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count.6-5 水の指環

「ルーカス……ッ!!」

 もはやアリアの太もも辺りにまで満ちた泉の中。

 一瞬の迷いもなく飛び込んだアリアは、ラナと共に水に沈んだルーカスの身体を抱き起こす。

「ッレイモンド!」

 ラナが顔を上げ、水際にいたレイモンドがルーカスの身体を引き上げて、力を失くしたその肢体を横たえる。

「……魔力が枯渇しているな」

 びしょ濡れになり、ぐったりと力失く目を閉じたルーカスの身体に手を置いたレイモンドが、冷静な瞳でその状態を観察する。

「……生命力も消耗している」

「っ!? っな……、ん……?」

 ――生命力。

 それは、つまり、命が危ういことかと理解して、アリアの顔色がみるみると真っ青に染まっていく。


 ――悲劇の結末(バッドエンド)は、なにも指環が手に入らないことだけだとは限らない。


「禁プリ」には、主要キャラクターをあっさり殺せてしまう結末も待っている。

 この「続編」も、そんな残酷な結末があってもおかしくない。

 元々ルーカスには、「1」の中で魔力が暴走し、死んでしまう結末も用意されている。

 それが、今。別の形で強制的に軌道修正されたとしても、なんら不思議なことでないように思われた。

「……ルーカス……ッ!」

 水に濡れた寒さの為か、魔力と生命力を使い過ぎた為か、触れたルーカスの身体の冷たさにぞっとする。

 このまま体温が戻らなかったら……、目を開けることがなかったらと思うと、恐怖で身体が小刻みに震え出す。

妖精界(こちら)と人間界とでは時間の流れが違う。それに逆らおうと抗うことは、魔力だけでなく生命力をも消耗する」

 アリアは、一時的なものであれば妖精界(こちら)の時間の流れに身体を馴染ませることのできる指環を借りているが、ルーカスは全くの生身だ。

 前回、アルカナを討伐した時のように、それほど長い時間でなければ身体に及ぼす影響は多大な疲労程度で済むだろう。けれど、今回は。

「その上でこれだけの魔力(ちから)を操ればこの結果は当然だ」

 強大な水の魔力(ちから)を操ろうとするアリアをサポートすることは、元々正反対の火属性であるルーカスには、それだけでかなりの負担となったはずだった。

 それを、膨大な魔力と引き換えに完璧に支えきり、足りない魔力は生命力を削ってさえ補完しようとした。ただでさえ妖精界(こちら)では、蓄積する疲労が数倍にもなるというのに、こんな無茶は生命力を削って当たり前の行為だった。

