count.1-1 光の指環
右手にはエメラルド色の湖。左手には色とりどりの花が咲き乱れる自然の絨毯。その奥には斜面が森林となった雄大な山。風が、緑の草原と水面を優しく揺らしている。
聞けば、奥にある山の頂上には噴火口が空いており、そこにはマグマ溜まりができていると言うのだから驚きだ。
闇が満ちることで夜のようなものもあるというこの世界。まるで天国に足を踏み入れてしまったかのようなこの絶景は、光の神殿へと続く場所だった。
「アリアたちから聞いてはいたけど、本当に美しい世界だね」
「……そうですね」
ちらりとアリアの顔をみつめてからリオが微笑めば、そこから一歩下がった位置でルイスが同意する。
「まさに天上の世界だ」
あくまでも優雅な動作で周りを見回して、リオは眩しげに目を細めると感嘆の声を洩らす。
そんなリオの称賛に、一行を先導するレイモンドは振り返り、淡々と口を開いていた。
「……ここまでの姿を取り戻すことができたのも、全ては他の聖域に魔力が満ちた為だ」
湖の煌めきに、遠く広がる緑の地。そこに靡く風と、山の頂上に煙る焔。そして、幻想的な闇の世界。
それらは全て、各々の聖域に魔力が満ちたことによるものだと言って、レイモンドもまた懐かしむように辺りを見遣る。
光の神殿へと続くこの道は、精霊界を小さく現すような景色が広がる場所だった。
「感謝している」
相変わらずその声色にはなんの感情も見えないが、その言葉に嘘はないのだろうとは思う。
ギルバートとの確執以前の問題で、レイモンドはどこか人間から一歩距離を置いているような感覚がしてしまうのは、アリアの考えすぎだろうか。
「……今日、無事に光の指環を手にすることができればいいのですが」
少しだけ緊張の覗く表情で、リオはレイモンドへと語りかける。
「そこまで焦る必要もないだろう。まだ少しは時間もある」
対し、余りプレッシャーを与えないようにか、レイモンドは感情の見えない表情でそう言うと視線を遠くへ向ける。
どうしても急いてしまう気持ちはわかるが、そのせいで余り気負いすぎても良い結果になるとは思えない。"少ししか"ではなく、まだ"少しは"時間がある、と肩の力を抜くことも大切だ。
「……そう、ですね」
それでも張り詰めた空気が消えることなく、きゅっ、と腕の横に作った拳と唇とに力を入れたリオへと、アリアは柔らかな微笑みを浮かべてみせる。
「大丈夫ですよ。リオ様」
将来の王であるリオと、"最強主人公"ユーリとシャノン。彼らが揃っていれば大丈夫だと心の底から信じられるが、"万が一"の時にはまだ"次"があるのだからとアリアは微笑う。
「レイモンド様の言う通りです」
「アリア」
なんの不安も抱いていないような、だからといってこちらに過ぎる期待を押し付けてくるわけでもない、純粋なその瞳の色に、リオは表情を緩やかなものにする。
「……君は、強いね」
なぜ、この少女が。と思った。
と、同時に、頭の何処かで彼女である理由などわかりすぎるほどわかるような気もして。
彼女だからこそ選ばれて、彼女で良かったのかもしれないとも思う。
彼女でなければ、こんな風に真っ直ぐ前を見て進んではいけなかったかもしれない。
彼女だったからこそ、こうしてみんなが守り抜こうと動いている。
名も知らぬ"誰か"だったなら、一生の傷を胸に負いつつも、早々に諦めてしまっていたかもしれない。
だから、きっと。
「……そんなこと、ないです」
周りに見守られながらアリアは恥ずかしそうに苦笑した。
「ただ、もし、私が強くいられるとしたなら」
はにかんで、そっとこの場にいる顔ぶれへと視線を巡らせる。
「みんなが、いてくれるから、です」
一人じゃないと信じられるから。
アリアのことを大切だと思ってくれている人たちのことを、心から信じられるから。
リオの隣を歩くアリアを、無言で見守っているシオンの瞳と目が合った。
絶対に、守り抜くと誓ってくれた。離さないと、誓ってくれた。
それが、とても嬉しくて。
――みんなが、一緒に闘うと言ってくれたから。
選ばれたのが、自分で良かったと思えた。
「……そうだな!」
シオンの腕を無理矢理引っ張ってアリアの隣に並んだユーリが、明るい声でにこりと笑った。
「みんなで力を合わせれば大丈夫だ!」
それを受けてか、後方からはシャノンが小さく肩を落とす。
「……なんとかなるだろ」
「ユーリ……。シャノン……」
この世界の"主人公"二人。彼らが味方で、"不可能"などというものはない。
「……この上だ」
そうしてレイモンドが足を止めた場所には、遥か上空までそびえ立つ白い塔が建っていた。
一行は、水辺に建つ灯台のような場所に向かって歩いていた。だが、実際に目の前でそれを見上げてみると、それは灯台というよりも――。
「"バベルの塔"みたい……」
"ゲーム"か"漫画"か"小説"か。"ファンタジー世界"の空まで伸びる白い塔のように思え、アリアはぽつりと呟いた。
「"バベルの塔"?」
「な、なんでもない……っ」
それを聞き止めたユーリが不思議そうな顔を向けてくるのに、アリアは慌てて首を振る。
"バベルの塔"は、"あちらの世界"では神話で語られる空想の建物だが、こちらの世界にはもちろんそんなものは存在していない。この世界の宗教的感覚は、"万物全てのものに神が宿る"という"神道"に近いものがある。実際にこの世界には、かつてあらゆる場所に妖精が存在していたらしいことを考えると、"八百万の神"的感覚は間違ってはいないのだろう。
「……まさか、これを昇っていくのか……?」
上へ上へと続く、真白な螺旋階段。それを遥か高くまで見上げたセオドアが、だとしたならば時間がいくらあっても足りないと、困惑気味の声を上げる。
「その心配は無用だ」
だが、それをあっさりと否定して、レイモンドは階段横の壁へと指先を触れさせる。
と。
「――!」
見えない扉が開き、中から白い光が放たれる。
「眩し……っ」
ユーリが思わずといった様子で目元を手で覆い、アリアもまた反射的に目を閉じる。
「神殿へは、ここからすぐだ」
中に入ることを促すレイモンドの言葉から察するに、"高速エレベーター"のような仕組みにでもなっているのだろうか。よくよく見れば、手すりなどなにもない階段は、人が上る為のものではなく、建物の飾りのような役目をしているように思われた。
そもそも、この階段が上る為に作られているものだとして、一体誰が使うのか。
「……城も、こちらに?」
「あぁ。上に在る」
全員がその空間に足を踏み入れると、扉は閉められ、微かに身体が浮く感覚がした。
(……あ……っ)
もしかしたら、風の聖域にも同じようなものがあったのかもしれない、と、アリアは今さらながらに思い立つ。このレイモンドが、風の聖域にあった階段を一段一段上っていく姿など、とてもではないが想像がつかなかった。風の聖域にも何処かにこういったものがあるのであれば、レイモンドが短時間でアリアたちの元へと追い付いたことにも納得がいく。
なにもない真っ白な世界の中、静かな浮遊感は数秒続き、ふいにその感覚が途切れた時。
「……最上層だ」
再び扉が開き、目の前にはまた天国のような世界が広がっていた。