count.6-6 水の指環
身を起こし、通常運転に戻ったルーカスを背に、アリアはラナへと指環を乗せた手を差し出した。
「……ありがとう、ございました……」
ラナと指環、双方に心から感謝の気持ちを示して頭を下げる。
鉛色だった指環は輝きを取り戻し、蒼色と銀色の美しい光のコントラストを放っていた。
「その指環は、お持ちになって下さい」
本来の輝きに戻った指環へと手を伸ばす気配を見せることなく、ラナはそうにっこりと微笑んだ。
「……え……? で、でも……」
「きっと、これから先もアリア様を助けてくれるはずです」
仮初めの指環と同じく、少なくともそれを身に付けていれば、短い時間ではあるものの、妖精界の時間の流れに身体を馴染ませることができる。それだけでも持っている価値はあると言って、ラナはアリアの掌の上の輝きへ眩しそうに目を落とす。
「指環も、それを望んでいます」
光を反射するかのようにキラッ、キラッ、と輝くその反応は、まるでコクコクと頷いているかのようで。
「それより、早く戻りませんと」
慈しむような瞳を指環に向けていたラナは、すぐに顔を上げるとアリアたちへとそう促してきた。
「私も付いて行きますから、今は急ぎましょう」
「は、はい……」
確かにラナの言う通り、ここでゆっくりと話している時間はない。
目的を果たせたならば、すぐにでも人間界へと戻らなければ、あちらでどれだけの時間がたってしまっているかわからない。
「……ラナ」
颯爽とした足取りで先を急ぐ背中へと少しばかり咎めるような声がかけられて、ラナはレイモンドの方へ振り返る。
「すぐに戻るわ。指環がないからといって、本来の姿を取り戻した今なら、少しくらい私がいなくても大丈夫よ」
精霊王は、己の聖域を守り、妖精界全体の魔力の流れを取る役目がある。
輝きを失い、魔力の不安定だった今までであれば、精霊王たちが自分の聖域から離れることはあまり好ましいことではなかったが、少なくとも本来の姿を取り戻した水の聖域に関して言えば、少しばかり王が離れたところで悪影響はないだろう。
それでも聖域の神宝である指環が長期不在になるのであれば、やはりラナはそこから離れるわけにもいかず、レイモンドに向かって不満そうに頬を膨らませていた。
「心配なら、貴方が残ればいいじゃない」
王が2人も聖域を離れることを危惧するというのなら、レイモンドが自分の聖域に戻ればいい。
「ラナ……」
先を急ぐラナへと顔をしかめるレイモンドは、同じ立場の王というよりも、その見目もあって我が儘な子供を窘める厳格な父親のようで、アリアなどは込み上げる可笑しさにこっそり笑みを溢してしまう。
「聖域の近くは転移魔法が使えないから……。ごめんなさい」
聖域に溢れる魔力の影響が及ばないところまで歩いていくしかないのだと言って、ラナは申し訳なさそうな表情をする。
「指環があれば肉体的には人間界の時間に囚われることはないですが、一刻も早くお帰りになった方がいいですものね」
ラナの先導で元来た道を足早に進みながら、アリアは己の小指に嵌められた輝きへ視線を投げ、再度おずおずと口を開く。
「……あの……、本当に、いいんですか?」
恐らくは、妖精界に在る6つの指環は、この世界にとっての"お守り"のようなものではないかと察せられる。
そんな唯一無二の大切なものを、アリアが持っていていいのだろうか。
てっきり魔王を封印する時にだけ借り受けるようになるのだろうと思っていたアリアは、困惑に大きな瞳を揺らめかせる。
確かに"ゲーム"の"ストーリー"は、6人の精霊王たちから指環を集める、というものではあったけれど。
「大丈夫です。聖域に魔力が満ちてさえいれば問題ありませんから」
これもお二人のおかげです。と嬉しそうに長いスカートの裾を翻し、ラナは悪戯っぽい瞳を光らせる。
「全て終わった後にお返し下されば」
「ラナ様……」
