せめてこれくらい
ギルバートたち怪盗団の溜まり場となっていたジャレッドの事務所にある一室は、いつの間にかそれらしい内装へと少し手を加えられていた。
元々来客用の部屋ではあったのだが、今はカウンターの奥にしっかりとした"おもてなしセット"が用意され、まるでちょっとした喫茶店のようになっている。四人がけのソファセットも大きなものに新調され、カウンターに置かれた椅子も数を増やし、お洒落なものになっていた。
「……大変なことになってるみたいだな」
できるだけ平静を保とうとしている様子が垣間見える、重い面持ちで口を開いたジャレッドは、久しぶりに遊びに来たアリアへ窺うような目を向けていた。
なにを言うでもなく、じ……、と瞳の奥を覗き込んでくるかのようなその双眸に、アリアは小さく苦笑する。ジャレッドが"大人"だと思うのはこんな時だ。
仕事柄ということもあるだろうが、ジャレッドは人の本質を見抜いてくるようなところがある。心の奥底を見透かされているようで、アリアはなるべく不自然にならないように、そっと視線を外していた。
「……こんなことに巻き込んでしまってごめんなさい……」
そうしてアリアは、ジャレッドを含むここにいるメンバー、サイラスとシリルに向かって申し訳なさそうに謝罪する。
悩んだ末、きちんとリオからは許可を取り、アリアはあの時あの場にはいなかった「2」の残りのメンバーへと、全て話すことを決めていた。
詳しい"ストーリー"はわからないものの、"ゲーム"の中では「1」と「2」の"メインキャラクター"たちが共闘するのだ。どの"キャラクター"がどこでどう話に関わってくるのかわからない以上、例え最終的に必要なかったとしても、できる限りの保険はかけておきたかった。
――それが彼らにとって多大なる迷惑で負担になってしまうことはわかりつつ。
これは、アリアの勝手な我が儘だ。
「本当にな」
「……サイラス。お前……」
大きな吐息を吐き出した後、迷惑そうに肩を竦めたサイラスへと、苛立ちの滲んだギルバートの声が向けられる。
アリアが残る3人にも協力を依頼したいと言った時、ギルバートがあらかじめある程度のことを説明しておくと名乗り出てくれたのだ。3人に迷惑をかけてしまうことがわかっていて話すことは忍びなく、そんなアリアの気持ちをギルバートは察してくれたのだろう。その言葉につい甘えてしまい、シオンと共に遅れての合流となったのだ。
「それで? 手柄を立てれば当然それなりの見返りがあると思っても?」
くす、と悪そうな笑みを洩らしたサイラスは、その態度ほど迷惑に思ってはいないらしい。
名前を売るチャンスだとばかりに策士な笑みを刻みつけるサイラスへ、アリアに続いて視線を投げられたシオンは、小さく肩を落としていた。
「その時は、公式な場で国王直々になにか褒賞でも出るだろうな」
「それはいいな」
国を存亡の危機から救うのだ。当然然るべき対応はされるはずで、それを聞いたサイラスは、満足気にくすりと笑っていた。
「……アリア様。ぼくも、お力になれることは少ないかもしれませんが、できることであれば、なんでもしますから」
「シリル……」
ギルバートから話を聞き、しばらくその顔から色を失っていたシリルだが、少しずつ立ち直った後には、真っ直ぐな目を向けてくる。
「バーン家は、将来アリア様が嫁がれるウェントゥス家に恒久の忠誠を誓っています。どんな些細なことでも全力でお助けしますから」
そう告げるシリルは、未来の男爵家当主として相応しい、頼りがいのある強さを滲み出していた。
「……国の大事に、こうして頼って頂けて、むしろとても嬉しいです」
なにも知ることなく、ただ安穏と過ごすことになっていたかもしれないと思えば、むしろそちらの方に寒気が走る。
力のない自分は、守られていることに気づくこともなく、ただ平穏な生活に甘んじるだけ。そんなことは嫌だった。
少女の周りには、頼りになる者も、力のある者もたくさんいる。そんな彼らに比べたら、シリルは無力に近いだろう。それでも、今度は。
自分たちを救ってくれた少女を、守りたいと思った。
「……ありがとう」
なにも負担に感じることなく、にこりと純粋な笑顔を返されて、アリアは思わず気が緩んでしまいそうになるのを堪えながら、どこかぎこちなく微笑んだ。
「まぁ、オレなんか余計になにができるとも思えねぇけどな……?」
魔力のないジャレッドからしてみれば、そんな大事を話されても困るだけだろうと恐縮したが、苦笑と共に洩らされたその呟きには、そんな負の感情など欠片も感じられなかった。
そんな彼らの反応に、思わず瞳が潤みそうになり、アリアはそれを誤魔化すように、机の上に置いた紙袋へと目を逸らす。
