count.2-3 闇の指環
週末までの5日間の平日。シャノンがギルバートの家に"お泊まり"に行くようなことはなかったが、その代わりと言ってはなんだが、放課後は毎日ジャレッドの事務所で遅くまで顔を合わせることになっていた。
事態が事態だけに、シオンさえ一緒にいればある程度時間的制限も緩くなっているアリアだが、それでも夜遅くとまではいかず、できる限り顔を出すようにしていた。
答えが返ることはないが、取り留めのない会話で指環に話しかけ、シャノンに意見を求めてはまた声をかけるの繰り返し。
そんな5日間でどれだけ指環と"仲良く"なれたのかはわからないが、自分たちのことを知って貰い、想いを伝えることはできたように思う。
最終日である昨夜、シャノンからは「……まぁ、いいんじゃねぇ?」というなんとも微妙な評価が下されていたけれど。
未知数の闇の魔力ということで、今回はアリアとシオンの他に、現在指環を借り受けているセオドアとルークも同行することになった。
そして、責任感の強いシャノンが一緒に行くと言い出せば、当然のように親友であるアラスターも名乗りを上げて、ギルバートを筆頭に7人という大所帯になっていた。
"充魔"の終わった仮初めの指環をレイモンドから受け取ったギルバートは、特になにも考えることなく、すでに闇の指環の嵌められている中指の隣、人差し指へとそれを滑らせようとする。
だが。
「あっ」
不意に傍から上がった声に、ギルバートはその声の持ち主――、シャノンの方へと振り返る。
「? なんだよ」
「……その指環。同じ手にしない方がいいかもしれない」
神妙な顔つきになったシャノンのその分析に、アリアはコクリと息を呑む。
「……それって……」
「……相性はあんまり良くなさそうだ」
レイモンドから渡された"仮初めの指環"と、ネロが保管している"闇の指環"。
"仮初めの指環"というものが一体なんなのかはわからないが、どことなくそこに引っ掛かりを覚えつつ、アリアは"相性が良くない"というシャノンの言葉を受け止めた。
シャノンがそう感じるのであれば間違いはないのだろう。
「……わかった」
ギルバートもまたシャノンのその表情からなにか読み取ったのか、それ以上を言及することはなく、反対の中指へと指環を嵌め直していた。
(……やっぱり続編の"主人公"はシャノンよね……)
ちらり、とシャノンの横顔を盗み見ながら、アリアは"ゲーム"の"あらすじ"へと思いを寄せる。
本来であれば、無機物である指環の気持ちを感じ取り、"主人公"であるシャノンを中心に進んでいく物語。シャノンの精神感応能力に助けられる形で指環を集めていくのではないだろうか。
(……そうすると、魔王が求めたのはもう一人の"主人公"のユーリだったり……?)
本来の"ゲーム"の細かい話まではわからない。この"ゲーム"は"BLモノ"だ。"美少年"を贄に求めたとしてもなんら不思議はない。
(……どちらにしても、"主人公"二人は絶対不可欠の存在には間違いないけれど……)
いつもながら、あまり自分が動きすぎるのはよくないのかもしれないという一抹の不安にも駆られながら、答えなど出るはずもない取り留めのないことを考える。
ユーリとシャノンはこの世界の"中心"だ。二人の存在は、本当にそこにいてくれるだけでとても頼もしい。
「……手を貸そう。決して離すな。誰が先頭だ?」
と。いつの間にか闇の聖域前まで転移していたことに気づかなかったアリアは、端的なレイモンドのその言葉にはっと意識を取り戻す。
「はぐれたら一生そのまま彷徨うことになるかもしれないからな」
それは脅しなどではなく、ただ単純に事実を述べているだけなのだろうが、レイモンドの声色が単調な為にむしろ恐さを感じさせる。
アリアが一人で考え事をしている間に、すでに話は随分と進んでしまっていたらしい。
「……洞、窟?」
目の前には、岩肌にぽっかりと口を開けた洞窟。目を凝らしても、中の様子が全くわからないほど真っ黒な闇色が覗いていた。
「入り口から出口まではそれほど長い道のりではない。ゆっくり歩いても1分程度だ。だが、私もその道しか把握していない」
