mission2-1 恋する乙女を救え!
不気味な紅い月が見下ろす夜。
少女は悪魔と契約する。
愛しい男の心を手に入れたいと。
それが仮初の契約で、男に利用されているだけなのだとは気づかない。
無理矢理闇の力を融合させられた少女は、ユーリとシオンに自ら襲いかかってくる。
すでに闇の力に染まってしまった少女を助ける術はなく、彼女は絶望の淵で命を落とす。
そしてその後、少女と契約を交わした男を探し出すというイベントを経て、滅ぼすというラストに繋がるのだが、その流れを組むつもりは毛頭ない。
(契約する前に消滅させてみせる――!)
それが、アリアの目指すべき終演だ。
*****
アリアは目を閉じ、シオンに倣った風魔法を行使することに集中する。
使い慣れない魔法の持続はかなりの神経を磨り減らすが、それでもアリアは魔法の行使を止めようとはしない。
先日の男が、今夜、どのタイミングで少女へと接触を図ってくるのかわからない。それを的確に把握するには、こうして少女の部屋近くで常時意識を向ける必要があった。
アリアは女子寮のゲストルームに泊まっているが、シオンとセオドアはユーリの部屋にいるはずだ。
嫌な予感がするという、なんとも曖昧なアリアの不安を否定することなく、リオからユーリの警護を頼まれたシオンとセオドアは寮への滞在を決めてくれていた。
今夜、実際に狙われるのは、ユーリではなく別の少女なのだけれど。
(ユーリも不安よね……)
狙われているのはユーリだと、そうはっきり告げられて不安になるなという方が無理だろう。
そう思えばやはり迂闊なことをしてしまっただろうかという後悔も生まれるが、実際、アリア一人の力で対抗できるとは思えない。
元々は、シオンとセオドアの二人がかりでのイベントだ。
ユーリの優しさを利用するような形になってしまったことを、心の底から申し訳なく思う。
シオンとセオドアは、今頃ユーリが狙われると思って神経を尖らせていることだろう。そして、女子寮にいるアリアは、あくまで三人を心配して近くに滞在していると思っている。
一応、どこで、なにが起こってもいいように、万が一結界を展開する気配があった時にはすぐに駆け付けてくれることにはなっている。
悔しいかな、アリア一人で敵に対峙するなど、無謀なことはわかりきっているのだから。
そうして少女の部屋の方向へと神経を集中させていたアリアは、ふいにドアの外に立った気配に気がつくのが遅れてしまっていた。
「こんばんは」
「!」
いつでも外へと飛び出していけるように施錠をしていかなったのが裏目に出た。
音もなく入ってきた先日の男の姿に、アリアは呆然と目を見張る。
「……どうして……」
どうしてここに現れたのか。
少女を利用しようとするならば、行き先はここではないはずだ。
アリアは身構え、瞬時に結界を展開すべきか判断に迷う。
そして、その刹那の迷いが、男とアリアの優劣を一瞬にして決めていた。
「今夜は貴女に用がありまして」
意味ありげに嗤い、「入ってきなさい」と外へと向けられたその言葉に、例の少女が顔を見せる。
「なん……」
「お友達を呼ぶような真似をしたら、彼女を殺しますよ?」
アリアが一人で男に挑んでくるわけがないと、最初から全てお見通しだとでも言いたげに口元へと愉しそうな笑みを刻み、男はさらりと少女を盾にする。
(……ゲームと違う……!)
事前にアリアがいくつかの布石を潰してしまった為か、大幅に変わっている展開に、アリアの背中へと冷たい汗が伝っていく。
少女は、ただ利用されて操られるだけだった。
それなのに。
「……どうして……」
浮かぶ、何度目かの疑問符。
少女は男に殺されると聞いても全く動じる様子がない。
それが、アリアには理解できない。
「実はですね」
酷く愉しそうに歪められた瞳が、ひたりとアリアの顔をみつめてくる。
「彼女に、貴女を殺して欲しいと頼まれまして」
「……な……っ?」
笑って告げられたその言葉に絶句するアリアを愉しそうに眺めながら、男の瞳はますます愉悦に歪んでいく。
「愛した男の心が手に入らないのならばいっそ憎まれたいだなんて、歪んでいて大好きですよ、そういうの」
「……ま、さか……」
すでに契約は済んでいるとでもいうのだろうか。
からからに乾いていく喉へとごくりと唾を飲み込みながら、アリアは少女の方へと顔を向ける。
「抵抗するならどうぞ?その代わり、私は殺されるけど」
アリアのその動揺をどんな意味で捉えたのか、そう平然と言ってのける少女は、アリアが自分を見捨てることなどできないことを理解して、悠然と自分を盾にすることを望んでいた。
「……どう、して……」
対峙する相手を陥れる為、自ら人質となることを厭わない。
通常では考えられない思考回路に、乾いた言葉しか出てこない。
「清廉潔白なお姫様が、友人を見捨てて保身に走るなら、それはそれで構わないの」
それでアリアの心を汚せるのなら、それはまたそれでいいのだと、少女は可笑しそうに表情を歪ませる。
「……あの人は、私になんて目もくれない」
ぎりっ、と唇を噛み締めて、少女は憎悪の感情を漲らせる。
「あの人の隣に当然のように立つ貴女が憎いわ。あの人だって……っ!」
――いっそぐちゃぐちゃにしてやりたい。