「彼は相当の使い手なのだろう? それが逆に仇になったな」

 普通の人間であれば、むしろここまでできないと称賛の言葉を口にして、レイモンドは「まずいな」と口する。

「っ!?」

 呟かれたその言葉と、険しくなったレイモンドの横顔に、アリアは手と唇を小刻みに震わせる。

「ルーカ……ッ」


「……大丈夫だよ、アリア」


 と、ぴくりと指先を動かしたルーカスが、弱々しいながらもそう声を発したのに、アリアは大きな瞳にじわりと涙を浮かべていた。

「っルーカス……ッ!」

 うっすらと開いた瞳に、その顔を覗き込む。

「ごめ、なさ……っ。私のせ……っ」

 ついに(あふ)れて(こぼ)れ落ちた涙に、ルーカスが自嘲気味にくすりと笑う。

「違うよ。これは完全に僕のミスだから……。……っ……」

「っ! ルーカス……ッ!」

 荒い呼吸で苦し気に息を吐き出すルーカスへ、アリアの思考はどうしたらいいのだろうと、余りの焦燥感でぐるぐるとした熱を持ってくる。

「……君に、またこんな姿を見せることになるなんて」

 情けないね。と向けられた弱々しい微笑みに、アリアはふるふると首を振る。

「……僕としたことが、ちょっと魔力(ちから)の使い方を誤った」

 絶対に失敗できないと思ったら、思った以上に力が入り、加減ができなくなってしまっていた。

 今回ダメでも、この経験を糧にして、もう一度挑めばいい。今回はあくまで様子見だ。

 それは、初めから思っていたことで、紛れもない本音だったはずなのに。

 ――時間が、惜しい。

 一刻も早く安心したかった。

 この少女を救えるだけの魔力(ちから)を、1分でも1秒でも早く手に入れたかった。

 冷静になれば自分の限界くらいわかるはずなのに、焦りでタガが外れてしまった。

 これは、アリアのせいではない。完全に自分のミスなのに。

「……だから、君がそんな表情(かお)をする必要なんて……、……っ」

 こんな情けない姿、二度と見せたくないと思うのに。

 そんな風に、苦しそうな顔で泣かせたくなんてないのに、身体に力が入らずに、その涙も拭ってやれない自分が、悔しくて堪らない。

「っ!? ルーカス!?」

 まるで呼吸がままならない病人のように顔を歪ませたルーカスへ、アリアは信じられないものを見るかのように嫌々と首を振る。

「っ今すぐ、リオ様のところに……っ!」

 妖精界と人間界とでは、流れる時間の速度が違う。

 このまま妖精界に居続けることは、ルーカスの身体に更なる負担を強いるだけだ。即座にそう判断を下したアリアは、自分がしていた指環を外そうと手をかけながら、レイモンドへと人間界へ帰ることを願っていた。

 今すぐ人間界へと戻り、光魔法に長けたリオの元へ。

 ……と。

「ッアリア様……っ」

 ぽわ……っ、と水の指環が仄かな光を放ち、なにかを伝えようとしているかのような様子を見せるのに、ラナが慌てて声を上げる。

「指環が……っ」

「……え……?」

 ラナの言葉に手の中の指環へ視線を落とせば、そこにはキラキラと輝く水の雫があった。

「な、に……?」

 なにかを訴えるかのように、断続的に緩やかな光を放つ指環に、アリアは困惑の目を向ける。

「……助けて、くれるの……?」

 望みをかけて問いかければ、まるで頷くかのように、指環はアリアの手の中で少しだけ振動した。

 じんわりと、指環の表面に浮かんだ水の雫。

 まるで指環自身から滲み出しているかのような綺麗な水の粒は。

「……これを……、飲ませるの……?」

 チカチカッ、と、それを肯定するかのように指環が光る。

 水は、生命の源だ。

 指環の生み出す雫には、大いなる力が込められているかもしれない。

「……」

 指環から滲む数滴の水滴。

「……ルーカス……」

 外した指環をルーカスの指に嵌め、色を失って閉じられた口元へと水の指環を近づければ、その唇へと1滴2滴と水の雫が落ちた。

 だが。

「……ん……」

 なにかが触れた唇の感触に鼻から小さな吐息が洩れるものの、閉ざされた口がそのまま開く様子はない。

「……お願い……っ、飲んで……っ」

 恐らくは、天然の回復薬のようなものだと思われる水の雫は、この小さな一粒にどれだけの魔力が宿っているのだろう。

 唇から頬を伝って流れ落ちていく水の雫に、アリアはなにかを思い立ったようにハッと指環へ話しかける。

「……その雫で氷を作れる?」

 水から氷を作ることならばアリアもできるが、縋るような目を向ければ、指環は再び輝いた。

 じわじわと水が生まれ出て、指環と同じ大きさくらいの丸い氷が出来上がっていく。

「ルーカス……ッ、口を開けて……っ」

 それを指に持ち、アリアは押し込むようにルーカスの唇へと小さな氷を宛がった。

「……っく……」

「ルーカス……ッ!」

 お願い……っ、と願っても、自らそれを口にする力はない。

 これ以上どうしたら……、と焦る気持ちで懸命に思考を廻らせて……。

(っ! そうよ……!)

 アリアはすぐに気持ちを切り替えると、その氷を自らの口へと運んでいた。

「……ん……っ」

 突然唇に感じた柔らかな感触に、ルーカスの喉が小さく反応した。

 綺麗に唇を重ね合わせ、そっと口を開いていく。

 そうして僅かに開いた唇の隙間から氷を滑らせ、舌先で奥まで押し込んだ。

「……ん……、ぅ……」

 僅かな反応の色が見え、こくりと小さく喉が鳴る。

 そのまま溶けた氷がゆっくりと喉の奥へ流れていくまで、アリアもまた僅かに残った自らの魔力を静かに注いでいく。

(……お願い……!)

