「……ネロ様……?」

 そんなネロの横顔をおずおずと覗き込み、アリアはきゅっと唇を引き結ぶ。それから覚悟を決めたかのように軽く息を吸い込むと、静かな問いかけを言葉に乗せていた。

「……"仮初めの指環"って、なんですか?」

 六精霊の聖域に納められている指環とはまた違う、第七の指環。

「他の指環とは違うんですよね?」

 他の指環が魔力(ちから)を失った中で、唯一僅かながらも魔力(ちから)を宿し、制限付きとはいえそれを身につけた人間の時間を妖精界へと合わせてくれた、不思議な指環。

 それは、なんの為に存在しているのだろう。

「……"仮初めの指環"は"仮初めの指環"よ。そのまんま」

 そんなアリアの問いかけに、ネロは迷うように口を開く。

「精霊王たちが各々(おのおの)の魔力を与え、輝けば、それを付けた人間(・・)は、妖精界の時間の中で生きることができるようになる」

「え……」

 直ぐにはその言葉の意味がわからず、アリアは一瞬時を止める。

 ――"妖精界の時間の中で生きることができる"。

 つまりそれは、今回のように時間的制限に囚われることなく、妖精界へと居続けることができるということ。けれど、人間界の時間の流れから離れるということは、ある意味妖精界で生きていくということにもなってしまう。

 だが、現実は。

 ――"精霊王たちが各々(おのおの)の魔力を与え、輝けば"。

 "仮初めの指環"の色は。その輝きは。

「言わば、人間を精霊王の伴侶にすることができる指環、ってところかしら?」

「――!」

 だからと言って年老いないわけではない為、永遠に共にいられるわけではないけれど、それでも人間界の時間の流れに囚われたままでいるよりはよほど長い時間を共に過ごすことができると告げるネロの曖昧な微笑みに、アリアの瞳は見張られた。

 ――"仮初めの指環"は、人間が精霊王と共に生きる為のもの。

 だが、アリアの知る指環は、鈍い鉛色をしていた。もしかしたら、他の指環と同様に、輝きを失ってしまった後なのかもしれないけれど。

 ――"精霊王と姫君の哀しい御伽話"。

 ドクリ……ッ、と。奇妙な予感が胸を打った。

「………………"マグノリア"」

「――っ」

 ぽつり、と呟かれた聞き覚えのある名前に、アリアは思わず息を呑む。

 恐らくは、アリアの反応を窺っているのだろう。ネロはアリアのその反応に自嘲気味の笑みを溢すと、視線を遠くに落としていた。

「凄いわね、あの、シャノンて子。そこまでわかるの」

 あの場(・・・)にいなかったはずのネロは、どこまでのことを把握しているのだろう。その性格を考えた時には、レイモンドが自ら話すとも思えないから、なんらかの形で精霊王たち全員の知るところとなったのか。

「……そ、れは……」

 シャノンの特殊能力に関しては、もはや精霊王たちに隠しているものではない。ただ、一般的には嫌悪されがちなシャノンの能力(ちから)について、他人が勝手に話してしまっていいものではないと口ごもるアリアへと、ネロは特に答えを求めるでもなく、独り言のような話を続けていた。


