mission1-2 幼馴染みの少女を救え!
「ユーリ!?」
なぜここに、と、約束より遥かに早く現れた……というよりも、指定した場所とは異なる場所なのだから、どうやら付けてきたことがわかったのであろう少女は、驚愕に目を見張っていた。
「ルナの様子がおかしかったから気になって」
ごめん、と約束を反故にしたことに素直に頭を下げて、けれどユーリはしっかりとした双眸を少女へ向ける。
「ルナ。オレになにか隠してる?」
雑木林の入り口から少し奥へと入った拓けた場所。
誰かと落ち合う予定でもあったのか、そわそわとした様子を見せていた幼馴染みールナの方へと歩み寄り、ユーリはその真意を探ろうとその顔を覗き込む。
「……そんなことは……」
明らかに動揺の色が浮かぶ瞳。
どこか思い詰めたような様子を見せるルナへと、ユーリは真摯な瞳を向ける。
「話してみてよ。オレにできることなら力になるから」
「……ユーリ……」
己の行動に迷いがあるのだろう。
ルナの感情が揺れ動いているのが手に取るように感じ取れ、アリアは二人の遣り取りを静かに見守る。
「実は……っ!」
そうして今にも泣き出しそうな顔を上げ、意を決したようにルナがその思いを吐露しかけた時。
「おやおや」
「!」
ふいに死角から現れた不気味な影に、ルナはぴくりと身体を震わせていた。
「……誰?」
中肉中背の、一見しただけならば柔らかな笑顔が似合いそうな好青年は、けれど溢れ出る雰囲気はどこまでも不気味なもの。
本能的に不穏な空気を察したのか、ピリリとした空気を纏って、ユーリはルナへと問いかける。
「先生……っ!」
「……先生?」
胸の前で手を組んで、怯えるように震える肩。
「……あのっ、これは……っ!」
違うんです……っ!と縋るようにふるふると首を横に振るルナを冷たい瞳で一瞥し、「先生」と呼ばれた男は大袈裟な仕草でやれやれと溜め息を吐き出していた。
「きちんと約束は守っていただかないと困りますねぇ……」
ルール違反ですよ?と、おどけた口調で主張するのは、ユーリがアリアたちを伴って来たことか、約束には早すぎる時間にか。
恐らくそのどちらもなのだろうが、アリアはユーリとルナの二人から男の意識を逸らすべく、「あら?」とわざとらしく口を開いていた。
「時間は早かったかもしれないけれど、ユーリはその子に一人で会いに来るという約束を破ったりはしてないわ?」
「それは、どういう意味かな」
お嬢さん?と意味ありげな瞳を向けられて、アリアはにこりと微笑んで見せる。
「だって、私たちは貴方に用があって来たんだもの」
ルナのところに来たのはユーリ一人で、アリアとシオンの二人は男に用事があってきたのだからと、これらは別件だと主張してみせるアリアに、男はくつくつと可笑しそうな笑みを溢す。
「なるほど」
これはしてやられたね、と悔しさなど微塵も見せずに笑う男に、その実ずっと隙を窺っていたアリアは、間髪入れずに魔力を練り上げていた。
「光よ!」
「んな……っ!?」
の瞬間。目も眩むような光が男の眼前に出現し、完全に不意打ちのその攻撃に、視界を奪われた男は己の目を庇うように腕を覆う。
それと同時にアリアは宣戦布告ともなる結界を発動させていた。
「シオンっ!」
正体不明の不気味な男。
まずしなければならないことは、その男のすぐ近くにいるルナをこちら側へと引き寄せることだ。
そしてすぐにそれを察したシオンは、風魔法を己に行使すると、それこそ風の早さでルナをその男の元から引き離していた。
「ちっ……」
なにかあれば人質に使おうと思っていたのであろう少女を奪われ、男の口から焦りとも取れる舌打ちが漏れる。
「ユーリ!お前はその女といろ」
少しばかり手荒い動作でルナをユーリへと押し付けて、シオンはすぐに臨戦態勢へと移行する。
「防御は任せて!」
そしてそんなシオンへと一歩引いた位置から声をかけ、アリアもまた男の方へと対峙する。
チラリとアリアへ視線を投げたシオンの表情が一瞬潜められ、けれどシオンは咎めることなく、全く……といった様子で不承不承アリアの行動を了承する。
「逃がさないわ!」
"ゲーム"では、シオンはユーリを守りながら闘うことに手一杯で、最終的にこの男を取り逃がしていた。
(そうはさせない……!)
