裏側の事件 5
「始まったな」
「……そうね」
小さな人集りを見つめて呟いたサイラスに、アリアはきゅっと唇を引き締めた。
大っぴらに宣言をして即売会が始まったわけではない。恐らくは、何人かサクラが混じっているのだろう。
宝石商を営んでいるという世間話の延長を装って、誰かが「興味があるから見せてくれないか」とでも言ったのだろう。その発言をきっかけに始まった"品評会"から、「購入できるのか」と問われたことにより、"即売会"へと変化した。
一体何事かと、一人二人と引き寄せられていけば、そこからは芋づる式に集まる人は増えていく。
そうしてパーティー会場は、いつしか宝石のお披露目会と化していた。
「オレたちも行くぞ」
促され、アリアはこくりと小さく頷いて、サイラスと共に人の輪の中へ入っていく。
少しずつ最前列まで顔を出せば、そこにはモルガンを筆頭に、しっかりと白い手袋をした者たちが、集まった"客"へと宝石の説明をしている姿があった。
「……」
いつしか用意されていた机の上に丁寧に広げられた、色とりどりの眩い輝き。じっとそれを覗き込み、アリアは眉を顰ませる。
当然のことながら、アリアには本物と偽物を見分けられるような目利きはない。だが、公爵令嬢としてそれなりに高価なものと接してきた経験と教養から、なんとなくの勘は働いた。
モルガンの背後には、先ほど部屋から持ち出したと思われるジュラルミンケース。その蓋が開いていることからも、これらの宝石はその中に入っていたのであろうことが窺える。
直接触れることを禁じて用意された手袋に、隙を見て持っていかれてしまうことがないように、机の左右には監視役のような男が二人。――ちなみに、この監視役の一人が、先ほど部屋に侵入したアリアたちを見つけた男性だった。
厳重な監視下に置かれたお披露目会は、それ自体はなにも可笑しなことはない。とても高価な宝石を取り扱っているのだ。この警戒は極々"普通"のこと。
それなのに。
「……マズイな」
ざらりとしたこの感覚が意味するものはなんだろうかと神妙な面持ちになっていたアリアへと、隣からは少しばかり「想定外だ」とでもいうような独り言が聞こえてくる。
「え?」
額に皺を寄せ、気難し気な表情を浮かべたサイラスは、潜めた声色で口を開く。
「――恐らくは、本物だ」
「……え……っ?」
それは、アリアも第六感のようなもので何処か感じていた"最悪の事態"。
しっかりと手に取って見てみたわけではないからわからないと告げながらも、顎に手を添えたサイラスは考え込むかのように眉を寄せる。
「あえて本物を展示しておいて、加工する際にすり替えるつもりなのか?」
その呟きは、すぐ傍に耳のあるアリアにしか聞こえない程度には小さいもの。
どうりでこれだけは違うケースが用意され、厳重保管されていたように思われると納得の色を浮かべながら、サイラスの思考は高速回転で次なる一手を組み立てていく。
最前列の中央まで進み出て、テーブルの端から端までを、じ……っ、となにかを吟味するかのように眺め遣る。
すると案の定、素敵な客を見つけたとばかりに、表面上だけは和やかに、けれどどこか胡散臭い笑顔を浮かべた一人の男がサイラスに声をかけていた。
「なにかお気になるものはありますか?」
「……そうですね……。この中で今すぐつけて帰れるようなものはありますか?」
室内の光を反射して、キラキラと輝くテーブルの上を眺めながら、サイラスはなにかを考え込んでいるかのような素振りを見せる。
"すぐにつけて帰れるもの"。それは、自分の眼鏡に合うものがあれば、この場ですぐに購入したいという意思表示に他ならない。
「どんなものをお求めですか?」
これは逃せない客だと思われたのだろう。隣にいる仲間たちとこっそりアイコンタクトを取るような様子が窺えて、アリアは小さく息を呑む。
「彼女にイヤリングでも、と思いまして」
「っ」
と、急にこちらに話を振られ、驚いたように顔を上げたアリアは、サイラスの「しっかりしろ」とでも言いたげな厳しい双眸に、慌てて作った愛想笑いを男へ向ける。
「耳元が少し寂しい気がする、って言ってただろ?」
な?と同意を求めてくるソレは、"溺愛する恋人"に対してか、はたまた"可愛い妹"に対してか。
「あ、はい。そうなんです……」
どちらにせよ、とにかくサイラスに話を合わせなければと、アリアは背中に伝う冷や汗を感じながらも顔だけはにこやかな笑みを浮かばせていた。
「お色はどのような?」
「さすがにそんなに高いものには手を出せないので……。純度が低くても構いませんから、ダイヤモンドなんてありますか?」
「ダイヤモンド……、ですか」
サイラスの注文に、男の目が僅かに見張られる。
この世界の宝石事情は、"あちらの世界"とほぼ同じ。純度の高いダイヤモンドなどは、よほどの富裕層を除けば婚約指輪を贈る時に購入するくらいのものだろう。
もちろん、純度のそう高くないものは庶民の手にも入りやすくはなっているが、それでも日常的に手を出すようなものでもない。
「確認して参りますので、少し席を外しても?」
「どうぞ」
高価ではあるものの、元々"純度の高くないもの"を求めているとするならば、彼らにとってもこれほどいい客はいないに違いない。
偽物を売りつけたとしても、気づかれることはない――。そう考えるのが当然だ。
