裏側の事件 7
サイラスの制止の声に反射的に足を止めてしまった男は、ぎくりとした様子で唇を震わせながら後ずさる。
「わ、わたしは、なにも……」
焦ったように首を振る男に、サイラスの挑発的な目が向けられる。
「だったら、その服の下に隠しているものを見せて貰おうか」
「――っ」
途端、大きく目が見開かれ、足を縺れさせながら男は逃走を試みる。
だが、それをサイラスが許すはずもなく。
「待て……っ!」
瞬時に動いたサイラスがその後を追い、足元を払って転ばせると、そのまま地面へと捩じ伏せる。
「痛たたたたたた……っ!」
容赦ない拘束に、男は降参の声を上げ、サイラスは素早くその胸元から白い封筒を取り返す。
「……やはりな」
サイラスが手にした、見覚えのあるソレは。
「……それ……」
当然その中身を知るアリアは、驚いたように白い封筒とサイラスを見遣り、こくりと小さく息を呑む。
その、白い封筒には、先ほどモルガンから渡された証文が入っているはずだった。
「簡単に証文を渡すなんて言うから、おかしいとは思ったんだ」
「!」
くっ、と口元を歪めるサイラスに、アリアはここまでのことを想定していたのかと目を見張る。
確かにサイラスの言う通り、宝石の鑑定書よりも個人名まで入った書類の方が詐欺の動かぬ証拠となる。万が一が起こった時には、自分も騙された被害者だと言い逃れするつもりだったのかは知らないが、その行動は今までのモルガンの慎重さを考えた時にはあまりにも浅はかなものだろう。その為、なにか裏があるのかと警戒していればこの結果だと告げるサイラスに、アリアはさすがだと感心する他はない。
なんらかの魔法を使っているのかは知らないが、男のスリの手腕はかなりのものだった。
「……どうする」
「え?」
男を地面へと拘束したまま、サイラスが顔を上げて尋ねてくる。
「見た感じ、他の奴らも出てきている。突入するなら今しかない」
なんだかんだとアリアのせいで時間を潰した結果、パーティー会場に残っていた招待客たちもいつの間にか帰路についているようだった。恐らくは、今、会場内には関係者が残っているくらいだろう。
この、どこまでがサイラスの計算なのかわからない状況に戸惑うアリアに向かい、決断を求める真っ直ぐな目が向けられる。
「連絡するなら今だ」
詐欺の証拠はすでに手元に揃っている。そして、今であれば、アリアたち以外の他の証人もいる。
「……今日で決着をつけた方がいいと思うのだけれど」
「了解」
答えをアリアに委ねたサイラスは、アリアのその言葉を受け、一瞬の迷いもなく待機しているシオンに合図を送る。
それからはあっという間の出来事で、シオンの指揮の元、モルガンたちは詐欺行為の現行犯逮捕されるに至っていた。
この世界の五大公爵家は特別な地位にある。知識として学んではいたものの、すっかり忘れてしまっていたものの一つに、"逮捕権"が与えられている、というものがある。この世界には"逮捕状"というものは存在しないように思えるが、現行犯であれば誰でも逮捕できるというのは"日本"と同じだ。詳しい法律までアリアは網羅していないが、例え現行犯といえど、緊急性がなく相手の身分がわかっているような今回のケースはサイラスが"逮捕"することはできないらしく、応援が来るより前に、特別権を持つシオンがあっという間にモルガンたち詐欺集団を拘束してしまっていた。
「アリア」
全ての指示を出し終えたシオンが優雅な足取りでやってくるのに、アリアは感謝と「お疲れ様」の想いを込めて柔らかく微笑んだ。
当然のようにすぐ隣に立ったシオンと共に連行されていくモルガンたちを見送って、一応の区切りがついたことに、アリアはほっと小さな吐息を吐き出す。
すると、そんなアリアをじっと見下ろしていたシオンは、静かに口を開いていた。
「……後で見に行くか」
「……え?」
突然の誘いかけの意味がわからず、アリアはぱちぱちと瞳を瞬かせる。