 口と口との接触は、互いの魔力を交流させる効果がある。

「……――――っ!」

 そうして不意に意識が浮いたルーカスは、己の身に起こっていることに気づいて刹那大きく目を見開いていた。

「……っ」

 だが、一度開いたその瞳は、すぐにまたぎゅっと固く閉ざされて。

 近すぎて焦点の合わなかった少女の顔の残像に、じんわりと身体に染み渡るように戻ってきた魔力(ちから)を感じ、ぐっと手を強く握り締める。

 身体を満たしていく暖かな魔力は、あの時(・・・)感じたものと同じ。

 母親を知らないルーカスにとっては、母の温もりはこんな暖かさだろうかと思わせるような。

 水は、生命の源だ。

 魔力の性質自体はルーカスのものと相反しても、注がれる魔力は酷く優しく暖かい。

 母親の胎内で守られている赤子(あかご)のように、このままずっと眠っていたいと思ってしまうほど。

「――っ」

 ルーカスの指先が、なにかに迷ってそれを押し留めるかのように、ぴくりと動いた。

 ――この少女に惹かれている自覚はあった。

 愛おしいと……、好きだとも思った。

 ただ、それは、少女を見守れる程度の。例え手に入れることができなくても、仕方ないと諦められる程度のもののはずだった。

 時々、ほんの戯れにからかって、恥ずかしそうに頬を染めるその姿を見て満足できていた。

 遠くから見守っていられれば、それで良かったはずなのに。

 そんな風に直接少女の温もりを感じてしまったら、ずっと誤魔化してきたものが見えてしまう。

 一生、口にするつもりはなかった。

 冗談に紛れ込ませるようなことはしても、想いを言葉にするつもりはなかったのに。

 ――それなのに。

 このまま、その頭の後ろに手を回して、逃れられないように引き寄せたくなってしまう。

 華奢な身体を抱き寄せて、その柔らかさを堪能し、この唇の甘さをもっと深くまで貪りたくなってくる。

 ――けれど、それは、許されない。

「……ん……」

 ずっとこのままでいたい気持ちにも囚われて、ルーカスは握り込んだ拳に力を込める。

 いっそ、このまま永遠の眠りについてしまいたい。

 この温もりに包まれたまま眠れるのなら、それはなんて幸福(シアワセ)なことだろう。

 ――けれど、この少女を悲しませることは、それ以上にできないことから。

「……アリア……」

 さらりと長い髪を撫でて頬に触れる。

 身体に体温が戻ったことに気づいてゆっくりと離れた唇は、溶けた氷の水によって誘うような艶めきを残していて、それに奥歯をぐっと強く噛み締める。

「っ、ルーカス……ッ!」

 途端、瞳に滲んだ涙は、喜びと安堵から綺麗に輝いた。

「……良かっ、た……」

 力が抜け、そのまま重力に負けて零れ落ちた涙が宙までをも光らせる。

「……ダメだよ、アリア。そんな風に泣いたら」

 今すぐその身体を抱き締めて、頬を伝う涙の雫を唇で拭ってあげたくなってしまうから。

「誰よりも綺麗で可愛らしい君には、涙なんて似合わないよ?」

 本心を押し込めて、いつも通り、遊び人の軟派な台詞を口にする。

 本当は。

 泣き顔さえ綺麗すぎて。

 その涙の雫を口にしたら、どれほど甘いのかと思ってしまう。

「可憐な花は、いつも笑っていてくれないと」

「……ルーカス……」

 流れる金色の髪先に指を絡ませれば、少女はほんの少しだけ恥ずかしそうに頬を染めた。

 きっと、いつものように本気にしてはくれないだろうけど、これくらいのことは言葉にしてもいいだろうか。


「君は僕にとって、世界で一番大切な女の子なんだから」


 驚いたように丸くなった瞳は、次には数度瞬きを繰り返し。

 ――『いつも笑っていてくれないと』

 その言葉に応える為か、浮かんだ少女の笑顔は。


「うん。可愛い」


 やっぱり、触れることが躊躇われるほどだった。

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