後方へ下がった男は、モルガンと、その知り合いらしき男性と、3人でひそひそと顔を寄せ合い、なにやら相談を始めたようだった。
それから男性一人がその場から離れ、パーティー会場を後にする。
「……あの部屋に行ったのかしら?」
「恐らくな」
こちらもこそっと顔を寄せて話しかければ、サイラスは男が消えた扉の向こうへ視線を投げる。
サイラスの狙いは、偽物をこの場で提供させること。
思ったよりも警戒心の高い彼らのやり口は巧妙だが、"この場ですぐに"を求められれば、さすがに偽物を出してくるだろうと読んだのだ。
「お待たせしました」
それからややあって、アリアたちの元へと戻ってきた先ほどの男は、にこにこと大仰な仕草で口を開く。
「実は一点、掘り出し物がありまして。しかも、上司からは、この場限りの特別価格でお譲りしても構わないとのことでした」
「!」
上司、というのはモルガンのことだろうか。男のそのセリフは、一見獲物を逃さない為の"優遇処置"だが、サイラスとアリアにとっては違う。確実に偽物を掴ませてくるのであろうことが予測でき、アリアは心音がドキドキと高鳴るのを感じていた。
「是非お願いします」
「では、少々お待ちくださいね」
にこりとした微笑みを浮かべるサイラスは、その本性を知る者からすれば寒気が走ってしまうものだろう。だが、そんなことを知るはずもない男は、客が完全に引っ掛かったと思われるこの状況に、にこにことした笑顔を向けてくる。
「彼女に贈り物とは素敵ですね」
「ねだられるとつい買ってあげたくなってしまいまして」
飄々と男に対応するサイラスは、くすりとした笑みを洩らすとアリアへ意味深な瞳を向けてくる。
「っ」
あえて"妹"だと否定せずに誤解させたままでいるサイラスは、完全にアリアの反応を面白がっている感が窺えて、思わず睨むような上目遣いを返してしまう。
これでは、まるでアリアが"我が儘な恋人"のようだ。
「随分と愛されていらっしゃいますね」
羨ましい限りです。と続けられる社交辞令に、ついつい動揺してしまう。
「……いえ、そんなことは……」
そして、そんな他愛もないことを話していると、先ほど会場を出ていった男性が戻ってきた様子が窺えて、そっと横から商品を手渡したようだった。
「お待たせしました。こちらになります」
男が手にした白い布を捲れば、そこには確かにキラキラと輝く透明なイヤリングが姿を覗かせる。
耳につければゆらゆらと揺れるような、雫の形をしたデザイン。
「いかがでしょう?」
手袋をした手で男がイヤリングを持ち上げれば、その雫は光を反射して眩いほどに煌めいた。
「……ちょっと試着させて頂いても?」
まじまじとその輝きを観察し、サイラスは無茶とも思える希望を口にする。だが、本気で購入を考えるのならば、確かに"試着"してみることは大切だ。
「……どうぞ」
案の定、しばし考えるような仕草があった後、男はサイラスへと予備の手袋をつけるように促してから、布にくるまれたイヤリングを差し出してくる。
それを手袋をした手で慎重に受け取って、サイラスはアリアの目の前へと持ち上げていた。
「どうだ?」
下がって揺れる、美しく透き通った輝き。その煌めきはダイヤモンドのようであり、精巧に削られたガラス細工のようでもある。
この世界でも、ガラス細工を作る有名な工房はいくつか存在し、巨匠と呼ばれる芸術家もいたように記憶する。
「……すごく素敵」
一見甘く笑んだように見えるサイラスの瞳の奥は、自分の描いたシナリオ通りの動きをするよう求めていて、アリアは慎重に言葉を選びながらそれに応えた演技をする。
「つけてやる」
「――っ」
それも必要不可欠なことなのだろう。自ら恋人の耳元へとイヤリングをつけてくれようとするその動きに、アリアは一瞬動揺に目を見開きつつも大人しくされるがままになる。
サイラスの指先がなにかを確かめるように意味深な動きで宝石に触れ、まるで耳元を掬われるようなその仕草に、アリアはぴくりと肩を震わせる。
これは必要な行為なのだとわかりつつ、そんな風に耳元に触れてくるのは止めてほしい。さすがにこんなことでもなければ、シオン以外に許してはならない行為だ。
「気に入ったか?」
「……え、ええ。とても」
サイラスの瞳がじ……っ、と宝石の煌めきを見つめているその意味を理解しながら、アリアは恐らく望まれているのであろう答えを口にする。
ダイヤモンドの本物と偽物とを見分ける簡単な方法はいくつかあるという。もちろんアリアにその目利きができるとは思えないが、その一つに"線を引いた紙の上に置いてみる"と偽物は線が見え、本物は見えない、といった性質があるのだとサイラスは言っていた。
だから、恐らくは、サイラスの取った一連のその動作は、その宝石の透明度や光の屈折具合いを確認しているのだろうと思われた。
「……ビンゴ」
「――!」
くす、と僅かに口元を引き上げて、悪そうな笑みを溢したサイラスへ、アリアは僅かに目を見張る。
――その呟きの意味はきっと。
「彼女も気に入ってくれたようですし、このまま頂いても?」
男の方へと振り向いて、サイラスは良い買い物ができそうだという満足気な笑みを向けてみせる。
「っ! もちろんです。では、こちらで手続きを」
と。男はほんの一瞬驚いたように目を見開いた後、いそいそとサイラスとアリアを購入手続きへと促していた。