「婚約指輪と結婚指輪だ」
「……っ!」
だが、ストレートなその言葉を前にして、アリアの瞳は大きく見開かれ、じわじわとした熱が顔へと広がっていく。
婚約はとうの昔にしているけれど、俗に言う"婚約指輪"というものは貰っていなかった。幼い頃に結婚相手を決められてしまうことが多い高位貴族だが、"婚約指輪"というものは、正式に結婚が決まってから贈られるケースが多い。とはいえ、男性が女性に指輪を含む装飾品の類を贈るような機会は多いから、シオンのように婚約者に贈った装飾品がペンダント一つという方が珍しすぎるだろう。
「お前はなにも欲しがらないからな」
その最たる原因の一つ。もしかしたら、"ゲーム"の中のシオンは、婚約者であるアリアに形だけの贈り物をしていたかもしれないが、現実のアリアはシオンになにも求めない。規格外な婚約者が高価な贈り物をされても喜ばないことを知っているから、今までシオンはアリアにそういったものを贈ってはこなかった。
けれど。
「これだけはきちんと贈らせてくれ」
今までなにも贈ってこなかった分、これだけは最高級をとシオンに告げられ、アリアは小さく息を呑む。
「……シオン……」
「お前の好きなものを選んでくれ」
公爵家ともなればお抱えの宝飾品商を家に呼ぶことが一般的だが、直接店まで足を運んだ方が種類は豊富に揃っている。"デート"を兼ねて今度見に行こうと強い意思を見せられて、アリアは思わず泣きそうな表情で微笑んでいた。
「……うん」
綺麗だとは思うものの、高価な宝石には興味がないし、欲しいとも特には思わない。けれどやはり、いくら"腐女子"といえど――、否、だからこそ余計に、"夢見がちな乙女"としては、"婚約指輪"と"結婚指輪"だけは特別なもの。
きっと、シオンもそれだけは"特別"だとわかってくれているのだろうと思えば、告げられたその言の葉は、アリアの胸をじんわりとした幸せで満たしていった。
「……嬉しい……」
素直な喜びを口にして微笑んだアリアに、シオンは少しばかり驚いたような表情をしたものの、そんな愛しい恋人を、そっと腕の中へと引き寄せる。
「……離さない」
「うん……」
誰にも渡さない、という意味に込められた強い意志を受け止めて、アリアもまたその背へと腕を回していた。
*****
「そういえばアリア。それ、どうしたの?」
帰路に着いた馬車の中。まだ変装を解いていないアリアに、これも変装道具の一つだっただろうかと、自分の記憶に首を捻るユーリの姿があった。
「え?」
「めちゃくちゃ綺麗」
そう言ってユーリが邪気のない笑顔を浮かべて見つめてきた視線の先には、アリアの耳元から下がって揺らめく輝きがある。
「……あ……っ」
ユーリの他意のない眼差しに、すっかりその存在を忘れていたアリアは、すでに別れてしまったサイラスのことを思い出し、困ったように眉を下げていた。
「……これ、どうしよう……」
「?」
そんなアリアの反応に、不思議そうに首を捻るユーリの一方で、シオンの蟀谷はなにかを察したようにぴくりと反応する。
「……流れで、サイラスに買って貰っちゃって……」
だが、不穏な空気を醸し出し始めたシオンに気づかず、アリアはユーリへ困ったように状況を説明する。
返すにしても、それはサイラスになのか、それとも元々の持ち主であるモルガンになのか。恐らく支払った代金は戻ってくるのであろうことを考えると、この場合正当な持ち主は、変な話だがモルガンだ。
「……アリア」
隣からかけられた低い声に、なにを疑うこともなく振り向いた。
「シオン? ……なに……っ」
だが、その直後、キラキラと輝くイヤリングへと伸ばされた手がアリアの耳元に触れてきて、アリアはびくりと肩をすくませる。
「……ん……っ」
するり、と外された耳元の煌めき。
ただイヤリングを外すだけの動きにも関わらず、その指先は意味深に耳の後ろを掠めていき、ぞくりとした刺激に襲われる。
