裏側の事件 3
アリアがそれに気づいたのは偶然だった。
モルガンと、先ほどダニエルと名乗った男性がひそひそと顔を寄せ合って、人目を避けるようにしてパーティー会場から姿を消していた。
彼らのその不審な動きになにかを予感したとしても、それはむしろ当然のことだと言えるだろう。
(……"王道パターン"、よね……?)
全くの"ゲーム"外での出来事ではあるけれど、"怪しい"という確信を持ってアリアは2人を追うことにする。
「……アリア様?」
「ちょっとお化粧直しに」
その場を離れようとするアリアに、シリルからはきょとんとした丸い目を。サイラスからは疑いの眼差しを向けられて、アリアはにこりとした微笑みを浮かべて扉の外へと足を向ける。
その姿を一度見送って、サイラスとシリルは顔を見合わせる。
「……オレはアレの様子を見てくる。お前はここで他の奴らに不審な動きはないか見張っていてくれ」
サイラスの言う"アレ"というのは、もちろんアリアのことだ。
「……やっぱりそうですか」
頭痛を覚えたかのように頭を抱えたサイラスへ、シリルはアリアの行動に苦笑いを浮かばせる。
――絶対に目を離すな。なにをしでかすかわからない。
散々注意を受けた、彼女の婚約者の忠告が頭を過る。
どうして彼女は、素直に大人しくしていられないのか。
「苦労が忍ばれるな」
「……そうですね」
彼女に振り回されているのであろう婚約者のことを思って同情を覚えつつ、サイラスはやれやれと大きく肩を落としていた。
*****
壁にへばりついたアリアが廊下の角から顔を出すと、パーティー会場のすぐ傍にある一室へと入っていくモルガンとダニエルの後ろ姿があった。
(……明らかに怪しい……、わよね?)
きょろきょろと周りを気にしてから、滑るようにして扉の向こうへと消えた2人の姿に、アリアは眉を顰ませる。
と。
「……アンタは一体なにをしてるんだ」
「――――っ!」
足音も気配もなく、耳のすぐ傍から聞こえた声に、アリアはびくりと肩を震わせる。
「……サイラス」
なにか一つのことに気を囚われると他のことが疎かになるのはアリアの悪い癖だ。これが味方ではなく敵であったら、と考えて一瞬にして高鳴った嫌な心臓の音をほっと撫で下ろしながら、アリアはすぐ傍にあるサイラスの顔を見上げていた。
「本当に面倒くさい女だな」
だが、心底そう思っていることが見て取れる、呆れたようなサイラスの嘆息に、アリアはぱくぱくと口を泳がせる。
「……な……っ、ん」
「少しは大人しくしていられないのか」
深々と落とされる疲れた吐息。
これで面倒事でも引き起こされれば、ここまでお膳立てしてきたことが全て水の泡だと、サイラスはアリアに同行の意思を尋ねたことを後悔する。
「今からでも遅くない。婚約者のところに引き渡……」
の瞬間。
「――!」
そっと扉の開く気配があって、黒い箱のようなものを手にしたモルガンたちが、しっかりと鍵をかけて部屋を後にするのに、アリアとサイラスはその一部始終を固唾を呑んで見守っていた。
「……」
「……」
息を詰め、気配を殺し、その姿を完全に見送ってからアリアは肩の力を抜く。
「……どう思う?」
「……まぁ、順当に考えれば、あの部屋に偽物が置いてある可能性は高いな」
見解を求めてくるアリアへと、サイラスは静まり返った扉の向こうへと目を凝らす。
先ほどモルガンたちが持ち出した黒いアタッシュケースのようなものには、売り物が入っていることはまず間違いないだろう。だが、その大きさから考えても、それは持ち込んだものの一部のように感じられた。つまりは、残る偽物の宝石は、目の前の扉の向こうに置いてある可能性が高いということになる。
「……」
「……」
微妙な沈黙が続くこと十数秒。
「……入ってみる?」
「っ」
おずおずとされた問いかけに、サイラスは思わず息を呑む。
その考えはサイラスも頭を掠めなかったわけではないが、それなりのリスクは伴うことになる。だが、僅かに迷うサイラスに反し、向けられるアリアの瞳は、その言葉のまま、ただ疑問符を浮かべているだけだった。
「……アンタはいつもこんな風に首を突っ込んでるのか」
