悪夢の始まり 3
その場は凍りついたかのように誰もなにも言えずにいた。
耳に入ってきた言葉の意味を理解する為に、何度も今聞いたリオとの会話を反芻する。
少女だけがこの場に呼ばれていないのは、彼女の耳に入ればまた危険を承知で首を突っ込んでくる可能性が高いからだと、単純にそんな風に考えていた彼らにとって、それは「衝撃」の一言では済ませられないほどのものだった。
「っ! それはなにかの間違いだ……!」
「…………シオン……」
己の考えを振り切るように声を上げたシオンへと、ユーリの困惑の瞳が向けられる。
「…………アイツの純潔はオレが貰った」
誰もが気づいていて、それでも知らない振りをしている事実を突き付けられても、この場でそのことに動揺する人間はいなかった。
「……贄に、処女性は関係ないんだそうだよ」
言い難そうに、リオがぽつりと呟いた。
"生贄"と聞いて一般的に思い描くのは、純潔を保ったままの若い乙女のイメージだが、魔王の望む"贄"は"10代後半の少女"という共通点があるだけで、身分も処女性も関係ない。
どんな基準で選ばれているのかはわからない。
ただ、処女性が関係あるのであればどんなによかったかと、この話を聞いた時のリオも正直考えてしまっていた。
清らかな贄を求められているのであれば、穢してしまえばそれで済むのに――、と。
「っアイツを犠牲にするなんて許さない……!」
珍しくも感情を露にしたシオンの口から、血を吐くような叫びが吐き出される。
「……わかってる。わかってるよ。ボクだって同じ気持ちだ」
彼女でなければ良いというわけではない。選ばれたのが誰であれ、魔王復活の犠牲になどしてはならないとは思う。
それでも。
どうしても、彼女を魔王に捧げることなど考えられないことだった。
「……ただ、明後日開かれる議会で、このことは承認されてしまうだろう。だから、その前に……」
「"承認"、て……」
魔王復活が現実のものとなり、贄を指名してきたことは、まだ王と前王とリオしか知らないことだった。それを明後日、議会で王が発表することになる。そうすれば。
「……お祖父様も王も、封印には消極的なんだ。……だから、恐らくは公爵家も」
今の王家や公爵家の魔力では、魔王の封印ができるとはとても思えない。そして、失敗した時のリスクは大きすぎる。それならば、犠牲者が一人で済む一番安全な選択肢を取ろうとするのは、極々普通の流れだろう。
世界の平穏を守る為ならばと、きっと、誰もが一人の尊い犠牲を望むだろう。――ここにいる者たちを除いては。
「……でも、アクア公爵は……」
「アリアの父上は当然娘を犠牲にすることに賛成はしないだろう。……でも、私情を挟むことは許されない」
五大公爵家の一つであるアクア家の現当主はアリアの父親だ。アクア公爵が溺愛する娘を差し出せと言われて首を縦に振るはずもないが、そこは公爵家当主として私情を持ち込むなと言われれば返す言葉を失くしてしまうだろう。場合によっては、議会の参加を外されるようなことになるかもしれなかった。
「お祖父様と王にしてみても、実の孫と姪だ。苦渋の決断なんだろうとは思う」
それでも、国の平和とそこに住む人々の安穏の為に。私情を捨て、時には非情になっても最善の選択肢を取ることが上に立つ者の役目だと言われてしまえば、リオに反論の余地はない。
綺麗事や正論だけで国を治めることは不可能だ。それでもリオは、どうしても理想を捨てることなどできなかった。
「……でも、ボクは……」
苦し気に顔を歪めて口を開く。
「100人、1000人を助けるために1人を犠牲にする、という判断を下すことが、どうしてもできないんだ。……その1人の為に、どれだけ犠牲が出るかわからなくても」
上に立つ者として、それがどれだけ愚かな考えなのかはわかっている。
「全員、助けたい。そう思ってしまうんだ……」
自分の望みを実現する為に必要なモノは力。だが、その力がリオにはない。
力もないくせに理想論だけを口にして。その理想の為にもっと多くの犠牲が出るならばそれは本末転倒だ。
「……非力な自分が悔しくて堪らない」
ぐっと拳を握り締めた主へと、ルイスもまた苦し気な表情になる。
「……そんな、貴方様一人が気に病むことではありません」
魔王を討伐・封印するだけの魔力を失ってしまったことは、リオになんの責任もないことだ。
「……だけど、アリアは……」