その結果、待っているのは第二の被害者ーー、先日の、シオンへと片想いをする少女の死だ。
ユーリを手に入れるべく、シオンに想いを寄せる少女の恋心を利用して、男は二度目の行動を移すのだ。
"ゲーム"では、シオンはユーリを守りながら一人でこの男に立ち向かっていた。けれど、この現実は違う。殺されているはずの少女はこうして生きており、共に闘うことのできるアリアもいる。
全てを守るために、そのためにこの三年間があったと言っても過言じゃない。
「くそ……っ」
分が悪いと感じたのか、応戦する様子もなく一歩二歩と後ずさる男の行動を、アリアは逃してなるものかと意識を研ぎ澄ませる。
チラリ、と男がルナへと視線を投げ、指を鳴らすような仕草をした瞬間。
「ルナ……!?」
驚いたようなユーリの声が響き、それにつられて思わず背後へと振り返ってしまう。
するとそこには、気を失ったかのようにユーリの腕の中へと倒れ込んだルナの姿があった。
(なにが……!?)
一体なにが起こったのか理解できずに、アリアの中に動揺が生まれる。
そしてそれを、男が見逃すことはない。
「っ!」
一瞬にして退路を確保した男が踵を返し、雑木林の奥へと消えていく。
(させない……っ!)
ハッとして、すぐに追跡の体勢を取ったアリアに、シオンの制止の手が伸ばされる。
「待て」
「シオン……!」
ここで逃すわけにはいかない。
縋るような瞳でふるふると首を振るアリアを見下ろし、シオンは一つ吐息を落とすと男が消えた方向を見つめていた。
「オレが行く」
ふわっ、と風が舞い、シオンの身体を押し出すかのような流れが生み出される。
「お前たちはここにいろ」
言うが早いがアリアの前からシオンの姿が消え、風が吹き抜けた木の葉の残骸だけが残される。
「……シオン……」
お願い、と願うように胸元を握り、アリアは唇を噛み締める。
このままあの男を取り逃してしまえば、今度はあの少女に危険が迫る。
結局はなにもできずにただシオンに祈るだけしかできない自分が悔しくて堪らない。
(なんのために……っ!)
自分は、今までなんのために周りを巻き込んでまで動いてきたのか。
悔しくて、悲しくて、爪が食い込むほど強く手を握り締める。
と……。
「アリア……っ!」
ふいに裏返ったユーリの叫び声が辺りに響き、アリアははっと我に返ってユーリの視線の先へと顔を向けていた。
(なんで……!)
先ほど男が消えた林の奥とは逆方向。
にゅるにゅると、まるでソレ自身が意志を持った生き物のように蠢く暗い影。
(順番が逆じゃない……!)
本来であれば、まずユーリを確実に捕らえるために仕掛けられた罠のはずが、アリアたちが予定外に早く動いてしまった為に、遭遇が逆になってしまっていた。
にゅるにゅると不気味な気配を纏わせて、まるで自在に動くことのできる木の根を思わせるその触手がアリアたちへと迫ってくる。
(……逃げる!?)
動きは決して早くない。
"ゲーム"のように罠として不意を付かれるようなことがなければ、充分に逃げられる速度だ。
(でも……)
気を失ったルナをユーリと二人で抱えながら、果たしてそれが可能だろうか。万が一にも、そのまま街まで辿り着いてしまったら、大変な騒ぎにもなってしまう。
ならば、ここで消し去るしかない。
攻撃特化の火系列魔法で燃やしてしまうのがベストだが、生憎アリアは火属性とは相性がいまいちだ。
(だったら……!)
水と空を掛け合わせて、凍らせることはできるだろうか。
「氷の槍よ……!」
言の葉は力。魔法行使に呪符は必要とされないが、言霊の力を持ってアリアは魔力を組み上げる。
この奇怪な生き物に触ることも、その液体に触れることも許されない。触れたが最後、どんな目に遭わされるかは"ゲーム"でよく理解している。
迫り来る触手を一本一本確実に凍らせて無効化しながら、アリアはふと今後の展開を思って眉を寄せる。
(……媚薬効果……?)
気になるのはその効用。
そんな薬は恐らくルークの手元にもないだろう。
(……なんとか持って帰れないかしら……?)
この生き物そのものではなく、液体だけ持ち帰るいい方法はないものかと、アリアは高速で頭を回転させる。
その間も触手の先を伸ばしてくるソレへ応戦しつつ、ぐるりと辺りへ視界を巡らせる。
樹木が不気味に動いているようなソレは、一本の太い幹のようなものから多数の触手を生やしている。
(もしかして……!)