「………レイモンドの恋人だった少女の名前よ」


「――っ!」

 一瞬息を止めたアリアの反応は、驚きというよりも、やっぱり、という気持ちが強かった。

 ――『彼女(・・)が好きだった世界だ……』

 口伝てで残された御伽話。レイモンドが呼んだ名。

「……アンタも、薄々は気づいてたんでしょう?」

 そっと視線を上げたネロからの問いかけに、アリアは肯定の疑問符を口にする。

「……王女……、だった……?」

「…………そうね」

 口から口へ、遥か昔から語り継がれてきた話のどこからどこまでが本当にあった出来事なのかはわからないが、おずおずと向けられたアリアの瞳に、ネロは再度遠い目になった。

 それは、遠い遠い昔。この島国が、まだ多くの小国ばかりだった頃。

 それでも、遥か遠く同じ血が流れているかもしれない少女へと、ネロは遠い目をしたまま過去の残像へと思いを馳せる。

「……アンタにちょっとだけ似てたけど。でも、全然違うわね」

 それは、単純に見た目のことを指すのだろうか。似ていると言ってすぐにそれを撤回したネロは、酷く曖昧な微笑を溢す。

「……すごく、いい子だったわ。レイモンドの相手として相応しい、誰もに平等でとても優しい子」

 あのレイモンドの恋人であれば、きっと清く正しい、優しい少女なのだろう。

 ただ、そう語るネロの表情はそれだけではないなにかを滲ませていて、アリアはなにか言葉を発することもできずにその先を見守った。

「お似合いだった。あの子ならレイモンドの伴侶として申し分もないと、本気で思ったわ。……本当よ」

 ネロの声色は少しずつ大きなものとなっていき、そこにはなぜか罪悪感のようなものが滲む。


「……でも、指環に光が灯ることはなかった」


 先ほどネロは、"精霊王たちが各々《おのおの》の魔力を与え、輝けば"と言った。

 つまりは、精霊王たちが魔力(ちから)を注いでも、"仮初めの指環"に生命が吹き込まれなかったということになる。

 その、原因は。


「……アタシだけが、あの子のことを認められなかった」


 故意に魔力(ちから)を与えなかったわけでないのだろう。苦しげなネロの吐露からは、それが不可抗力であったことが伝わってくる。

「本当に本当にいい子だったの……っ。これ以上レイモンドに相応しい子はいないと思ったわ。私も心から祝ったわ……っ」

 その、悲鳴のような心の叫びに、アリアの胸へと締め付けられるような痛みが走る。

 ネロのその言葉に嘘偽りなどないのだろう。

「でも……っ」

 壊れそうな声色で声を上げ、そこでネロは絶望を見るかのようにごっそりと感情を削ぎ落とす。

「……指環は、私の心の奥深くを見抜いてた」

 それは、後悔か、諦めか。

「レイモンドと同じで、真っ直ぐな子で……」

 なぜ、指環は輝くことがなかったのか。

 心の奥底の闇の部分を指環に見抜かれていたことに恐怖しながら、ネロは自分の罪を告白する。

「でも、真っ直ぐすぎて……」

 そう告げるネロの横顔は歪んでいた。

「レイモンドが呆れていても、こんなアタシを軽蔑したりせずに、平等に接してくれた優しい子」

 それは、間違いなくネロの本音。

 そうしてその少女がレイモンドの隣に立って、これから先明るい未来を築いていくのだろうと、誰もが疑っていなかった。

「でも、あの子はアタシに言ったのよ……っ」

 清く、正しい、心優しい少女は。

「『ゆっくり治していけばいい』って……!」

 それは、とてもとても優しい。

 とても優しい寄り添い方。

 変わり者であるネロのことを決して軽蔑するでもなく、優しく包み込もうとした。

 その"優しさ"を、ネロも、誰も否定できない。

「とてもとても、凄く優しい子よ……っ。でも、アタシにとっては……!」

 優しく寄り添おうとしてくれた少女は、むしろその言葉でネロを突き放していた。

 心優しい少女は、ネロに寄り添おうとしてくれても、決して受け入れようとはしなかった。

「……アタシにとっては、その言葉は凶器だった……!」

 一度落ち着いたかと思ったネロは悲痛の悲鳴(こえ)を上げ、誰に訴えるでもなく想いを吐き出していた。

「その言葉は、アタシのこれは"病気"だって言ってたの……!」

 レイモンドと同じように、正しく在ろうとする少女の異常(・・)への優しい寄り添い方。

「"病気だから仕方ないんだ"、って……!」

 その気持ちは、理解できないものでもない。

 "あちらの世界"の記憶があるからこそあっさりと受け入れられたアリアだが、この世界ではまだまだ性同一性障害などは認められていない。

 それが、今よりも更に大昔の話となれば、少女の取った言動は最大限の優しさだったに違いない。

「…………ネロ……、様……」

 どうにもならない価値観の隔たりに、なにをどう言ったらいいのかわからずただ切な気に瞳を揺らめかせるアリアへと、そこでネロはふと視線を上げてきた。

 真っ直ぐな瞳がアリアをみつめ、はっきりとした言葉が告げられる。

「……アンタは、そんな風に思ってない」

「! そ、れは……」

 それは、アリアがある意味異質(・・)な存在だから。

 そこに多少の罪悪感のようなものを覚えながら言葉を途切れさせたアリアへと、ネロは自嘲気味の苦笑を溢す。

「平然とアタシを受け入れたアンタの姿を見た時、アタシがどれだけ衝撃を受けたかなんて、アンタにはわからないでしょうね」

 それは、この少女には当たり前すぎて。

 普通(・・)すぎることだから、気にも留めない出来事。

「……この子なら、って」

 ネロの手が、そっとアリアへ伸ばされた。

「レイモンドの相手がアンタみたいな子だったら、心の底から認められたのに、って……」

 けれど、それと同時に、心の何処かで、心の底から祝福することはできないかもしれないとも思った。

 なぜなら、それは。

「……ネロ、様……」

 そっと頬へと触れてきた指先が、その感触を確かめるように撫でてくるのに、アリアはどう言葉を返したものかと戸惑いの目を向ける。

 だが、その直後。

「……ぇ……っ?」

 トス……ッ、と視界が上向いて、アリアはなにが起こったのかと大きな瞳を瞬かせる。

「……ホント、不思議な子ね」

 後方へと倒れたアリアの顔を、ネロが覗き込んでくる。

 さらり、と長い髪を掬うネロの綺麗な指先。


「……アンタが欲しいわ」

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