花のように微笑う少女の姿を思い浮かべてリオは唇を震わせる。
「……きっと、それを知ったら受け入れてしまうんだろう」
自分一人の犠牲で平穏を守れるならと。あっさりと自分の運命を受け入れてしまうのだろう少女を思えば、悔しさしか湧いてこない。
「……贄になるかどうかは、本人の意思に委ねられているそうだよ」
「……は?」
やりきれない感情を吐露するリオの言葉に、ノアの眉が不快そうに歪められる。
本人の意思に委ねられているとは、一体どういう意味か。
「本人が拒否すれば、説得したり強要したりはしないということが決められているそうだ」
その時は、魔法師団や王・公爵家が魔王封印の為に力を尽くすことになる。だが、今まで贄に選ばれた少女たちが拒否をした過去はない。
「なんだよ、それ」
今まで黙って話を聞いていたシャノンもまた、憤りを隠せない様子で眉根を上げる。
贄となることを拒否すれば、どれだけの人々が犠牲になるかわからないと告げられて、普通の人間が頷く以外のことができるはずもないだろう。それは、世界の滅亡をも意味しているかもしれないというのに。
きっと魔王は、そこで素直に自分が身を捧げることを決意してしまえるような、心優しい少女を選んでいるのだろうから。
「……わかっているよ。それがどれだけ傲慢なことか」
断れない選択肢を突き付けておきながら、それでも最終的な判断は本人に委ねるという残酷さ。
それは、魔王の望みを告げた人間が、罪の意識に苛まれたくないからだ。決して自分たちが強制したのではなく、あくまで本人の意思による自己犠牲精神なのだという。
「本人にその意思を確認した後は、自由は認められているものの、常に監視下に置かれることになる」
何処かに身を隠されたら困る、というのは本音だが、少女たちがそんなことをするとは思えない。それは、あくまで形式的なものであり……、不慮の事故が起こらないようにする為だ。
贄に選ばれたことを知るのは、国の上層部を除けば本人とその身内だけ。万が一のことがあっては堪らない。
「だから……」
「この件がアリアの耳に入らないようにする、ということですね?」
なにも知らずにいるのならば、アリアが自ら行動を起こすことはない。
セオドアからの真剣な問いかけに、リオは神妙に頷いた。
「……きっとアリアは、拒否なんてしないだろう」
少女は、それが例え見知らぬ誰かだとしても、他人が傷つくことに耐えられない性格だ。自分一人が犠牲になることで多くの人が救えるならと、そう考えるに違いない。
「……すぐにでも精霊王のところに行ってくる」
話を最後まで聞き終えるのを待つまでもなく、今すぐにでもその場から離れそうな気配を滲み出しながら、青い顔をしたギルバートが身体を震わせる。
「お願いできるかな?」
そんなギルバートにリオは真剣な眼差しを返し、一方、努めて冷静に事態を分析していたアラスターは、静かに疑問の声を上げていた。
「……でも、勝手に封印の方向で動いても、どうにかなるんですか?」
「だから、早急に封印可能だという材料を揃えて議会を納得させたいんだ」
一度アリアが自分の立場を納得してしまえば、その決定を覆すことは難しくなる。すでに安全が確保されているところに水を差すような真似をされたくはないだろう。
アリアに全てを話して拒否するよう説得することも考えたが、全てを知ったあの少女がどんな行動を取るのかリオにも予測ができずに、その考えは憚られてしまっていた。
「妖精界から力を借りて、可能であれば討伐を?」
「……それはできないんだ」
ルークからの単純な質問に、リオは苦し気に顔を歪ませる。
討伐の選択肢はない、とされた理由。
「魔力の弱まったこの世界で、どうして魔道具が今も普通に使えていると思う?」
もし、アリアがこの場にいたならば、この世界の魔力はまるで"電気"のようだと思ったかもしれない。
日常生活で使われている魔道具は、全て魔力をエネルギー源として動いている。だが、魔力のほとんどない一般市民は、どのようにしてその魔力を得ているのか?
魔道具の動力源は、魔法石。だが、永久に魔力を生み出す魔法石など幻級で、一般市民が目にすることはまず不可能な代物だ。
市民たちは、通常、魔力を使い果たした魔法石と交換する形で、魔力が込められた新しい魔法石を買っている。
では、魔力が空になった魔法石に、どのようにしてまた魔力を込めているのか?
