mission2-2 恋する乙女を救え!
ぶわぁぁ……!
と。
結界展開の気配と同時に、凄まじい風が室内へと流れ込み、窓が粉々に破れ散っていた。
「……く、ぁ……!」
旋風に、男が巻き込まれて姿を消す。
自分を抱き留めた感覚と、ふわりと包まれた酷く安心感のある匂いに、アリアは呆然と顔を上げる。
「……ど、ぉして……」
「お前はなにをしてる」
風を纏い、呆れた様子でそこにいたのは。
「……シ、オン……」
「あんな女のために自分を投げ捨てる気か」
チラリ、と、あまりの風の強さに顔を覆っている少女へと視線を投げ、苛立たしげにシオンは口にする。
「そんな言い方……」
ただ、好きになっただけ。
愛し方を間違えていたとしても、その気持ちは嘘じゃない。
「迷惑だ」
「そんな……」
自分に向けられる好意をばっさりと切って捨てるシオンへと、アリアは瞳を揺らめかせる。
愛した人に、同じように想いを返して貰えること。それはどんなに難しいことだろう。
狂った少女に、嘘でも想いを返せなどと言うつもりはない。けれど、せめて……。
「自業自得だろう」
冷たく言い放つシオンは、それ以上をアリアと話すつもりはない。
そして、ふと見下ろしたアリアの首筋に噛まれた血の痕があることに気づいて、ピクリとこめかみを反応させていた。
「シオ……っ!?」
首筋に、ふいに感じた、シオンの柔らかな髪の感触。
くすぐったいようなその感覚に思わず声を上げ。
「……ん……っ」
ぴちゃり……っ、と。
耳元へと妙に響いて届いたその音に、ぞくりと肌が粟立った。
「……ぁ……っ」
血の浮かんだ場所を舐め取る赤い舌先に。
甘噛みされ、頭が痺れる感覚がする。
「シオ……」
ふわ……、とした浮遊感。
刹那、身体に魔力が戻った感覚がした。
「……っ!」
ペロリと滲んだ血を舐め取られ。
「なに……っ」
「少しだけだが、オレの魔力を分けてやった」
何事もなく、淡々と告げられたその言葉に、アリアは「え……」と時を止めていた。
(……そんなことできるの!?)
疑心暗鬼になりつつも、確かに枯渇していた魔力が少し戻っている感覚はある。
(……確かに"ゲーム"内でもそんな"イベント"はあったけど!)
ふと思い出したのは、男と対峙し、魔力を消費したシオンが、キスでユーリから魔力を奪い取るという、一体どちらが目的なのだと突っ込みたくなる萌え"イベント"だ。
とはいえ、まさかこんな小さな傷口からそんなことが可能だとは思ってもいない事だけれど。
「……でも、それなら薬が……」
「無駄遣いすることもないだろう」
魔力回復薬は貴重だ。
使わずに済むのであれば、万一の時の為に取っておくべきだというシオンの言葉は尤もだとも思えたが、どうにもしっくり頷けない。
それでもお礼はしておくべきかと思い、口を開きかけた時。
「……っくぁ……っ!」
纏わり付く強風を強引に打破した男が、荒い息に肩を上下させながら、鋭い目付きでこちらを睨んでいた。
「お前の魔力を取り込んで、少し厄介だな」
軽く舌打ちし、シオンはアリアの顔を覗き込む。
「もう大丈夫だな?」
確認の意味でそう問われ、ノーとは言えないその雰囲気に、こくりと一つ頷いた。
と、シオンはその場に立ち上がり、怒りに身体を震わせる男へと対峙する。
「もう逃がすつもりはない」
言葉と同時に攻撃魔法を展開し、衝撃で背後の壁が崩れ落ちる。
それを視界の端に留めながら、アリアは今まで茫然と成り行きをみつめていた少女の元へと向かっていた。
「こっちに……っ」
このままここにいてはいつ巻き込まれるかわからない。
アリアは少女へ手を差し伸べようとして。
「嘘つき……っ!」
「……っつぅ……っ!」
パシン……ッ!と放たれた拒絶の攻撃に、顔を苦痛に歪ませる。
ズキズキとした痛みが走り、肘から下へと細い血が流れ落ちていく。
「……な、にを……」
「アンタなんて死ねばいい……!」
こっちに来ないでと叫びながら、アリアへと向けられる憎悪の目。
「愛されてないなんて嘘じゃない……っ!」
失望の言葉と共に放たれる鋭い攻撃は、闇の力を借りているのか、黒い渦となって少女の身体へと纏わり付く。
「……嘘、じゃ……」
どう言葉を返したらいいのだろう。
少女の目の前で交わされた二人の遣り取りは、少女の憎悪を煽るものでしかない。
