始まりの事件 1
平和な世の中だからといって犯罪がないわけではない。誘拐や殺人の類いは数は少なくとも皆無でないし、軽犯罪などは普通に起こっている。
戦争下にある国よりも、それを知らない国の方が自殺者が多いように、王都でも毎年一定数の自殺者というのはいるらしい。それは、失踪者も同じ。
それでも平和慣れした人々は日々を穏やかに過ごしており、そんな犯罪に自分が巻き込まれることなどないと思い込んでいる。
だから、その事件は都中の女性たちを震撼させていた。
「潜入調査……?」
リオから打診をされた依頼に、シャノンは不審そうに眉を寄せていた。
犯罪を調査し、犯人を捕縛するような仕事は、きちんとしたプロの機関がある。にも関わらず、なぜ自分に声がかかるのか。
卒業後の就職先を考えているような同級生の中には、今から将来を考えていろいろな機関に繋ぎを作ろうとしている者もいるが、現状家を継ぐことを求められているシャノンにはその必要もなかった。
「危険なことはわかっている。だから、無理強いをするつもりはない。ただ、協力してくれるのならば万全の体勢は整えるから……。頷いてくれたらすごく助かるんだけれど」
今回の呼び出しに、当然のように一緒についてきたアラスターへもチラリと視線を投げながら、リオは複雑そうな笑みを溢してシャノンの顔を窺った。
「……それは構いませんけど……。なんで俺なんですか?」
「背後関係が知りたいんだ。どうしてもそこまで辿り着けなくて」
「……あぁ、それで」
少し前に王都へと衝撃を走らせた事件。全勢力を投入してその調査・解決に当たっているが、黒幕と思われる人間に辿り着くまでにはまだ時間がかかりそうだった。時間さえかければ辿り着けるかもしれないが、民衆の安心の為にも一刻も早い解決が望まれていた。次の犠牲者を出すわけにはいかないのだ。
「精神感応能力を使って貰うことになるだろうから、君にかかる負荷は相当なものになる。だから、少しでも無理だと思ったら断ってくれて構わない」
今回の事件だけに限らないが、それでも今回の事件は特に、とても追体験したいようなものではない。リオもそれがわかるから、苦渋の決断とも言える最後の手段に頼っているのだ。
「……いいですよ。やります」
「シャノン……」
しばしの沈黙を破って了承したシャノンへと、アラスターの心配そうな目が向けられる。
人との関わり合いを苦手としていても、結局は正義感の強いシャノンが断れないことなどわかっている。
「借りもたくさんありますし」
「それを借りだと思っているのは君だけだよ」
小さく肩を落としながら洩らされた呟きに、リオはくすりと僅かに苦笑した。
先日の、公爵家から正当な形で宝玉を貰い受けられるようにした件については、シャノンが責任を感じる必要はどこにもない。リオがしたくてしたことなのだから。
「でも、助かる」
そうして律儀な性格をしているシャノンへと謝礼の言葉を口にして、具体的な話を進めようと、傍に控えたルイスへと顔を向きかけた時。
「私も行きます……!」
不意に上がった少女の声に、リオは僅かに目を見張っていた。
ここには今、シャノンに繋ぎを取る為の依頼をしたアリアと、その隣には当然のようにシオンとユーリが共にいた。
「アリア。お前はまた……」
頭を抱えるような声色で顔をしかめたシオンに続き、リオもまた厳しい目を向ける。
「君はダメだよ」
「どうしてですか……! シャノンの精神感応能力が必要とはいえ、なにかあった時には私の方が……っ」
けれどそんなことでアリアが引き下がるはずもなく、シャノンを心配するアリアは付いていくと譲らない。
「それでも君は女の子なんだから」
「でも……! シャノン一人でなんて……!」
シャノンもある程度の魔法は使えるけれど、やはり魔法力だけで言えばアリアの方が遥かに上だ。アリアを上回る魔力の持ち主など早々いないから、相手が犯罪者とはいえ心配には及ばない。
それに、精神感応能力は、リオが心配していたようにシャノンにかかる負荷が大きすぎる。使った結果、倒れるような事態にでも陥れば、その後どうなるかもわからない。
