count.2-1 闇の指環
気難しい表情になっているシャノンの横顔を、アリアはじっとみつめていた。
ふぅ……っ、とシャノンが肩から呼吸をし、眉の間を摘まむ。
「……これまた随分と……」
じ……っ、とシャノンが目を向けた先には、ギルバートが手にした"闇の指環"。
「……な、なに?」
精神感応能力を使ったシャノンのその奇妙な反応に、アリアはその横顔と指環とを交互に見遣って、恐る恐る次の言葉を待つ。
シャノンの両隣にはアラスターとアリア。そのアリアの隣にはシオンが。ギルバートは一人、向かいの席に座り、そんな五人の様子をジャレッドが少し離れた席から見守っていた。
「……理解不能」
どさ……っ、とソファに深く身を沈ませたシャノンの回答に、一瞬アリアの目は点になる。
「……ええ!?」
「なんだよ、それ」
ギルバートの眉は不満そうに顰められ、無言を貫くシオンからも不穏な空気が漂った。
だが、そんな中でも言葉少なな親友の考えをきちんと読み取っているアラスターは、仕方ないなというような苦笑を溢していた。
「"理解不能"、ってことは、視み取れないわけじゃないんだな?」
アラスターのその問いかけに、アリアは確かにその通りだと思い直して再度シャノンの顔をみつめる。
"闇の指環"と対話をしたシャノンからの応え。"理解不能"ということは、きちんと視んだ上で"わからない"という意味になる。
元々闇の魔力は特殊で複雑だ。王であるネロの口からも「変わっている」という評価だった。――一番変わっているのは、ネロの存在そのものかもしれないけれど。
だから、常識人であるシャノンから、"理解不能"の結論が導き出されたとしても、それは当然の答えなのかもしれなかった。
「……一言で言うなら"混沌"だな」
身を起こし、疲れた吐息と共にシャノンは言う。
「表層は不気味なくらい静かなのに、一歩奥に潜るとむしろうるさいくらいにいろいろ主張してる」
その"いろいろ"がなにか知りたいのだが、もはや言葉にはできない"感覚"なのだというシャノンの説明には、それ以上のことを求めることはできない。
本当にシャノンの能力は、ユーリと同じく"奇跡の力"だと思う。
「……なんていうか……、破壊と再生……?」
抽象的な感覚を言葉にすることは難しい。それでもなんとかその感覚を伝えようとするシャノンは、眉間へと悩ましげな皺を寄せる。
「いろんなもんがごちゃ混ぜになってる感じ」
それが"混沌"のイメージへと繋がるのだろう。
破壊と再生は相反しながらも、共存し得るもの。なにも見えない闇の世界は恐ろしいが、そこからは希望も生まれてくることだろう。
魔族の生きる闇の世界とは違い、妖精界の闇の魔力はどこか優しくもあった。
「混じり合ってて気持ち悪いけど、そういった意味では不快ではない」
とにかく全てが混じり合っている感覚は理解不能で気持ちが悪いが、伝わってくる"感情"は決して悪いものではないとシャノンは言う。
「少なくとも拒絶はされてない」
むしろ"混沌"は、全てを受け入れてくれるような優しさがある。
「ただ、"仲良く"、となると……」
そこでシャノンは当初の目的を思い出し、難関にぶつかった時のような難しい顔になる。
闇の精霊王であるネロから、"仲を深めておくように"と預けられた闇の指環。どうすればそれが叶うのかと頭を悩ませた末にアリアがふと思い出したのが、精神感応能力を持つシャノンの存在だった。
「……どのレベルを求めてんの?」
なぜか呆れたような半眼を向けられて、アリアは思わず動揺する。
「……レ、レベル……?」
「そのレベルは無理だぞ、多分」
一体なにを聞かれているのだろうかと問い返すアリアへと、シャノンは誰も見えない幻の存在を顎で指し示す。
今、アリアと共に在る水の指環。
それからこちらも、シオンと風の指環。
