count.6-4 水の指環
「こ、こんにちは」
思わず頭を下げてしまえば、指環はぽわぽわっ、と暖かな波動を伝えてくる。
「喜んでます。きっと、指環もアリア様にお礼を言いたかったんですね」
「……そんな……」
妖精たちや自分のように、指環もまたアリアに会えるのを楽しみにしていたようだとにっこり笑いかけてくるラナの言葉に、恐縮しつつも嬉しいと思ってしまう。
「わ、私も、お会いできて嬉しいです」
掌に乗った指環へと懸命に話しかけるアリアの姿に、ラナはくすくすと楽しそうに笑い、レイモンドはなにを思っているのか眉を顰ませる。
ルーカスも、そんなアリアの可愛らしい姿には、しばらくこのまま見守っていてやりたい気持ちに囚われつつ、その横顔を見ると僅かな緊張を滲ませていた。
「アリア。早速だけど」
「……はい」
とにかく、1分1秒だって時間が惜しい。
ゆっくりと会話をしている余裕がないことに申し訳なさそうな表情をして、アリアは掌の指環へ向かって語りかける。
「……こんなことを頼んでごめんなさい。でも……、助けて貰えますか?」
本来であれば、ゆっくりと時間をかけて取り戻していく魔力。
それを、強制的に"急速充電"させようというのは、妖精界や指環自身にどんな負担や悪影響を及ぼしてしまうのだろうと謝罪するアリアへと、ラナは目を丸くして、レイモンドもまた僅かな驚きの気配を滲ませる。
ルーカスだけが、そんな少女の姿に、こういったところがアリアだと、くすりと嬉しそうな笑みを溢していた。
極自然と指環に挨拶し、話しかけ。
頼み事を聞いて欲しいと頭を下げる。
それを不思議と思うことも、先入観なども全くない。
アリアにとっては、それが"普通"で"当たり前"のことだから。
「どうしたら、貴方に魔力を与えることができますか?」
問いかけるアリアへと、指環からはふわ……っ、とした水の魔力が伝わってくる。
「指環の魔力を……! 水の流れを感じて下さい……!」
なにかを察したのか、ラナが力強く語りかけてくるのに、アリアは静かに目を閉じる。
"宝玉"を手に入れる為に必要とされたものも、祈りとその属性の魔力だった。
ならば、指環に魔力を与える為の試練も、同じようなものなのかもしれない。
(生命の源……! 生きとし生きる者を育んできた神秘の力……!)
生命は水から生まれ、水によって育まれてきた。
全ての生き物にとって、なくてはならない存在。
アリアにとっては、生まれた時から傍に在ることを感じ、愛し、愛されるモノ。
(……お願い……! 助けて……!)
祈るように語りかけ、神殿を満たし、聖域中に溢れる水の流れを感じ取る。
全ての生命を巡り巡る水。
海から蒸発した水滴は、雲になり、やがて雨になって大地へと降り注ぐ。
恵みの雨。
そうして人間や植物を育て、生命の一部となる。
氷、水、蒸気。
固体、液体、気体へと姿を変え、世界中を循環する。
冬には雪や氷柱。梅雨の雨。夏の海。
"北極"の巨大な氷が頭の中に思い浮かべば、そこで泳ぐペンギンやシロクマの姿も見て取れた。"砂漠"に降る雨は生き物を癒し、"サバンナ"では動物たちが川の中へと首を伸ばしていることだろう。
ありとあらゆる場所で生物たちの命を支えている水。
自然の壮大な姿。
過去から現在にまで至る、水の雄大な歴史。
そんな水を近くで感じられることを、アリアは幸せなことだと思う。
(……力を貸して……!)
両掌で指環を包み込み、指を組んで祈りを捧げる。
神殿に流れる魔力を――、聖域中の魔力の流れを感じ、それらを指環に注ぎ込むようなイメージを思い描く。
「……っく……」
アリアのすぐ傍で、アリアと同じように目を閉じたルーカスが、苦し気に奥歯を噛み締めた。
アリアの思い描いたイメージを、感覚だけで終わりにしてしまうことがないように。きちんと形にすべく、取り零しのないように包み込み、誘導し、サポートする。
いくら魔力を操る"天才"とはいえ、本来火属性であるルーカスにとって、それはかなり骨の折れる作業だった。
それでも、額へ汗を浮かべながら、ルーカスは今にも弾けそうな水を必死でアリアのイメージ通りに包み込む。
自分の中にある魔力を、全て水を操る為に注ぎ込む。
「……アリア様……。ルーカス様……」
傍で見守るラナの口からも、祈るような静かな声が溢れ落ちる。
(……力を……――――っ!)
指環に魔力を、と。それだけを強く願う。
強く強く祈りを捧げ――――。
ざわり……っ、と。
聖域中に流れる水が反応した。
『アリア、アリア』
『だいすき』
『みんなアリアの味方だよ』
何処からか、妖精たちの声が聞こえた気がした。
水面が震え、漣立つ。
そうして。
ザ……ッ!
という音と共に聖域中の水が蒸発し。
「っ! 水が……!」
枯れ果て、ただ無機質な床が見えるだけとなった水の城の衝撃的なその姿に、ラナの口から思わず泣き出しそうな、悲鳴にも似た声が上がる。
水の精霊王であるラナにとって、世界から全ての水が消えるような凄惨な光景は、とても耐えられるような絶望ではないだろう。
――まるで、かつての悪夢の再来のような。
けれど。
蒸発し、水の魔力へと変化したそれが、掌を開いたアリアの手の上にある指環の中へと急速に流れ込んでいき……。
そしてその一瞬後。
指環が、目を開けていられないほど眩い光を放ち、天に舞った光が雨のように聖域中へと降り注いだその後には。
――水の城は、元の姿を取り戻していた。
否。
「……っ! まさか、妖精界ばかりか、聖域にまで生命を吹き込んで下さるなんて……!」
ラナが、震える唇で声を上げる。
なぜなら、ラナの目に映った水の聖域の姿は。
――神々しいばかりの水の溢れる、本来の聖域の光景。
「……成功……、したの……?」
歓喜に肩を震わせて、言葉もままならなくなったラナの瞳から涙が溢れ出る一方で、大きく呼吸を吐き出して肩を落としたアリアは、長距離を全力疾走したかのような疲労と苦しさに襲われていた。
それでも。
「……そうみたいだね」
こちらも息の上がったルーカスの柔らかな声が聞こえ、アリアは安心感からその場に崩れ落ちてしまいそうになる。
「さすがアリアだ」
ふと目を落とした手の上に乗る指環は、陽の光を受けて輝く、海の水面のような美しい光を溢れさせていた。
だが、指環のその輝きに心奪われている時間はなく……。
「……僕も、さすがにちょっと疲れ……」
ぐら……っ、と。
アリアの傍にある姿が傾いた。
「ルーカス……ッ!?」
反応の遅れたアリアの指先は虚しく空を切り、その身体は神殿の泉の中へと落下していた。