そんなアリアの態度から、彼女にとってこれは極自然な行動なのだということを悟ったサイラスは、苦虫を噛み潰したような表情になる。
「……そんなことは……」
「アンタの婚約者は大変だな」
あの過保護すぎると思える婚約者が「目を離すな」と言った意味を実感し、サイラスは同情の吐息を洩らす。
薄々気づいていたような気もするが、確かにこんなことを繰り返してばかりいるのであれば、手元に縛っておきたくもなるだろう。
「……部屋の中にあるものを確かめてくるだけだ」
しばらく考え込むような仕草を見せた後、苦々しくそう決断を下したサイラスへと、アリアはこくりと頷いた。
「もちろんよ」
現行犯で取り抑えるならば、予め現物を確認しておいた方が確実性は増す。だが、もちろんその為にはそれなりの危険は伴ってくる。アリアもさすがにそれはわかっているから、渋々と動くことを決めたサイラスには素直に従うつもりだった。
「……行くぞ」
辺りに人の気配がないことを窺いながら、サイラスはドアノブへと手を伸ばす。
鍵がかけられているはずのそれをどうするのかと見守っていると――。
「っ! ……っそんなことまでできるの?」
掌へと魔力を集中させたサイラスが、カチリ、と小さな音と共にノブを捻ったのに、アリアは驚きに目を見張っていた。
「……まぁな」
できれば隠しておきたかった、という様子を見せながら室内へと滑り込むサイラスの微妙な面持ちは当然のことだろう。
鍵のかかった扉を開ける魔法が存在することは、みな頭の何処かではわかっていても認識はされていない。犯罪行為に繋がる魔法は、公に知ることはできないようになっている。
元々"強制睡眠"や"解錠"魔法といった犯罪行為に使えるようなものは高度な技術が必要とされるものが多く、そう簡単に扱えるものではない。
この世界の魔法は感覚的なものが強く、呪符や印を必要としていない。だが、形として存在しない分、その"感覚"というものが非常が難しい。水属性であるアリアが感覚的に水を操ることはできても、反対に位置する火属性の魔法を苦手とするのは、そういった"感覚"が掴み難いことが原因の一つでもある。
決して学ぶ機会のないサイラスの"解錠"魔法は、確実に独学だろう。
「……言うなよ?」
「……言わないわよ」
さすがサイラスだと感心しながらも、向けられた潜めた声にアリアは苦笑する。
"禁忌"とまではいかないが、この類いの魔法が使えることが露見してしまうことは、あまり印象がよろしくない。
ちなみに、余談だが、高位貴族の家や魔法学校などは、そもそも解除魔法を受け付けないような、さらなる高度な魔法がかけられている。
「……極々普通の来客室だな」
「そうね」
時刻は夕暮れ時。暗くなりつつある室内に明かりを灯すわけにもいかず、ぐるりと視界を巡らせてアリアは頷いた。
貴族の家には極々普通にある、客人の為の迎賓室。部屋の壁際中央には寝台があり、こじんまりとしたテーブルとソファセット。扉一枚隔てた場所には、恐らくはバスムームも完備されているように思われる。
アリアの知るところで言う"デラックスルーム"といった風だろうか。
特に不審を感じられない室内を足音を殺して歩いていると、ふとベッドの影に大きなトランクが置いてあるのが目に入る。
「これ……」
「……あぁ」
顔を合わせ、こくりと静かに頷き合う。
「開けられる?」
「あぁ」
再びサイラスの手がトランクの鍵部分へ触れ、カチリ……ッ、と小さな音が響いた後にその中身が開かれる。
「! これって……」
「やはり、な」
サイラスが開いたトランクの中。そこには、厳重な梱包がされながらも、宝石と思われる小さな光がいくつも輝いていた。
「……全部、偽物?」
「さすがにこれだけじゃよくわからないな。だが、恐らくはそうだろう」
本物か偽物かを判断するには、きちんと見てみなければわからないと言って、サイラスはダイヤモンドと思われる宝石が入った袋へ手を伸ばす。
「まさか本物をこんな風に保管したりはしないだろう」
梱包自体は厳重だが、乱雑に詰め込まれた感のある保管方法はとても丁寧とは言い難い。
透明な小袋に入った宝石を慎重に取り出そうとして――……。
「誰かいるのか」
「……!?」
ふいに扉の向こうから聞こえた声に、アリアはびくりと肩を震わせていた。