魔力の高い者であれば、自分自身で魔力を注ぐことは可能だろう。実際に、それを仕事にしている者も確かにいる。魔力は使い果たしても、体力と同じように少し休めば回復する。魔力が高ければ、それだけで重宝されて就職先には困らない理由はここにある。自分の魔力を切り売りできるなら、普通の生活を送るのに困ることはない。
だが、それだけで国中の市民の生活を支えられるはずはない。では、不足分の魔力は、どのようにして補われているのか。
「……エネルギー源は魔王なんだよ」
「――――っ!」
――『永久機関を備えているのなんて魔王様くらいよ……! それを貴方たち人間が封印して利用しておいて、私たちには我慢を強いるの……!?』
いつか聞いた、リデラの叫び。
その言葉が、こんなところで繋がった。
「その昔、偉大なる王族の一人が、その身を犠牲にして魔王封印の道筋を作ったらしい」
魔王を討伐するだけの魔力を失った時代のこと。魔王の力を抑え込み、封印する為に、一人の王族が故意にその身を喰わせたのだという。
高い魔法の才と光の魔力を持ったその人物を魂ごと取り込むことにより、災厄にしか過ぎなかった魔王は御しやすくなった。その後は魔王が復活する度に、魔王の中に取り込まれたその人物が内側から魔王を抑え込み、強い魔力を流すことで再び封印することが可能になっていた。
封印されてなお魔力を放出し続ける魔王のその魔力を利用しようと考えたのは、魔力が弱くなっていく世界の中では当然の成り行きだったのかもしれない。
そうしてこの世界は昔と同じ生活を失うことなく続けるどころか発展をし、この国は魔法石の取引によって潤ってきた。
「……このことを知るのは、国の上層部と極秘機関に勤める者だけだ」
皇太子であるリオや、公爵家の後継者であるルイスやシオン、セオドアであればいつか知ることになる国家機密。魔法石に魔力を注ぐ施設はその内容と重要度から国家機関となっていて、外に情報が漏れることのないよう厳重に管理されている。
「だから、討伐はできないんだ」
魔王の存在そのものを消してしまうことは、人々の生活に多大なる悪影響を及ぼすことになる。今の生活を支えているものは魔法石。その魔法石の数が激変すれば、一気に国は傾くことになるだろう。
全ては、人間の都合。災厄であるはずの魔王すら利用する。
その事実を知った後、リオは数日間食べ物が喉に通らないほど言い様のない感情に囚われていた。
だからと言って、今さらリオになにかができるはずもない。
将来王になることを決められたリオは、こういったことをこの先どれだけ抱えていくのかと思えば、その清廉な性格もあって余りの理不尽さに吐き気を覚えたほどだった。
「……封印することすら叶わなくなった今、魔王の要求はむしろ優しいくらいなのかもしれない」
それもまた、魔王の中に溶け込んだかつての偉大なる王族の力が働いているからなのだろうか。
もしかしたら、人間を取り込んでしまった魔王も孤独を感じていたりするのかもしれない。その為に、傍に置く贄を求めるのだろうか。
真実は、誰にもわからない。
けれど、そこにどんな理由があるとしても、少女を犠牲にすることだけはできないから。
「とにかく、この件がアリアの耳に入って本人が承諾してしまったら身動きが取れなくなる。だからその前に、なんとしても"封印"できるのだと納得させられるだけの材料を揃えたいんだ」
贄を差し出す場合、そのタイミングは魔王が完全復活する前になる。封印をするのであれば、復活後。
復活した後に封印不可能だと判断し、その時点で贄を差し出すから許してくれなどという都合のいい話ができるとは思えない。
僅かな可能性に賭けるような危険な選択肢を、国としては選べない。せめて、勝機が見えなければ。
「議会で承認されてしまえば、すぐにアリアに呼び出しがかかるだろう。もう、時間がないんだ」
苦悩の表情を浮かべ、リオは言う。
「こんなギリギリになってしまって本当にすまないと思ってる」
この話を内密に告げる為には、どのようにしたらいいのかを試行錯誤した。
前々から決まっていたアーエール家のパーティーを隠れ蓑にすることを考えたものの、実はこのパーティー、当初は二週間ほど先の予定として組まれていた。それをルイスに動いて貰い、なんとか今日まで前倒しして貰ったという経緯がある為、本当にこれが限界だったのだ。
「……オレは、しばらくアリアを何処か遠くへ連れ出す」
「うん。その辺りは任せるよ。ボクもできる限り時間稼ぎをしたいと思ってる」
シオンの決断をリオは静かに受け入れる。
「全て内密に。アリアはもちろんのこと、周りにも悟られないように動いて欲しい」
部屋に張り詰めた緊張感と重い空気は、いつまでも払拭されることはなかった。
説明回です。いろいろと混み入っておりますので、さらっと流して頂けたら。
そしてシリアスシーンだからこそ突っ込みたい。
みんなアリアを聖女のように誤解しすぎです(笑)。アリアはそんなタイプではありません!(大笑)
アリアは自分の欲望に忠実なただの腐女子です(断言)。
魔王は原子炉みたいなイメージで。危険だけど失くせない。
それから、他の存在を吸収して御しやすくなるのは『DRAG○N BALL』の魔○ブー的なイメージです(笑)。