「……シャノンにはなにが視えてるの……?」
特別な力を持つシャノンだけが見えている世界。アリアと水、シオンと風の新密度が見えているらしいシャノンの瞳には、一体どんな世界が広がっているのだろう。
「……あくまでイメージみたいなものだけど」
再び顔を顰めたシャノンが、アリアの周りに漂うオーラへと目を凝らす。
「アンタの周りには、仔犬だか仔狐だかみたいな……。まだ子供っぽい……。のが? 飛び回る度に水が跳ねるようなオーラ? みたいな? ……でもなんか、今日は海月みたいな感覚もするけど」
「仔犬にクラゲ……」
本当に感覚的なものなのだから仕方がないが、アリアの中で同時には成立しない2つの存在に、思い描き始めていたイメージがあっさりと崩れ去っていく。
本当に、抽象的すぎてわからない。
その能力でずっと嫌な思いをしてきたことは知りつつも、こんな時だけはちょっとだけ羨ましくなってしまう。
元々目に見えるような形にはならない存在だ。その時々によって姿を変えたとしても不思議はない。
ただ、深海で揺れるクラゲの姿は、とても美しいだろう。
「ソッチは……」
今度はシオンの方へと目を移し、今度はなぜか指環ではなくその肩口をじっと見る。
元々この世に存在しないものを言葉にして形容するのは酷く困難だ。ただでさえシャノンは口が上手くない。それでも己が感じたものを、そのまま言葉に乗せていた。
「……ツンと澄ました女性というか……。凛とした鷲みたいな? が肩に乗ってる感じ……?」
一見人を寄せ付けないような、気高い雰囲気を醸し出した、鷲のような存在がシオンの肩に乗って澄まし顔をしていると説明され、アリアは少しばかり複雑な気持ちになる。
「……女性……」
穢れなき高貴なイメージは口数少ないシオンにとても似合っていると想像するが、常に"女性"が傍にいると考えると妙に落ち着かない心地にさせられる。
そしてそんなアリアの奇妙な心境に気づいたのか、ギルバートの口からは「あ」と楽しそうな声が漏れていた。
「アンタでも一応妬くんだ?」
「っ! なに言って……っ」
からかうような瞳が向けられて、アリアは瞬時に赤くなる。
自分たちに力を貸し、助けようとしてくれている存在相手に"嫉妬"なんて……。
「好きな男の傍に常にオンナがいるなんて、不快に思って当然だろ? でも、なんか新鮮だな」
「ギル……ッ!」
同意を示しながらも、にやにやとした笑みを隠そうともしないギルバートのその態度が恥ずかしくて堪らない。
なんだかんだと言いつつ図星なのだから仕方がない。
思わずもやりとしてしまった原因は、間違いなくソコにある。
「……なるほどな。それは悪くない」
「シオン……ッ!」
こちらはこちらでくすっ、と意味ありげに笑われて、アリアは咎めるような声を上げる。
それはつまり、妬かれることが気持ちいいという意味で、どうしたらいいのかわからなくなってくる。
嫉妬など不要なことだと理性では理解しつつ、恋する乙女心は非常に複雑だ。
シオンに対して、今までこんなことを思ったことなんてないのに。
「そっちだってチビとはいえオトコがいるんだ。お互い様だろう」
「だからって見えないし……!」
あくまで見えているのはシャノンだけ。そしてそれも感覚だ。
オトコと言われても困ってしまう。
「オレにも見えない」
「……それは……っ、そぅ、なんだ、けど……」
はっきりと同じ答えを返されて、アリアは思わず口ごもる。
なんだか、すごく悔しい気がする。
思わず動揺してしまったアリアに対し、シオンは余裕綽々だ。
それが、すごく恥ずかしい。
「あー、はいはい。痴話喧嘩はいいから、な?」
そこで場の空気を変えるように、パンパンと手を叩きながらジャレッドが傍まで寄ってきて、ぐるりと今いる面子を見回した。
「で? どうやって"仲良く"なるんだ?」