指環もそれを望んでいます。と微笑まれ、アリアの口からは感嘆の吐息が洩れる。
ラナは水の精霊王。指環は、水の力の象徴。
そんな存在がそんな風に思ってくれることは、単純にとても嬉しいことだった。
「今度は、私たちがアリア様のお力になります」
見た目はアリアより幼く見えても、ラナは紛れもなく"王"だった。
力強い意思を瞳に乗せて、ラナはそうはっきりと宣言した。
「……全て、終わったら……」
それから、先ほどの悪戯っぽい表情を思わせる可愛らしい苦笑いに、アリアは「はい」と返事を返す。
「その時は、人間界に遊びに行かせて頂きますから」
「!」
ずっとそれを言いたかったのだとわかり、アリアは驚いたように目を見張る。
「アリア様と、お友達になりたいです」
「……っ、はい……!」
それはどんなに畏れ多いことだろうと思いつつ、それでも嬉しくて堪らない。
こんなに可愛らしく凛とした存在と友人関係を築けるなんて。
「焼き菓子をたくさん作ってお待ちしてますね……っ!」
「っ! 是非……!」
約束です。と笑い合う楽しそうなガールズトークに、ルーカスは微笑ましげな瞳を向け、レイモンドは相変わらず難しい表情で眉を寄せる。
「……この未来に、幸あらんことを……」
そうして新しくできた可愛らしい友人に見送られ、アリアとルーカスはレイモンドと共に人間界へと戻っていた。
*****
アリアたちが妖精界にいる間に、人間界ではどのくらいの時間が経過したのかはわからない。
ただ、異界の扉を抜けたアリアが顔を上げた時には、リオを除くメンバーがそのまま勢揃いしていた。
「アリア……ッ」
「アリア……!」
ある者はハッと顔を上げ、ある者はその場に立ち上がり。いの一番でユーリが駆け寄ってくるのに、アリアは驚いたように目を瞬かせる。
いつ戻るかわからない自分達を、ずっとここで待っていてくれたのだろうか。
「……みんな……」
「……アリア」
なんだかここ最近、妙に涙脆くなった気がする。
そんなみんなの想いにじんわりと涙が浮かびそうになるのに、アリアは聞き慣れた低音に静かにそちらへと顔を上げる。
「……シオン……」
「……どうやら、一つ目の指環は無事手に入ったようだな」
アリアの小指で存在を主張する輝きに目を落とし、シオンから安堵の吐息が洩らされる。
「うん……」
指環の嵌められた手を顔の前まで上げてみせ、アリアは小さく頷いた。
水の聖域に納められた、大切な大切な神の宝。
それを貸してくれた友人の笑顔を思い出し、アリアは仄かな微笑みを洩らす。
「師団長も、お疲れ様でした」
一方、そんなアリアの横顔を慈しむような眼差しでみつめていたルーカスは、静かに寄ってきたルイスの労りの言葉に、にっこりとした笑顔を向けていた。
「アリアのお手柄だよ」
そうして中指に嵌められた鉛色の指環を掲げて見せたルーカスに、ルイスは驚いたように目を見張る。
「っそれは……」
「後で話すよ」
アリアの小指で輝いている指環を見れば、もうアリアには"仮初めの指環"など必要ないのかもしれない。それでも、ここを出る時には確かにアリアがしていた指環がルーカスの元にあるのに、ルイスは瞬時にその理由や経緯を予測して2つの指環を目だけで交互にじっと眺め遣る。
苦笑するルーカスに、ルイスが再度冷静な瞳を向けた時。
「アリア……ッ、師団長……っ」
公務で忙しく、どうしてもずっとこの場にいることが叶わなかった主が瞬間移動で現れたのに、ルイスはそっと頭を下げていた。
「リオ様」
リオの登場に少しだけ場の空気が本来の落ち着きを取り戻すのに、清廉な皇太子は一瞬アリアとルーカスに視線を投げただけで、すぐにレイモンドの方へと向き直る。
「……レイモンド王も」
この世界の王家代表として、凛とした物腰で頭を下げる。
「この度は、ご協力本当に感謝致します」
目的が無事に果たせたことなど、この場の空気を読めばすぐにわかることだった。