「お茶菓子、買ってきたから。キッチン借りてもいいかしら?」
「それなら勝手に……っと」
気分を変えるようににこりと微笑んだアリアへと、「自由にしてくれ」と言いかけたジャレッドは、そこでなにかを思い出したかのように言葉を切る。
「そういや、この前取引先に貰った茶葉が割りと良さそうだったんだが、嬢ちゃんのお眼鏡に叶うようならそれ使ってくれるか?」
お茶の葉などには興味なく、普段は決まった数種類だけを来客用に購入しているだけだと言って顔を向けてくるジャレッドへ、アリアはキッチン周りに視線を投げる。
「どこにあるの?」
特にそれらしきものは見当たらず、ことりと首を傾ければ、ジャレッドは少し悩むように首の後ろを掻いていた。
「あー……、だったら、ちょっと来て貰ってもいいか?」
貰ったまま事務室に置きっぱなしだったと苦笑して、申し訳なさそうな顔が向けられる。
特に断る理由もなく、そのまま扉の方へ向かいかける背中に付いていこうとすると、一瞬だけ足を止めたジャレッドは、シオンへとなんとも言えない複雑な視線を送っていた。
「……少し借りてくぜ?」
隣接した部屋へ行くくらいでいちいち付いてくるようなことはしないだろうが、それでも"男と二人きり"の状況に許可を取れば、案の定シオンの眉はぴくりと反応した。
だが、さすがにそれくらいのことで口を出すことはなく、無言のまま僅かな吐息を洩らしたシオンに、ジャレッドは苦笑いを浮かべていた。
「どこ置いたっけな」
隣室までアリアを連れ出す許可を得たジャレッドは、事務室内を、記憶を探るようにぐるりと大きく見回した。
貰いっぱなしで特に意識することもなくそのまま放置してしまった為、置いた場所の記憶が薄い。
「ジャレッドは割りと綺麗好きよね」
そんなジャレッドに倣うようにぐるりと視線を巡らせて、アリアは楽しそうな笑みを溢す。この部屋に入るのは初めてのことではないが、"ゲーム"ではみんなの溜まり場となっていた応接室以外が出てくることはなかったから、新鮮な気持ちになってしまう。
"実力派若手社長"であるジャレッドはそれなりに裕福だと思われるが、俗に言う"成金"的なところは欠片もなく、そのセンスが窺えるような内装をしていた。
「余計なもんを置かない主義なだけだ」
これといった趣味もないジャレッドは、生活必需品以外ではお酒くらいしか買うものがないらしい。物が増えれば片付けるのも面倒だと苦笑いをするジャレッドに、アリアもまた苦笑を返す。
さすがに料理まではできないだろうが、大抵のことは一人でこなしてしまえる"出来る大人の男"は、言い寄ってくる女性が多い一方で、結婚はなかなか難しいかもしれない。
親友の娘である、おしゃまなエレナがジャレッドの結婚事情を心配していたこともなんとなく理解できる気がして、アリアはちらちらとその精悍な横顔を盗み見てしまっていた。
「あー、あったあった、これだ」
事務机の後方にある棚の上。無造作に置かれた紙袋を広げてくるのに、アリアはその中を覗き込む。と、そこに入っていた数種類の茶葉缶はよく知るメーカーのもので、自然アリアの口元は、嬉しそうに緩くなる。
そんなアリアの表情の変化を眺めながら、ジャレッドはふと声を落としていた。
「……無理すんなよ?」
「……え?」
突然なにを言われたのかと、思わず顔を上げたアリアの目が丸くなる。
「嬢ちゃんは、なんでもかんでも自分一人で抱え込む癖があるからな」
「……な、にを……」
さらりと頭部に触れる仕草は、まるで大人が子供の頭を撫でるような優しさがあって、大きな瞳が揺らめいた。
「怖いなら怖いって、泣いてもいいはずだ」
手を止めて、指先で軽くとんとんとその頭に触れながら、ジャレッドは静かな声色でアリアの顔を見下ろした。
今回の話を聞いた時、まず胸に浮かんだ思いはそれだった。
こんなことになって、怖くないはずはない。けれど、きっとこの少女は周りの人間に心配をかけまいと、なんでもないことのように気丈に微笑うのではないかと。自分が犠牲になるのではなく、周りに助けを求めたことは一歩前進したと言えるだろうが、ジャレッドからすればまだまだだ。
「別にオレの前で泣けとは言わねぇけど、せめてあの婚約者の前でくらい、弱いところを見せても構わねぇと思うぜ?」
少女は確かに強いけれど。怖い。助けてと。素直に泣くことのできる場所は必要だ。
きっとそんな風に取り乱して泣いたりはしないのだろうと思えば、その気を緩めてやりたかった。
貰いものの茶葉をこの部屋に放置しておいたのは偶々だが、その存在を思い出し、アリアだけを連れ出して2人きりになったのは故意だった。
「それくらいの包容力はあるだろ」
多少の自覚はあるらしい少女の瞳は、戸惑うように揺らめいた。