シオンとて、アリアを見た時からなにも気づいていなかったわけではないだろうに、もしかしたらアリア自身が購入したのかもしれないという執行猶予を設けていただけかもしれなかった。
「他の男に贈られたモノをつけているなんて、お仕置きが必要だな」
「――っ!?」
もう片方のイヤリングも同じように外しながら、アリアの耳元をシオンの指先が意味ありげに往復し、近くに寄ってきた唇が不穏な囁きを紡ぐ。
「……ゃ……っ、不可抗りょ……っ」
後方へ逃れるように身を引くが、壁面と背もたれに阻まれて、半分押し倒されるような格好になりながら、シオンの綺麗な顔が迫ってくる。
「兄が妹にこんなものを贈るのか?」
「! ち、違……っ」
するり、と解かれていく三つ編みに、ふわりとした金髪が宙を舞い、眼鏡を外された目の前には、不敵な笑みを刻んだシオンの唇。
兄妹だとも、恋人だとも、アリアもサイラスもどちらも口にしてしない。ただ、周りが勝手に2人の関係を憶測し、決めつけただけ。
だが、その行為自体が庶民の兄妹設定としては行き過ぎたものだと言われてしまえば反論できるものはなにもなく、アリアはただふるふると首を振ることだけしかできなくなる。
「お前が欲しいなら、装飾品くらい、好きなだけ贈ってやる」
「っい、いらない……っ」
その会話は、先ほどしたばかりのものだ。
元々普段はシオンから貰ったペンダントくらいしか身に付けていない上、なにかの行事の際で必要な時には、今持っているもので充分に間に合っている。
「外れないようにピアスでも空けてやろうか?」
アリアの耳朶に触れてくる指先が妖しい動きを繰り返し、低く囁かれる吐息が耳元にかかってぞくりと肩が震える。
「……ゃ……っ、シ、オン……ッ、ぁ……っ」
まるで今からその為の穴を自らの手で空けてやろうかとでもいうように、消毒代わりとでも言いたげにそこへと舌が這わされて、アリアの口からは細い悲鳴が上がる。
「待……っ」
と。
「っ、っいい加減に……っ!」
さすがに我慢ならなくなったのか、ふるふると怒りに肩を震わせるユーリから地を這うような声が聞こえ、アリアはついつい忘れかけてしまっていた同乗者のことを思い出していた。
「ユ、ユーリ!」
今までの遣り取りを全て見られていたという事実に気づいて真っ赤になるアリアの一方で、ユーリは恥ずかしいのはもちろんのこと、怒りでも赤くなった顔でキッ!とシオンを睨み付ける。
「っお前はっ! 時と場所を少しは考えろ!!」
ユーリからのお説教に、慌てて居ずまいを正すアリアを横目に入れながら、シオンは全く悪びれない態度で飄々と身を起こす。
「なにも問題ないだろう」
それは、ユーリのことなど目に入っていないということなのか。それともユーリ相手であれば見られていても構わないと思っているのか。
「っ! ありまくりだ! なに考えてんだよっ、この破廉恥野郎!」
どちらにしても到底認められないシオンの答えにユーリは激昂し、涙目で不埒な親友を叱りつける。
言葉のチョイスがなかなかに酷いような気もするけれど、実際にユーリはこういう性格だ。
「混ざるか?」
「!」
ニヤ、とユーリをからかうように向けられる、シオンの薄く悪い笑みを前にして、アリアの目が驚いたように見開かれる。
「……っなわけないだろ! なに言ってんだよ! 頭沸いてんのか!?」
益々顔を赤くして、怒り心頭、わなわなと体を震わせるユーリを眺めながら、途端アリアは呑気に2人を交互に見遣る。
そういうことであれば、自分のことには構わず、どうぞお二人で……。とアリアこそ遠慮したい。否、いっそ見学させて貰いたいと、本気で思うのだけれど……。
とはいえ、そんなことが言えるはずもなく。
「……仕方ないな。後にするか」
「――!」
再度伸ばされた指先で耳の後ろに触れてきたシオンから、くすり、と意味ありげに笑われて、アリアは逃げられないことを覚悟した。
この後のR18版は、明後日更新予定です。(こちらはお休みです)