欲張りとわがまま
王宮の一室で久しぶりに顔を合わせたリオは、とても強張った表情でアリアを出迎えた。
ギルバートに連れて来られたアリアを応接セットの椅子へと促して、往復して再び現れたギルバートとシオンがその横に腰かける。
そうして少し前にシオンやギルバートが聞かされた経緯と同じ話に、アリアは静かに耳を傾けていた。
「……なにか、聞きたいことはある?」
「いえ……」
全てを話し終えたリオに尋ねられ、アリアは小さく頭を振る。
衝撃を受けた話はいくつかあったけれど、少し考えてみれば納得いくものばかりだった。
段々と魔力が弱まり、魔王を討伐できずに封印へ。そして、それさえ叶わなくなり、代償を差し出さなくてはならなくなった経緯。
さらには――、封印した魔王から魔力を搾取しているという真実。
確かに、ずっと不思議ではあったのだ。もう一つの記憶があるアリアにしてみれば、この世界の魔力は"電気"の代わりを果たしている部分がある。
魔力も"電気"も永久に使えるものではない。消費すればなくなってしまうもの。
"あちらの世界"には"原子炉"が存在していたけれど、人々の生活を補うだけの魔力を、どのようにして賄っているのだろうと。
魔力回復薬1つを作るにも、アリアの魔力をもってしてもあれだけ大変だったのだ。消費する魔力がそれより遥かに少ないとはいえ、数々の魔法道具を半永久的に稼働させることなどできるはずもない。魔力を保存できる"電池"のような魔法石は数多く存在していても、それ自体が無限の魔力を生み出すような魔法石は、奇跡に近い確率でしか発見されない極希少なものなのだ。
続編の"ラスボス"が恐らく魔王であることを考えると、"ゲーム"の中では封印ではなく討伐したのかもしれないと思っていたが、こんな裏事情があるのなら、封印するしかないという結末は頷ける。
けれど、なぜだろうか。
――『永久機関を備えているのなんて魔王様くらいよ……! それを貴方たち人間が封印して利用しておいて、私たちには我慢を強いるの……!?』
ズキリ、と心が痛むのは。
その叫び通り、人間は、最大の脅威であるはずの魔王すら利用してしまうような、強かで傲慢な生き物だ。
かつて、偉大な王族の一人が、その身を犠牲にして魔王を止めたというけれど。
「……寂しかったり……?」
「え?」
ぽつり、と洩らされた独り言のような呟きに、リオは瞳を瞬かせる。
「あっ、いえ……っ。なんでもないです」
声に出すつもりのなかったアリアは、それに慌てて首を振る。
闇の世界の王。魔族の頂点に君臨する存在。
討たれても滅ぼされても復活する生命体など、魔王以外に存在していない。永遠とも言える永い時を生きるというのは、どんな気持ちなのだろうか。
たった一人。地に繋ぎ止められ、魔力を搾取され。孤独を感じたりしないのだろうか。
"魔王"という存在を正しく理解していないアリアには、それは未知の生命体のようだった。今まではずっと、一般的な"ゲーム"で出てくるような、災厄という名のただの破壊神だと思っていたけれど。
「……アリア」
「……っはい」
なにか考え込む仕草をしている少女にリオが訝しげな瞳を向ければ、アリアはハッとした様子で顔を上げていた。
「……君が、どうして魔王復活のことを知っていたのか。そして、贄を要求していることに気づいたのか、今さら問いただすつもりはないけれど」
「……っ」
静かに告げられたその言葉に、アリアはこくりと息を呑む。
いつかきちんと話すとシオンには約束した。
ただ、まだ、その勇気は持てなかった。
もちろん、リヒトの存在を話せるはずもない。
だから、リオのその気遣いはとても助かるものだけれど。
「その代わり、教えて欲しい」
真摯な瞳でリオは問いかける。
「……君は、どうするつもりなの?」
「……リオ様……」
大きく綺麗な瞳がゆらりと揺れた。
この少女が不思議な能力を備えていることには、きっと誰もが気づいている。なにも言わないで欲しいと願っていることがわかるから、誰もが口を閉ざしているだけで。
だから、こうなることだけはないようにと祈っていた。けれど、それが叶わなかった今。
彼女がなにを考えているのか、リオは不安に襲われていた。
「……私は……」
ゆっくりと開かれた唇に、リオだけでなく、シオンもギルバートも酷い緊張感に襲われる。
