秘密の話
季節が段々と夏に向かう中、まるでその気温に比例するかのように歪曲空間が出現する回数は増え、国中の人間がいつ現れるかわからない魔物の影に怯えるようになっていた。
その為、魔法師団が動く機会は増え続け、師団長であるルーカスの姿を学園で見かけることは皆無になっていた。
そんな状況だ。これらの不穏な気配は魔王復活の予兆なのではないかという噂がまことしやかに流れ始め、人々の不安を更に煽るようになっていた。
それでも真夏を迎え、市民の間でもビアガーデンなどが行われ、少しだけ陽気な雰囲気も流れる中。珍しく身体の空いたアリアは、以前から「会って話したい」と打診されていたリヒトと久しぶりの再会を果たしていた。
「……このままでいくと、本当に"続編"が始まる感じだな」
行儀悪くストローを歯で遊ばせながら、リヒトが小さく肩を落とす。
他に聞かれては困る話をする都合上、とあるお洒落な喫茶店の、周りからは離れた場所にある人工的な水辺の近くで、アリアはリヒトと向かい合って座っていた。
これではまるでデートのようだと思えば、ふとシオンの姿が頭を過って罪悪感が胸に沸く。婚前交渉はないとされている貴族社会だが、それは建前でしかなく、世界的には男女関係はそれほど厳しいものではない。庶民の感覚はアリアの知る"日本"と同レベルくらいだろう。その証拠に、誰もアリアたち2人の"デート風景"を気に留めたりはしていない。それでも"芸能人"並に有名であるアリアは、その逢瀬が露見すると妙な噂にも発展しかねないから、人目を避けるようにしてリヒトと会っている。人目を気にして会うからこそ、なにかあった際には余計に誤解を招くという悪循環が生まれてしまうから、本当に厄介だ。
「歪曲空間の出現も、魔物の数も増えてきてるんだろ?」
「……やっぱり、魔王復活の予兆なのかしら……?」
ズズズ……、と空になった飲み物を吸い上げながら向けられた瞳に、アリアは表情を曇らせる。
封印の力が弱くなり、目には見えない魔王の魔力が世界に溢れ出しているから、魔物たちの動きが活発になってきているのだろうか。
「まぁ、"ゲーム"のことを考えるとそうじゃねぇ?」
実際に魔王が復活する予兆があるのかどうかは知らないが、今までの"ゲーム"の流れを考えればそういうことになるのだろうと、リヒトはあっけらかんと肯定する。
「オレは"ゲーム"自体は全然してないからわかんねぇけど、」
「……なにか知ってるの?」
完全に寛ぎモードで椅子へと身体を投げ出して口を開くリヒトへと、アリアは真剣な目を向ける。
リヒトは"ゲーム"自体は"未プレイ"でも、公式に発表されている情報に関してはアリアよりも知識がありそうだった。
「なんか、どっかで"隠し攻略対象者"が魔王じゃないかなんて噂があったことを思い出した」
「っ!」
この"ゲーム"だったよな?と首を捻るリヒトは、やっていた"ゲーム"量と読んでいた"ゲーム"の情報が多すぎて、記憶は定かではないと肩を竦めて苦笑した。
けれど。
「……今までの「禁プリ」の内容を考えれば有り得ない話でもないけど……」
「禁プリ」は、物語そのものは"あるある・お約束・王道"路線を突っ走っている。魔王が"隠れ攻略対象者"などとは"お約束パターン"すぎるだろうと驚きながらも呟いて、それでもアリアは大きく落胆の吐息を洩らしていた。
――ただし、その場合、全ての"攻略対象者"をクリアしてから開かれる"ルート"のはず。
つまりは、始めから魔王をこちら側に引き入れるなど、到底無理な話なのだ。
(……それに……)
現実と"ゲーム"の違いを思って、アリアはそんな結末は有り得ないだろうと結論づける。現実は"ゲーム"とは違う。残虐の限りを尽くした魔王が改心したとしても、とてもその行いが許されるはずがないだろう。そもそも闇の者の頂点に君臨するはずの魔王が改心してしまったら、彼らは一体どうなるのか。
「……でも、それはないだろーな」
魔王が"隠れ攻略対象者"だということは有り得ないと、アリアと同じ結論に至ったらしいリヒトへと、きょとんとした大きな瞳が瞬いた。
「どうして?」
「続編はマルチエンディングじゃなくて話そのものは1本だったはずだからな」
今までの"ゲーム"も、恋人として選ぶ"攻略対象者"が誰になるかで迎える結末は異なっていたけれど、話の軸はどの"ルート"を取ってもそれほどは変わらない。「禁プリ」をしたことのないリヒトにはこの点がわからないのだろうが、確かに今回、恋愛要素がないというのなら、益々結末までの道筋は限定されたものになるのだろう。