ニタリ、と、歪んだ愉悦に頬を朱色に染めながら、少女は興奮気味に言葉を踊らせる。
「貴女を殺したら、どんな風に私を見てくれるかしら?」
まるで歌でも歌っているかのように高揚していく声色。
「私のこと、一生忘れないでいてくれるなら」
――命くらい、くれてあげる。
「……そ、んなのって……」
どうしたらここまで歪んだ感情に身を任せられるのか。
原因は一つしか思い付かずに、アリアは男の方へと顔を向ける。
けれど。
「私はなにもしていませんよ?素敵な負の感情を見つけたもので、ちょっと声をかけさせて頂いただけです」
人間とは本当に面白い生き物ですねぇ、とクツクツ笑いながらその考えを否定され、アリアは絶望の淵に追い込まれる。
これが、この少女の意志だというのだろうか。
「貴女を殺せば私に協力してくれるというもので。利害の一致というやつでしょうかねぇ……」
面白そうでしたので、つい。と笑う男の言葉には嘘はないように思われる。
男にとっては、ユーリを手に入れるための道具にしか過ぎない少女は。けれど、男へと歪んだ愉悦を運んでいた。
わざわざ少女の望みを叶えてやる道理はないが、そこは冥く甘やかな道楽に少しくらいならば付き合ってみても面白いと思ったのだろう。
「そうよ。だからさっさと殺して頂戴」
そう命じる少女と男の関係は、もはや"ゲーム"からは逸脱している。
少女自身が自ら望んで人質になっているこの状態では、男の隙をついてどうこうできるとも思えない。
アリアは拳を握り締め、真っ直ぐ少女の顔を見る。
「……私を殺したいのなら、貴女が自分の手で殺せばいいじゃない」
シオンに憎まれたいならなおのこと。
なんとか男と引き離すことはできないだろうかと、アリアはわざと挑発的な言葉を投げる。
「そうね。その通りだわ」
そして、少女のその言葉に、これで少しは自分の思惑通りに事が進むかもしれないと安堵しかけた時。
「でも、残念ね。そんな甘言には乗らないわ。私は貴女を甘くみてはいないもの」
にっこりと甘やかな微笑みを返されて、アリアは愕然と瞳を揺らしていた。
アリアを自分自身で殺そうと向かってくるならば、アリア一人でも少女だけならばなんとか対処できると思っていたことを完全に見抜かれている。
「だから、さっさと殺されて?」
目を細め、愉しそうに首を捻ってみせる少女に、男が段々とアリアの方へと歩を詰めてくる。
このまま少女を人質に取られたままではなにもできない。
じりじりと後退り、すぐに背中が壁に触れて、壁際まで追い詰められたことを知る。
伸ばされた男の片手が顎を掴み、もう一方の手がアリアの肩口を露にする。
「……っつう……!」
瞬間。
そのまま首筋へと噛み付かれ、アリアは思わず声を上げていた。
まるで吸血鬼を思わせる仕草で吸い上げられ、魔力がごっそりと抜けていく感覚がする。
貧血が起きたように頭がふらつき、平衡感覚が失われていく。
「これはまた……」
驚いたような感嘆の声が漏れ、男の喉が鳴った。
「……なるほど。貴女は光を汲む者でしたか」
吸い上げた魔力に王家に連なるものが入っているのを感じたことを示唆して、男は予想外の御馳走に酷く愉しそうに嗤う。
「これは、ただ殺すなんて勿体ない」
「!なに言ってるの……!」
クツクツと嗤う男の言葉に少女の怒りに満ちた声が上がる。
「さっさと殺してって言ったじゃない!」
それを無視し、男は愉しそうに目を細めるとアリアへと呟くような囁きを漏らしていた。
「アレはこの世に二つとない、奇跡とも呼べる至高の宝珠だが、貴女も最上級の極上モノには違いない」
男の言う「アレ」とは、ユーリのことを示しているのだろう。けれどアリアとて王家の血筋を色濃く継いでいる。魔力の質で言えば国内でも上を探す方が難しいくらいだろう。
「まぁ、そう焦らなくても」
早くと急かす少女に「このまま殺すのは惜しい」と呟いて、男はにっこりと少女へ微笑みかける。
「貴女も言っていたでしょう?ぐちゃぐちゃにしてやりたいと」
そう同意を求める男の声は酷く愉し気で。
「貴女は、目の前で彼女がズタズタに引き裂かれるのをただ見ていればいい」
その方が残るダメージも大きいですし、と最もそうな意見を口にして口元を歪ませる。
「っ!だったらさっさとしなさいよ」
そしてその意図するところを察したのか、少女は小さく舌打ちした後、怯む気配も見せずに「気が済んだらとっとと処分してよ」と男に許可を出していた。
「仰せのままに」
大袈裟なくらいの仕草で少女へと頭垂れ、男はチラリ、と部屋の奥へと視線を投げる。
「ベッドがいいですか?それともこのまま月に見下ろされながらの方がお好みですか?」
上向かされ、男の指先が腰から脇を明らかな意図を持って這い上がっていく。
選択肢を与えながら、アリアの答えなど待っていない。
男の言葉に促されるように視界の端に捉えた窓の外には、不気味に輝く紅い月。
(……どうしたら……っ!)
ほとんどの魔力を吸い上げられ、もう魔法は行使できない。
最も、例え魔力が残っていたとしても、この状況で男よりも早く少女を浚って攻撃に転化するなどアリアには不可能なことなのだけれども。
男の手が胸元へ伸び、アリアはぎゅっとキツく目を閉じる。
の瞬間。