そのことに改めて感謝の意を述べるリオへと、レイモンドは相変わらずの気難しい表情を貼り付ける。
「……私は指環の元へと案内しただけだ。特になにもしていない」
「それでも、充分です」
例えその言葉通り、直接的な手助けなどをしていなかったとしても。まだ大きな痛手を負ったままにも関わらず、こうして最大限の協力を承諾してくれたこと自体に価値がある。
「……良かった」
人の輪の中で綻ぶような微笑みを浮かべている少女の姿が瞳に映れば、自然、独り言のような安堵が洩れた。
そんなリオの反応をじっと眺めていたレイモンドは、そっと視線を遠くへ移すと見るともなく少女の方へと顔を向けていた。
「……不思議な娘だな」
「え?」
「まさか、本当に指環に魔力を与えることができるとは思ってもいなかった。……しかも、こんな短時間で」
輝きを失った指環に魔力を与えることは、一番の理想ではあった。だが、本当にそれが叶うかどうかは、レイモンドたち精霊王でさえ未知の領域の話だった。例え可能だとしても、それは時間と膨大な魔力が必要になるだろうと。だから、すぐには叶わないとわかった時には、また別の形を考えようと思っていた。
それなのに。
確かに、水の魔力と相性が良かったことは大きいだろう。水を愛し、愛される存在。
それでも、根本的な理由は、きっと別のところにある。
「……そうですね。そういう子、なんです」
「……」
何処か甘い眼差しで少女をみつめ、少しだけ自慢気に苦笑するリオへと、レイモンドは思わず沈黙する。
「……今日はもう、休むがいい。また今度、呼んでくれ」
アリアとルーカスはもちろんのこと、いつ戻るかわからない2人をずっと待ち続けていた他の面子も、相当精神的に疲れているだろう。
これだけの人間に愛される少女を思えば、言葉にならないなにかが胸に湧く気がして、レイモンドはそこから目を反らすように今日はここまでだと打ち切った。
「本当にありがとうございます」
「……いや……。礼を言うのはむしろこちらの方かもしれないからな」
「え……?」
独り言のように洩れた呟きに、リオの目が瞬いた。
「……気に病む必要など全くない、という意味だ」
それになぜか苦々しいものを感じながら、レイモンドは淡々と口にする。
――水の聖域に、本来の輝きを与えた存在。
助けるつもりで助けられていることに、なんとも言えない思いが浮かぶ。
「感謝します」
「……」
一国の皇太子があっさりと頭を下げてみせるのも、レイモンドには多少の困惑をもたらした。
「……では、今日のところはこれで失礼する」
「はい。お忙しいところをありがとうございました」
微笑んで、リオは礼儀正しくレイモンドを見送りかけ……。
「っ! レイモンド様……っ!」
そんな2人の様子に気づいたのか、慌てたようにこの場で唯一の少女の声が響き、レイモンドは踵を返しかけた足を止めていた。
「……」
一瞬の間があって、ゆっくりと少女の方へと顔を向ける。
「今日は、本当にありがとうございました……!」
なんの邪気もない柔らかな微笑みを浮かべ、ぺこりと頭を下げてくる。
それに周りの面々もつられるように頭を下げれば、レイモンドの無表情の中にもなんとも言えない複雑な感情が覗いていた。
「……礼など必要ない」
特に、自分をみつめるギルバートの瞳が本気の安堵を示していて。
過去の恨みなど本当に忘れてしまっているかのようなその眼差しに、居心地の悪さを感じてしまう。
「……こんなことで償えるとも思わないが」
ギルバートに対する負い目は大きなものがある。
それでも。
「……私も、あんな想いはさせたくない」
その低い呟きは、誰にも届くことなく溶けて消えてしまったけれど。
「……レイモンド王……?」
「失礼する」
なにかを察して向けられるリオの視線から逃れるように、レイモンドは扉の向こうへと姿を消していた。
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