それなりの人生経験を積んできたジャレッドから見ればまだまだ未熟の域を出ない"子供"だが、それでもあの婚約者はどんな少女の姿も負担に思うことはないだろう。
だから、せめて、と目の前の頭をぽんぽんと撫でながら、ジャレッドは苦笑を溢していた。
「生憎魔力のねぇオレはなにもできねぇけど」
ぐっと奥歯を噛み締めて、ジャレッドはアリアを見下ろした。
この細い肩に多くの生命がかかっているのかと思うと堪らない気持ちになる。
「……魔力があったら良かったと思ったことは今まで何度もあるが、今までこれほど無力な自分を悔しいと思ったことはない」
魔力などなくても、己の実力だけでここまで上り詰めてきた。だが、今は、そんな経験などまるで役に立たない場所にいる。
「だからせめて……、弱音を吐ける場所くらいにはなってやりたいと思ったが、それはあの婚約者の役目だしな」
一歩距離を置くように呟いて、自嘲気味の笑みを溢す。
初めて会った時から凛とした空気を纏っていた少女だが、真っ直ぐすぎるがゆえに、危なっかしすぎて目が離せないと思うようになったのは早かった。
その危険性を理解して欲しいと思っても、それはなかなか難しい。
「……ジャレッド……」
「さて。戻るか」
重くなってしまった空気を払拭するかのように明るい笑い、ジャレッドはアリアに触れていた手を離す。
「全部持っていってもいいが、嬢ちゃんの好みの茶葉はあったか?」
茶葉の缶は全部で5つ。とりあえず一つあれば充分だけれど、アリアはその中から定番なものを一つと、飲んだことのない缶の二つを手に取った。
「そうしたら、この二つを貰ってもいいかしら?」
「好きに使ってくれ」
こんな時でもなければ、ジャレッドが自ら湯を沸かしてお茶を楽しむことなどないだろう。むしろ今度会った時に贈り主へと感想を話すことができると笑うジャレッドに、アリアは可笑しそうにくすくすと空気を震わせていた。
「じゃあ、遠慮なく」
茶葉の缶を一つずつ両手にして、アリアは応接室へと戻る為に、足を半歩だけ後ろに下げる。そのまま角度を変えて扉へ向かうだけの動きのはずだったのだけれども――。
「――――っ!?」
絨毯ではなく、なにかを踏んだ感覚がして、アリアの身体が傾いた。
「っ! 危ねぇ……っ!」
する……っ、とアリアの足を滑らせたのは、事務机から落ちていたのだろうと思われる、小さなメモ用紙。
背中に衝撃を受けることを覚悟してぎゅっと目を閉ざしたアリアの鼻腔に、ふわりとした香水の匂いが掠めていった。
直後。
「っ痛ぅ……っ」
ドサ……ッ、という音と共に、覚悟した背中の痛みも衝撃もかなり和らいでいるのに、アリアは自分に覆い被さるようにして一緒に倒れ込んだ人物へと驚いたような目を向けていた。
「……大丈夫か?」
「……え、えぇ。ごめんなさい……」
クッションという名のアリアの下敷きになっていたのは、ジャレッドの逞しい腕だった。
まるで抱き込まれるかのようなその体勢に、アリアは吐息さえ感じられそうなほど近くにあるジャレッドの顔を見上げて思わずドキリとしてしまう。
「……っ」
超至近距離にある、精悍な顔。
「っ」
一瞬、時を止めてみつめ合ってしまい、アリアは慌てて目を逸らす。
「……悪ぃ」
「い、いえ……、庇ってくれてありがとう」
思わずドキドキしてしまうのは仕方のないことだと許して貰いたい。
こんな状況で、なにも感じず冷静でいられた方が不自然だろう。
「……これくらいのことはさせてくれよ」
すぐに身を起こして立ち上がり、ほんの少しだけ耳元を赤くしているアリアの横顔に向かい、ジャレッドはどこか寂しげな目を向ける。
「無力な分、盾にくらいはなれればいいが……、嬢ちゃんはそんなことは望まないな」
一緒に闘うことも、傍で泣かせてやることもできず。せめて身体を張るくらいのことはしてやりたいと思っても、この少女はむしろ苦しんでしまうだろう。
だから。
「嬢ちゃんはみんなの女神様だからな。大丈夫だ」
ぽん、と頭に手を置いて、ジャレッドは眩しげに少女を見下ろした。
この少女がいなくなったなら、世界から色を失くしてしまう人間がどれだけいるだろう。
その逆で、少女さえ微笑っているなら、どんな奇跡さえ掴み取れる気がする。
「周りを信じてきっちりと巻き込んでやれ」
――誰もが、それを望んでいるから。
「……ジャレッド……」
自分を含む、少女の周りにいる人間たちの思いを代弁し、ジャレッドは苦笑いを浮かべていた。
「ジャレッド×アリア」はあるあるハプニングカップルです。
あるある事故シチュエーション募集中♪(笑)
アリア→ジャレッド。最初のですます調から段々と砕けた話し方になっていっているのにお気づきの方はどれくらいいらっしゃるでしょうか(笑)。新密度↑↑