――もし、この少女が、自分たちの望む答えではない、別の選択肢を選んだなら……。
「……シオン。ごめんなさい……」
「っ」
ちらりと隣へ視線を投げ、申し訳なさそうに微笑したその言葉に、シオンはまさかと目を見張る。
「私はやっぱり、貴方一人の為には生きられない……」
「アリア……ッ」
なにを言うつもりかと、心臓がドクリと軋んだ音を立てる。
「リオ様」
「……アリア……ッ、ダメだ……っ」
その先を聞きたくなくて、リオもまた苦し気に歪んだ顔を横に振る。
――『……寂しかったり……?』
先ほど少女は、一体なにを思ったのだろう。
まさか、人々の平穏の為と、闇の世界の王すら救いたいと、自らを犠牲にするつもりなのかと嫌な予感に襲われる。
だけれども。
「……やっぱり、こんな我が儘ダメですか?」
困ったように小首を傾けられ、リオは一瞬硬直する。
「……え?」
アリアの顔に浮かんでいる、苦笑にも近い仄かな微笑みは、とても自分に突き付けられた理不尽な運命を甘んじて受け入れたような、悲痛や諦めの滲んだ空気を出してはいかなった。
「……みんなに……、"助けて欲しい"、って……」
始めから、答えなど一つしか持っていなかった。
ただ、もしかしたらその答えを求められていないかもしれないという小さな不安があって、口に出すことが怖かった。
全くの他人から見た時には、この答えは責められるようなものかもしれない。
果たしてこの答えが正しいのかもわからない。
結果的に、どんな未来が待っているのかもわからない。
不安で不安で仕方がなくて。
それでも。
「……アリ、ア……?」
驚いたように向けられる瞳に、アリアはぎゅっと膝の上のスカートへと皺を作る。
「こんな……、みんなの期待を裏切るようなこと……。本当にごめんなさい……」
みんなきっと、自分のことを少し誤解しているのではないかと思う。
確かに無茶なことをたくさんしてきた自覚はあるけれど、それは全て、"ゲーム"の記憶で幸せな結末があることを知っていたからだ。始めから自分を犠牲にするつもりで行動していたわけではない。
みんなを巻き込む決断をすることには勇気がいった。
自分のせいで、誰かが傷ついたり、最悪犠牲になってしまうかもしれないと思うと恐怖で身体が震えてくる。
「でも」
――『お前は、誰にも渡さない』
――『逃げたいなら連れ出してやる』
自分のことを大切に思ってくれる人がいるから。
立ち向かう、勇気を貰った。
「私は、そんな自己犠牲精神に溢れた人間でも、清らかな心を持った聖女でもないんです」
アリアはそんな、綺麗で理想的な人間なんかじゃない。
どちらかと言えば、欲にまみれている方ではないだろうか。今までもずっと、自分の"萌え"には素直に生きていたのだから。
「……幻滅……、させちゃいましたか?」
「……なにを……、言って……?」
恐る恐る窺われた上目遣いに、リオは一瞬呆気に取られてアリアをみつめる。
幻滅、なんて、そんなこと。
「……わかっているんです。一番リスクが少なくて確実な方法は、私が魔王のところに行くことだって」
例え魔王封印の"ハッピーエンド"への道筋があったとしても、この現実世界で確実にその結末を迎えられるという確証は何処にもない。
一歩間違えれば、全滅するという悲劇さえ待っている。
"ゲーム"の記憶がない今、どの選択肢がどこへ繋がっているのかわからない。
この国の人々を間違いなく守ることを最優先で考えたなら、アリア一人を差し出すという苦渋の決断をするべきだ。
「でも」
そこでアリアは隣へと顔を向け、静かな声色で口を開く。
「……シオンのことを愛して、愛されて。私、欲張りになったの」
もしかしたら、これが記憶を得てすぐのことだったなら、そういう"運命"なのだと簡単に諦めてしまったかもしれない。
けれど、ユーリやシオン、シャノンやギルバートたちみんなと出会って、失いたくないと思った。
ここにいたい、と思うのは、アリアの我が儘なのかもしれないけれど。
「……アリア……」
僅かに息を呑んだシオンへと、アリアは真っ直ぐな瞳を向ける。
「誰も、犠牲にしたくない」
自分の為に、誰かが犠牲になるのは嫌。
「だけど、みんなを悲しませるのも嫌なの」
自分の為に、多くの人が不幸になるのも許せない。
失いたくない。失わせたくない。
ならば、取るべき選択肢は?