シオンに分け与えて貰った魔力で腕へと回復魔法をかけながら、アリアはかける言葉を見失う。
「……でも、貴女は本当にそれでいいの」
傷つけて、憎まれて。
一生ものの傷を負えば、それだけで。
「うるさいうるさいうるさいうるさいっ!」
聞きたくないと、耳を塞いで頭を大きく振りかぶる。
「アンタなんかにはわからないっ!最初から全部持ってるアンタなんかっ……!」
「アリア……!」
バン……ッ!と。
風の勢いに押されて開いた扉から、華奢な身体が飛び込んでくる。
「ユーリ!?」
そのままアリアの元まで駆け込んでくるユーリに続いて、セオドアも姿を現していた。
「……なんでユーリがここに……」
「行くって聞かなくてな」
瞳に動揺の色を浮かばせるアリアへと、セオドアの苦笑が漏れる。
「まぁ、コイツが狙われているなら一人で置いていくわけにもいかないし」
どうやらシオンはユーリの部屋を借りていたわけではなく、始めから野外にいたらしい。
結界展開の気配を感じて慌ててやってきたのだと言って、セオドアはチラリと少女の方へと視線を投げていた。
「ごめんね」
一体なにに対する謝罪なのか。
そんな疑問が浮かぶよりも早く、セオドアの放った手刀が少女の背後に振り下ろされる。
カクン……ッ!と傾く身体。
「セオドア!?」
「ちょっと眠って貰っただけだ」
女の子に手荒い真似……!と、目を吊り上げるユーリに本当に申し訳なさそうに苦笑して、セオドアはその間も激しい攻防が繰り広げられているシオンと男の方へと足を向ける。
「アリアとユーリはここで大人しくしてろよ?」
振り返り、そう釘を打ってからキリリと表情を引き締める。
そしてそんな背後の様子に気づいたらしいシオンは、チラリとセオドアへと視線を投げ、
「援護しろ」
攻撃の手は止めぬままそう低く告げていた。
「援護でいいのか?」
くすっと愉しげな笑みを洩らすセオドアは、むしろお前が援護じゃないのかと仄めかす。
セオドアは、五大公爵家の中で最も攻撃に秀でた火属性の後継者だ。
「一気に片をつける」
互いの目を合わせると軽く頷き、二人で男へと対峙する。
(……どうしよう……!すごくカッコいいんだけど…!)
こんな時になにを、というか、こんな時だからこそというべきか。
ライバル同士の二人が並び立って共闘するなど、歓喜以外のなにものでもない。
互いをよく知るライバルだからか、合わせる呼吸に一切の乱れがない。
セオドアが炎の矢を繰り出し、シオンがそれを風に煽って、男を業火の中へと突き落とす。
ーーギャァァァ……!と。
声にならない断末魔が辺りに響き、男の姿が消滅した。
「……倒した、の?」
シオンとセオドアの攻撃魔法が収束へと向かい、消えた男の姿にユーリが呟きを洩らす。
警戒を解くことなく、目の前に広がった灰の燻る小さな荒野を睨み続け。
ややあって、完全にその場から男の存在が消えたことを確認し、セオドアの肩がほっと小さく落とされた。
しかし、それと同時に。
「ずっと高見の見物とはいいご身分だな」
皮肉気に口の端を引き上げると、誰もいない暗闇へとシオンの声が響いていた。
「え……?」
ふわり、と風が舞い。
どこからともなく現れたルーカスが、優雅な動作でアリアたちの前へと着地する。
「それは心外だね」
にっこりと微笑んで。月の光を背負ってルーカスは意味ありげな視線を巡らせる。
「僕はただ、生徒たちの活躍を見守っていただけだよ?」
生徒の成長を教師が妨げるわけにはいかないだろう?と、とても本音とは思えない胡散臭い笑みを浮かべて、危ないようならきちんと出てきたと薄く笑う。
「……ルーカス、先生……」
「まずは、なかなかよくやった、といったところかな?」
及第点、合格だね、と告げるルーカスは、本当に影からシオンたちの攻防を"採点"していたらしい。
「……いつから……」
茫然と呟くアリアへと、悪びれもなく「うん?」と傾げられるルーカスの首。
「ほぼ最初からだ」
いい趣味だな、と凍てつくような視線を投げ、シオンは苛立たし気な様子を隠す気配もない。
数日前から闇の気配を察していたらしいルーカスは、ここ最近学園内へと目を光らせていたという。
(私たちが動かなければ、ルーカスが一人で対処していたということかしら……?)