触手から滴り落ちる、妖しい粘着性のある無色透明な液体。
どこかに原液の入った部位があるのではないかと考えたアリアの視界に、それらしき袋のようなものが見えた。
(これを、袋ごと氷みたいにして持ち帰れないかしら?)
ほぼ全ての部位を凍らせることに成功し、動きを止めたソレにほっと一息つきながら、アリアは不気味に蠢く臓器のような袋を見上げて観察する。
「シオン……!」
と、背後から聞こえたユーリの声。
(もう戻ったの……!?)
思わずその存在を確認しようと、一瞬、目の前のソレから意識を逸らしてしまったその刹那。
「……っ!」
臓器のようなソレから細い触手のようなものが伸び、その先がアリアを狙って透明な液体を吐き出すのと。
「氷の槍よ!」
アリアが慌てて魔法を発動させるのと。
「アリア……っ!」
後方にいたはずのユーリの焦燥の声がほぼ耳元近くで聞こえるのが。
ぱしゃん……っ!
全て同時の出来事だった。
「……ユーリ……?」
反射的に目を閉じていたアリアは、その瞬間自分が誰かに腕を取られたことに気づいてすぐに顔を上げる。
何事もない自分。
魔法を放ったその瞬間、腕を引かれたアリアは誰かと自分の位置が入れ替わられていたことに気づく。
咄嗟にアリアへと手を伸ばし、アリアを庇ったのは。
「ユーリ!」
「大丈夫。ちょっと濡れただけだから」
なんだこれ?と、顔についた液体を不快そうに手で拭い、ユーリはアリアを安心させるかのように小さく笑ってみせる。
(く、口……!口に……っ!)
僅かな量だが、口元まで滴り落ちたそれに、アリアは動揺を隠せない。
あくまでアリアの推測に過ぎないけれど、恐らくそれは。
(純度100パーセントの原液じゃ……!?!?)
これが"ゲーム"通りの生き物であるならば、少量とはいえそれを口にしてしまったユーリは。
(きゃあぁぁぁぁ!?)
途端。
とろん……、と焦点が溶けていくユーリの瞳に、アリアは心の中で絶叫する。
(嘘でしょ……!?)
まさかの、この展開は。
「……ア、リア……。シ、オン……」
熱くなった鼓動に苦し気に胸元を抑えて吐息を吐き出しながら、ユーリはなにかに耐えるかのように唇を噛み締める。
「どうした」
「シ、オン……っ!」
崩れかけたユーリの傍へと歩み寄り、シオンが膝を折ってその顔を覗き込む。
「……辛いのか?」
(え……。ちょっと待って!この展開……っ!?)
やり場のない熱を抱えて苦しむユーリへとかけられるシオンの声。
それに顔を上げたユーリの瞳が、縋るようにシオンの顔を見上げる。
(きゃぁぁぁっ!?)
その壮絶な色香に、むしろアリアの方が真っ赤になって口元を抑えながら歓喜の悲鳴を上げてしまう。
ユーリのこんな姿を見てしまったら。シオンでなくとも理性を抑えるのは難しいだろう。
「今、楽にしてやる」
(いやぁぁぁぁ……っ!)
"ゲーム"通りのその展開に、アリアは歓喜の悲鳴が上がってしまうのを止められない。
え、ここで?私もいるのにここでしちゃうの?と、期待でドキドキ高鳴る胸の音が煩くて仕方がない。
……のだが。
ふわぁぁ……っ
ユーリへと手をかざしたシオンの掌から異常回復の魔法が紡ぎ出され、アリアは途端、無理矢理冷静さを取り戻させられていた。
(……そうよね、そうなるわよね……)
正直に言えばものすごく残念な気持ちだが、この展開ならばこれが一番当たり前の選択肢だろうとがっかり肩を落としてしまう。
"ゲーム"内では、男への応戦に魔力の殆どを使い果たしてしまったシオンにユーリの状態をすぐに回復させる術はなく、魔力が回復するまでの時間稼ぎとしてユーリと"そういう"展開になったりしたわけだけれども。
実際は、まだ魔力に余裕がある上、もはや魔力回復の薬すらある。
(だから"ゲーム"にはMPポーションがないのよ……!)
"ゲーム"開始直後の為、レベル上げもほとんどできないまま敵へと挑み、結果、追い返すことはできたものの、どう頑張っても魔力の殆どを使い切ってしまうという、それはそれはよくできた設定だ。
(……仕方ないわよね……)
とはいえ、"ゲーム"の強制力を思い知らされる結果ともなったこの展開に、アリアは新たな決意をさせられることになるのだった。