「もちろん途中で強制終了されるバッドエンドはあるはずだけど」
「……そう……」
だから、この場合において考えられる"バッドエンド"は、精霊王から指輪を譲って貰えずに迎える結末や、それこそ精霊王たちとの親密度が足りなかったり、純粋に闘い方を間違えて魔王に破れたりするという結末になるのだろう。
「でも、あれだろ? オレたちの話を総合して推測すると、六人の精霊王たちから指輪を貰って? その力を借りて魔王を討伐する的な? そんな流れなんじゃねーの」
自分と全く同じ展開を組み立てたリヒトが疑問符を投げかけてくるのに、アリアは曇った表情のまま頷いた。
「……たぶん……」
話の筋はなんとなくわかっても、現実問題として魔王などという強大な敵が復活すると思うと恐ろしくなってくる。
今までも、充分不可能と思われる"ラスボス"たちを倒してきたと言えばそうなのだが、今までと今回とでは大きく事情が異なっている。"ゲーム"の記憶がないことがこんなに不安を煽るのかと、アリアは知らずふるりと身体を震わせていた。
「まぁ、頑張れ」
そんなアリアを知ってか知らずか、リヒトは呑気な態度を崩すことなくぶらぶらとだらしなく足を振る。
「……どうしてそんなに他人事なのよ」
まるで自分には無関係とでもいうかのようなその態度に思わず恨めしげな目を向ければ、リヒトは大きく肩を落としていた。
「だって、オレはただの"転生者"でただの平民だし。これから起こることを知ってたってなにもできないし」
平民、ということは、リヒトは魔力などほとんどないのだろう。元々"理人"という"キャラ"そのものは"現代編"の世界の住人だ。"あちらの世界"には魔法そのものが存在していないのだから、リヒトの魔法力はほぼゼロに近いのかもしれなかった。
「……それはそうかもしれないけど……」
魔力もないのに続編の攻略に参加してくれなどとは酷な話で、思わず口ごもってしまったアリアへと、リヒトは特段気分を害した様子もなくくすりと笑う。
「でも、応援はしてるし、オレにできることがあれば協力するぜ? 魔王が復活して世界が滅ぼされたらオレだって死んじまうわけだし」
"バッドエンド"を迎えることは、世界の滅亡を意味している。その時はもちろんリヒトも無事ではいられないわけで、出来る限りのことはすると告げるその言葉は、主に"ゲーム"に関する記憶面についてのことだろう。
「向こうで死んだ記憶もあるっていうのに、こっちでも死にたくねーし」
大きな溜め息を吐き出したその落胆に、アリアは僅かに目を見張る。
「……リヒトは、"自分"のことを覚えてるの?」
アリアに、"彼女"が死んだ時の記憶はない。だから、未だになぜ"彼女"の"ゲーム"の記憶だけがあるのか困惑している部分がある。勝手にリヒトも同じなのかと思っていたが、どうやら彼はアリアとはまた違うらしかった。
「アリアだってあるだろ?」
「……私は全然覚えてないわ。覚えているのは"ゲーム"の内容と向こうの世界の常識くらいで。あ。日本語も覚えているけれど」
なにせこちらの世界の古代文字は"ひらがな"や"漢字"だというオチが待っていた。
目を丸くしたリヒトへと、自分はほとんど記憶がないと首を振れば、リヒトからは重くなりかけた空気を変えようかというような、茶目っ気ある瞳が向けられていた。
「じゃあ、アリアと秘密の恋文を遣り取りしたかったら日本語を使えばいいわけだ?」
「っ! そうね」
さりげないリヒトの気遣いにくすくすと笑みを洩らし、アリアもまた冗談めかしてそれを肯定する。
と。
「……千明 淳平」
「……え?」
「結構有名だと思うんだけど、聞いたことない?」
ふいにテーブルに肘を立てたリヒトが手に顎を乗せて問いかけてきたのに、アリアは困惑の色を浮かべていた。
「……えと……」
「覚えてないか。前世のオレの名前なんだけど」
リヒトの唇がくす、と可笑しそうな形を作って引き上がる。
「ごめんなさい……。"テレビ"とかあまり見ていなかったから、"芸能界"には疎くて……。"アイドル"とか? "俳優"さんとか? まさか"お笑い芸人"をやってたなんてないわよね?」
主婦をしていた"彼女"は、家事と"秘密の趣味"に忙しく、ほとんど"テレビ"など見ていなかった。
「3」の"メインヒーロー"として"トップアイドル"の顔立ちをした今のリヒトと前世の彼が同じ顔であるはずがないけれど、ついついその綺麗な容姿から"芸能人"をしていたのではないかと思ってしまう。
「……いや、知らないならいーよ」
くすりと意味深に肩を竦めたリヒトはそこで話を打ち切って、後は"転生者"同士の会話に花を咲かせていた。