chit chat 2
一瞬なんの話をしていたのか忘れかけてしまったが、思い出し、ネロは中指を口元に、人差し指を頬へと当てて思案する素振りを見せる。
「まさかそんなにはっきり聞かれるとは思わなかったわぁ。本当に可笑しな娘ね」
その言葉通り、長い睫毛をぱちぱちさせながらまじまじと顔をみつめられ、アリアはやはり聞くべきではなかっただろうかと不安そうな表情になる。
「気分を悪くされたならごめんなさい……」
それにネロは「いいのよぉ」とパタパタと手を振りながら明るく笑い、ことりと首を傾けていた。
「別に悪くはないわよ? まぁ、良くもないけど」
そう言うネロの口調は穏やかで、レイモンドに対して負の感情を抱いている様子はどこにもない。
ただ。
「レイモンドはあぁいう堅物なタイプだから。ほら、アタシはこんなでしょう? なかなか受け入れ難いのよ」
ほぅ……、と深く溜め息を吐き出して、ネロは苦笑いを浮かばせる。
確かにレイモンドのお堅い性格を考えた時には、男性が化粧をして着飾るなど信じ難いことなのだろう。特にネロの場合、本人曰く、心は本当に"女"なのだというのだから、益々理解に苦しむに違いない。一部の"オネェ系"や"オカマタレント"が人気を取ってた"日本"とは違い、この世界はまだまだ性同一性障害などのジェンダー問題はかなり遅れている。
「アンタは本当に変わった娘ねぇ? 色眼鏡でアタシのことを見ないでしょ?」
「……変わっては……、いないと思うのですが」
アリアがネロに対して抵抗がないのは、かつての価値観に影響されているからなのかはわからない。ただ、これも"個性"かと思えば、同じ女性としてその艶やかな肌を保つ方法などを是非伝授して貰いたいと思ってしまう。だから、どんな反応が正解なのかわからないまま困ったように微笑すれば、ネロはそんなアリアの長い髪をさらりと一房掬っていた。
「可愛いわぁ」
甘やかな瞳でアリアを見下ろし、ネロはうっとりと呟いた。
「「――っ」」
の、瞬間。
「あまりコイツに近づかないでくれ」
「コイツを変な道に引きずり込むなよ」
ぐいっとシオンに後方へと引き寄せられ、ギルバートがネロとアリアの間に割り込むようにして一歩前へと踏み出した。
「……2人とも……。ネロ様は女の人なんだから……」
そのアリアの台詞とあまりの2人の過保護ぶりにネロは目を丸くして、アリアは困ったように2人を見遣る。
「……オンナノヒト……?」
後方で、微妙に表情を顰めたユーリが、その言葉の意味を噛み砕くように呟く声が流れてくる。
「百歩譲ってそうだとして、世の中には男色家だっているんだから、女が女、のパターンだってあるだろ?」
「男だろうが女だろうが関係ない」
ギルバートとシオンが口々に言葉にする、それが全てを物語る。
2人にとっては、相手が何者であろうと関係ない。
極端な話をすれば、ネロの性別になど興味がないと言ってもいい。
本気でネロの悪趣味などどうでもいいと思っているらしい2人の様子に、ネロの顔へは少しだけ複雑そうな色が浮かぶ。だが、そこに何処か嬉しそうな気配が滲んでいる気がするのは気のせいだろうか。
「とにかくお前は、これ以上アイツに関わるな」
「アンタだったらアレを治しかねないしな」
「……ちょっと、仮にも精霊王に向かってアレはなくなぁい?」
少女を左右から囲って口々に言われるその内容に、さすがのネロも軽く突っ込むが、ギルバートとシオンは全く気にする様子もない。
「うるさい」
「黙れ」
「……」
むしろ2人揃って冷たい視線を向けられて、なにか変な性癖に目覚めてしまいそうになる。
「……"治す"、って……。病気じゃないんだから……」
「……っ」
だが、困ったように眉を下げたアリアが口にしたさりげないその言葉に、ネロは思わず息を呑んでいた。
「だからどうしてお前はそう警戒心がないんだ」
「アンタは無防備に相手に突っ込むんじゃねーよ」
動揺したように口を閉ざすネロなど無視して、シオンとギルバートのお説教は続いていく。
「……そんなこと……」
「アイツは要注意人物だ」
「パクッと食われたらどうすんだよ」
右から左から責めるような目を向けられて、さすがのアリアも困惑する。
「……そんなこと、あるはずが……」
相手は、これから協力を仰ぐべき闇の精霊王で。心は女性で。つまりは、ネロが好きなのは男の人なわけで。
むしろ美容やファッションに関する"ガールズトーク"――可能であれば恋愛トークも!――をしたら楽しいだろうなと思うアリアのなにが悪いのか。
(……やっと少しは"BL"展開が楽しめるかと思ったのに!)