闇の聖域は、やはり今までの他の聖域とは少し勝手が違うらしい。迷えば一生出てこられないかもしれないというその言葉に、全員の顔へと緊張の色が走る。
「……そんなに難解な迷路なんスか?」
「さぁな。試したことがないからな。本当のところはわからない」
ひきつった表情で向けられるルークからの問いかけに、レイモンドは淡々とそう答えるだけ。
闇の聖域を治めるネロはどうなのかは知らないが、少なくとも精霊王の一人であるレイモンドでさえ、ここから先の闇の路は、正解の一本道しか把握していないらしかった。
「挑んでみるなら止めはしないが」
「いや……っ、いいッス……!」
からかうでもなく冷静に向けられるその瞳に、ルークは慌てた様子でぶんぶんと首と手とを横に振る。
「完全なる闇の世界だ。火の魔法で照らすこともできなければ、風の魔法で方向を感じ取ることも不可能だ」
全てを吸収してしまう世界。言われてみれば、確かに洞窟の内側には一片の光すら差していない。
「虚無だ」
一切光のない世界は、それだけでどうしてここまで人間の恐怖を煽るのだろうか。
「魔族の闇世界とは違うが、それでもココが一番魔族の棲む無の世界に近いのかもしれないな」
魔族の使う闇魔法と、妖精界の闇魔法は似て非なるもの。それでも同じ闇同士、性質の似た部分はもちろんあるのだろう。
ぽっかりと口の開いた暗闇が、突然、全てを呑み込もうとする捕食者のようにも見え、アリアはふるりと身体を震わせる。
それでも、この路を抜けた先に、ネロのいる居城と闇の指環を奉る神殿があると思えば、闇へと飛び込む恐怖も半減する気がした。
「行くぞ」
レイモンドが、誰にということもなく、片手をこちらに差し出した。一瞬の譲り合いがあり、まずは渋々とギルバートがその手を取って、アリアの方へと振り返る。
「アリア」
「……え?」
差し伸べられた手に、アリアの瞳が一瞬迷うように揺れた。
だが、はぐれでもしたらと思えば、取るべきは安全が第一だ。
「……アリア」
「シオン……」
仕方ないと諦めた様子でその手を取るよう促してくるシオンの声に押され、アリアはギルバートの後に続く。
「大丈夫だ」
「うん」
すぐにシオンがアリアの手を取り、ルーク、セオドア、アラスターがそれに続く。最後尾がシャノンになってしまうのは、精神感応という特殊能力ゆえに、できる限り他人と触れ合うような接触を避けたがる傾向がある為に仕方がないことだろう。
「ゆっくり行く。頭の中で60秒程数えている間には着く。絶対に手は離すな」
その言葉に、全員身を引き締める。
そうしてレイモンドの姿が溶けるように闇の中へと消えると、続いてギルバートの姿も吸い込まれていく。
「――――…………っ」
手を引かれるまま、目を閉じて洞窟の中へと一歩踏み込んだ。
「………」
なにも、見えない。
なにも、聞こえない。
もしかしたら、声さえも闇の中へと溶けて消えてしまうのだろうか。
(……15、16……)
ギルバートとシオン。それぞれ繋いだ手の感触以外、すぐそこにいるはずの人間の気配も感じられない。
目を開けても、そこには闇が広がるだけ。
もしかしたら、まだ自分は目を閉じたままなのではないかとすら錯覚する。
(……31、32……)
レイモンドに言われたように、ただ手を引かれるままに歩を進ませながら、頭の中で数をカウントする。
(39、40……)
たった十数秒の時間が酷く長く感じられ、これだけでも不安に駆られた心臓がドクドクと音を立てて高鳴った。
なにもかも、全ての感覚が闇の中へと吸い込まれていく。
(47、48……)
自然、頭の中に浮かぶ数字が早くなり、時間的感覚も狂っていくのがわかる。
(54、55……)
ぎゅっ、と両手に力を込めれば、その不安が伝わったのか、応えるように握り返され、ほんの少しだけほっと胸を撫で下ろす。
(……60、61……!)
きっと、出口はすぐそこだ。
どちらにしてもなにも見えない闇の中。再度ぎゅっ、と目を閉じたその直後。
「はぁ~い。よく来たわね」
いらっしゃ~い。
と、淡い光と共に、明るい声が響いてきた。