「……私の、自惚れかもしれないけど……」
自分がいなくなって多くの人が涙を流すことになると思うのは、もしかしたら自分の思い込みだろうかと苦笑したアリアへと、シオンは表情を歪ませる。
「そんなこと、あるわけないだろう……っ」
「……良かった」
それにふんわりと安心したように微笑んで、アリアは「それに……」とリオの方へと視線を戻していた。
「私が魔王のところへ行っても、それで終わりではないんですよね? 今のお話を聞く限り、また数百年後には、他の誰かが犠牲になることになる」
「……そうだね」
真っ直ぐ向けられるアリアの問いかけに、リオもまたその現実を思って悔しげに表情を引き締める。
魔王に望まれるままこの少女を差し出すということは、今の悲劇だけでなく、未来の悲劇をも生み出すことを意味してる。例えそれが数百年先のことでも、それは未来永劫繰り返されることになる。
「だったら、そんなことはさせられない」
「アリア……」
揺るぎない意志を見せたアリアの言葉に、リオの瞳へと強い光が戻っていく。
この少女のことを見誤っていたことに気づかされる。
心優しい少女は、人々の笑顔の為に、自分の身を投げ出してしまうのではないかと恐れていた。
――そう、みんなの笑顔の為に。
そこには当然、リオやシオンの存在も含まれる。
それをアリアは、きちんと理解していた。
――誰の笑顔も失わせない為に。
この少女はいつも、リオの予想の上をいく。
全て、諦めない為に。
この先の悲しみすら失くす為に。
悲しみの連鎖を、断ち切る為に。
現在も未来も守りたいという我が儘は、少し考えればとてもアリアらしくて、どうして彼女の強さを信じられなかったのだろうと、そんなことすら思ってしまう。
「今回魔王を封印できれば、次からも封印可能な道が見えるかもしれない」
精霊王たちから力を借りて、魔王封印を成し得たならば。
かつて、妖精たちの姿が当たり前のようにあったという世界を取り戻すことができたなら。
この世界が魔力で満たされる未来が訪れたなら、魔王を討伐することすらできるようになるかもしれない。
「最後まで諦めない」
隣にいるギルバートへと視線を向ける。
すでに、レイモンドと話をしてきたとギルバートは言っていた。
魔王を封印する為には、精霊王たちから協力を得ることは絶対条件になってくる。つまり、第一段階はこの時点で済んでいるということだ。
「……だから」
足掻いてみせる。
誰も不幸にさせない為に。
それでも、もし、万が一。
「……最後の最後で、どうしてもダメだと思ったその時は、一緒に魔王の所に行ってくれる?」
自信なんて、全然ない。
不安に押し潰されそうな自分もいる。
だから、縋るような瞳でシオンの方を見上げれば、確かに自分をみつめてくる瞳がそこにはあった。
「……アリア……」
「一緒に、地獄を味わってくれる?」
一人では行けない弱さを許して欲しい。
例え地獄が待っていても、傍にいて欲しいと思ってしまう。
「当然だろう」
一切の迷いのないその返答に、じんわりとしたものが胸を満たしていく。
「オレの運命は、お前そのものだ」
時々、R18版を読んでいないと話が繋がらない時があったりしますか……?(汗)
「いつか話すから」というアリアとシオンの約束を、通常版で書いた記憶が……、ない気が……?(滝汗)
申し訳ありません!!(土下座)