「「アリア」」
じろりと2人に見下ろされ、アリアは煮え切らないながらも渋々と押し黙る。
「……お前ら、気持ちはわかるけど……」
そこへ、「いい加減にしとけよ?」と深々とした溜め息を吐き出しながら傍へ寄ってきたのはユーリだ。
「アリアも。みんなアリアが可愛すぎるから心配なんだよ」
わかった?と邪気のない笑顔を向けられて、そこに深い意味はないことはわかっていても、つい顔へと熱がこもってしまう。
「っユーリ……ッ」
この世界で一番"可愛い"のは"主人公"であるユーリだ。そんなユーリに"可愛い"などと言われると恥ずかしくて堪らない。
ちなみに、もう一人の"主人公"であるシャノンは世界一"綺麗"な存在だ。
「はい。返事!」
やはりユーリは最強だ。
腰に手を当て、3人へとぷんすか反省しろと目で訴えてくるユーリへと、アリアは大人しく小さくなる。
「……はい」
対し、シオンとギルバートが嫌そうな顔をしながらも渋々と押し黙ったのに、ネロは腹を抱えて大笑いしていた。
「……ホント、いいわぁ、アンタたち」
目の端に浮かんだ涙を拭い、ネロは今だ堪えきれない笑いに肩と腹膜を震わせながらアリアたちへと顔を向ける。
「……とりあえずアタシの性癖は置いておくとして、そろそろ本題に入りましょ」
その言葉に、確かにネロはなんの為にやってきたのだろうという初心に返り、アリアたちは構えるようにぴりりとした空気を滲ませる。
さすがになんの理由もなく、"暇だから遊びに来た"などということはないだろう。
「はい、これ」
そうして目の前へと差し出されたソレに、ギルバートの顔が呆けたものになる。
「……は?」
ネロの掌の上。全員の視線の先には、お馴染みとなった鉛色の指環が乗せられていた。
「仲良くね?」
呆然とするギルバートの手を取って、強制的にそれを握らせながら、ネロはくすりと魅惑的な笑みを浮かべてみせる。
「……いや……、"仲良く"、って……」
「それにはまだ全く能力はないから、仮初めの指環の代わりにはならないけど」
動揺するギルバートから手を離し、そこは冷静な声色で説明したネロは、次には悪戯っぽい瞳でぱちりとハートマーク付きのウィンクを投げていた。
「貸してあげる」
「……いや……、でも……」
「人間界での一週間くらいじゃあ、指環が吸収できる魔力なんてたかが知れているもの。だったら妖精界に置いておくより、その分その子のことを知って貰った方が効率がいいわ」
意図がわからず、指環とネロとを交互に見遣るギルバートに向かい、ネロは真面目な意見を口にする。
「闇の子はみんなひねくれてるから。ちょっと手懐けるのが大変かもしれないわ」
王であるネロの特殊性然り、先程アリアへと意地悪を仕掛けてきた妖精といい。一癖も二癖もあるのは指環も同じだと言って、ネロはくすりと楽しそうに微笑んだ。
「せいぜい仲を深めて、今度、持ってきて頂戴」
親睦を深めた上で、闇の聖域へ。
そこで待っているからと言って、ネロは妖精界へと続く扉の方へと戻っていく。
「……ネロ様……っ!」
ひらひらと手を振るネロへとかけられた呼びかけはアリアのもの。
「今度、その肌艶の美容方法教えて下さい……!」
大声で口にされたその願い事にネロの目は丸くなり、すぐに嬉しそうな微笑みが返される。
「もちろんよ」
そして光の中へと消えたその姿。
「「「アリア……ッ!」」」
頼むから自覚してくれと三者三様に叫ばれたその声に、アリアは申し訳なさそうな微笑みを返しながらも、自重する気配は見られなかった。