もはや変わってしまった"ゲーム"のシナリオに、アリアは一人心の中で考察する。
元より、このイベントはシオンとセオドアのものだった。大筋は変わっていないこの展開は、つまり、成すべくしてなったということだろうか。
「さて、と……」
そうしてルーカスはアリアとユーリの元まで歩み寄り、膝を折ると意識を失っている少女の顔を覗き込む。
「まさか魔族と契約を交わそうとはね」
「先生……」
すでに契約済みなのかと、アリアは死の宣告を告げられるような気持ちでルーカスの言葉の先を待つ。
それにルーカスは「うーん、」とわざとらしく頬へと人差し指を当て、
「まぁ、当の魔族は消滅してしまったし、まだ仮契約みたいなものだから、闇魔法の強制解除は可能だと思うけど」
チラリ、と、アリアたちの後方へと顔を上げていた。
「……これは僕じゃなくて、あちらに任せるべきかな?」
意味ありげに微笑んで、誰もいない暗闇へと投げ掛ける。
「任せていいのかな?」
沈黙が続くこと、二、三秒。
アリアの足元へと影が射し、寡黙な側近を従えたリオが柔らかな微笑みを称えてそこに姿を現していた。
「えぇ、もちろん」
君の手に余るようなら僕がするけど、と、試すような口振りを向けるルーカスに、リオは穏やかな笑みを返す。
「未来の王のお手並み拝見、てとこかな?」
そう瞳を細めるルーカスは、すでにリオの能力を認めているということだろうか。
「……ごめんね。本当はすぐにでも助けに入りたかったんだけど」
「わざわざ貴方の手を煩わせることではありません」
少女の傍にいるアリアの元まで歩み寄り、困ったように微笑うリオに、ルイスの淡々とした言葉が投げられる。
上に立つ者は、下を使うことを覚えなければと提言する側近に、リオの表情が益々困ったものになる。
「ルイス……」
それは最もな意見なのかもしれないが、リオの性格上簡単には受け入れがたいものなのだろう。
少しだけ咎めるような声色を滲ませて、リオは少女へと掌を翳していた。
ぽわ……っ、と優しい光が生み出され、少女の胸元辺りへと沈んでいく。
リオの瞳が術に集中するかのように閉ざされて、その横顔に少しだけ苦しそうな色が浮かぶ。
アリアが祈るような気持ちでリオと少女を見守る中、段々と小さくなっていった淡い光が、すぅ……、と少女の身体へと溶け込んでいった。
「……彼女……、どうなるんですか?」
成功したのだろうか。
ゆっくりと瞳を開けたリオへと、ユーリが不安気な視線を送る。
「……まぁ、どんなに甘く考えても、退学の後、親御さんの保護下に入ってもらうことになるのかな」
そして一生、外へ出ることは叶わない。
身分で人の差別をすることには異議を唱えたい部分もあるが、現状、公爵家の令嬢の命を狙ったことは大きな罪になる。
もしかしたら、それすらかなり甘い裁定なのだと思えば、ユーリも、そしてアリアにも、それ以上言えることはなにもなかった。
「そう……、ですか……」
命を救うことはできた。けれど、本当の意味で彼女を救えたかといえば、その答えは「否」だろう。
もっと、なにかできたのではないだろうか。
そう思えば自分の力のなさに泣きたくもなって、アリアは唇を噛み締める。
命があっただけでもよしとしなくてはならない。
身勝手にも、そう、自身へと思い込ませる。
「……アリア」
「はい」
悔しげに小さく肩を震わせるアリアになにを思ったのか、リオはアリアへと向き直ると少しだけ厳しい空気を滲ませる。
「今回は、結果的に狙われたのは君だったから仕方のないことなのかもしれないけど」
リオにしては珍しい、アリアを咎めるような口調。
「ボクは、言ったはずだよね?」
君を、巻き込むつもりはないと。
今回のことも、アリアが動くことがなければ、きちんとアリアを守れていたはずだと告げるリオに、アリアは返す言葉が見つからない。
本来このイベントで狙われるのは、リオの最初の読み通りにユーリのはずだったんです、なんて。
「……ごめんなさい……」
そう素直に謝罪の言葉を口にすれば、仕方なさそうに洩らされる微笑。
そんなリオへと今にも泣き出しそうな曖昧な笑顔を向け、アリアは深い眠りに落ちている少女をみつめる。
闇の力に呑まれ、操られ、ユーリとシオンへと刃を向けるはずだった少女。
その恋心が、始めから歪んでいたものだとは思いたくない。
「……シオン……。……この子の名前、知ってる……?」
少女と挨拶を交わしたことはない。
向こうはアリアのことを知っていても、クラスも違うアリアには、少女の名前を知る機会が今まで与えられることがなかった。
ただ、友人から、「ジェニー」と愛称で呼ばれていた。アリアが知っているのはそれだけだ。
「……ジェニファー・ライトだ」
「……そっか……」
記憶力のいいシオンのことだ。相手が彼女だからというのは関係なく、恐らくクラスメイト全員の名前を言えるのだろうけれど。
それでも、"名前も知らない誰か"ではないことに安堵する。
「なんだ」
「……ううん」
なぜだかすごく悲しくて、切なくて。
アリアはなにかを振り切るように小さく首を振る。
「……また、助けられちゃったわね」
苦笑して、泣きそうになる気持ちを抑えて、シオンの整った顔を見る。
「……ありがとう」
浮かべたはずの笑顔は。
恐らく、きっと、上手に笑えてはいなかった。
*****
自宅の自室へと戻って湯浴みを終えた後。
アリアは鏡の前で、肩口に残っている薄い跡を見つけてしまって顔を朱色に染め上げていた。
傷跡を消すことなくそのままにしていたのは、ただ魔力の消費を減らすためだったのか、このアリアの反応を考えた上での確信的なものだったのか。
それは、誰にもわからない。