だから自分も行くと告げるアリアに、今度はユーリが大きな溜め息を吐き出していた。
「……そしたらオレが行くよ」
「っユーリ」
「他に適任はいないだろ? 不本意だけど」
不承不承といった様子で肩を落とし、ユーリはチラリとシオンの顔を窺った。
アリアを大人しくさせる為ならば、自分が犠牲になるくらいは仕方がない。
「でも、ユーリだって……!」
「シオンに女装ができると思うか? すっげー不本意だけど」
絶大な魔力の持ち主とはいえ、ユーリが使える魔法は光属性のものに限られている。だからユーリを巻き込むわけにはいかないと告げてくるアリアへと、ユーリはむすりとした表情を浮かばせていた。
そう――、今回の依頼では、潜入調査に「女装」をする必要があるのだ。とても本意ではないけれど、背に腹は代えられない。さすがにシオンに女装は無理がある。
「だから私が……」
「だから、不本意でもオレが行くって言ってるの」
不本意、を主張して、八つ当たりのようにシオンへと視線を投げる。貸し一つ、とでも言いたげに。
「……これはこの場にアリアも呼んだ皇太子の落ち度だな」
一度言い出したら曲げないことはいつものことで、シオンはリオへと責めるような目を向けながら大きく肩を落としていた。
「……うん、ごめんね。その件に関しては今本気で後悔しているよ。今後は気をつける」
シャノンに協力を仰ぐに当たってアリアに繋ぎを頼んだが、そのまま帰って貰うべきだったと気づいてももはや遅い。
「そうしてくれ」
「シオン……! リオ様……っ」
シオンに対しては皇太子に取る態度ではないことを咎めつつ、リオにはそんな気遣いは不要だと声を上げる。
「とにかく、一刻も早く犯人を捕まえたいんだ。君たちを巻き込むことになってしまって本当に申し訳ないけれど……」
事件の早期解決に当たっては、シャノンほど頼れる存在はいなかった。視んでしまえばどんな問題でも簡単に解けてしまうのだから。
「気にしないで下さい」
相変わらずの少女の行動にシャノンがやれやれと吐息を洩らせば、リオは感謝の意を示して微笑んだ。
「ありがとう」
残すは問題は、アリアをどう説得するかのみ、なのだけれど。
*****
(っ! さすが"主人公"二人……! 煌めきオーラが半端ないわ……!)
目の前には、"可愛い系"と"綺麗系"の美少女が2人。
(シャノンの女装……!!)
ユーリの女装姿は現物を過去2度ほど目にしているが、シャノンに関しては"ゲーム"の中でも見た記憶はない。是非見てみたいと思っていた願いが叶い、アリアは感動で口元が緩んでしまう。
2人とも身体のラインを簿かす為にレースがふんだんに使われたワンピースを着ているが、ユーリはふわふわ甘い系のカントリー調。シャノンは清楚系の白いロングスカート姿だった。
アリア自身は水色のゆるふわワンピース。二枚重ねのようになっているレースの生地は花柄の刺繍が施されている。そんな己の姿を見下ろして、本物の女性としてちょっと自信を失くしてしまいそうになる。明らかにユーリとシャノンの方が人目を惹く。これを一言、"さすがゲームの主人公"で済ませてしまっていいものだろうか。
「いいね? 3人共。ボクたちはすぐに突入できる体制を整えているから、少しでも危険を感じたらすぐに合図をするんだよ?」
絶対に3人を危険な目には遭わせまいと念を押し、リオは結局説得を断念せざるを得なかったアリアへと目を向ける。
「特にアリア。君は絶対に無茶をしないこと」
「……わかっています」
自分ばかりがなぜこんなに強く言い含められるのだろうかと小首を傾げつつ、アリアはコクリと素直に頷いた。
アリアには、自分が危険地帯に足を踏み入れているという自覚があまりない。
「少しでも無茶をしたら……、わかってるな?」
「っ!」
そこで、そっと身を屈めたシオンに耳元で囁かれ、アリアはびくりと肩を震わせた。
「この先一歩も外に出られない生活をしたいなら好きにすればいい」
「……シ、シオン……」
くす、と愉しそうに微笑ってはいるものの、その瞳の奥には本気が垣間見え、アリアは小さく息を呑む。
今度勝手な真似をしたら、すぐにでもシオンと強制的に結婚させられてしまうというのは、もはやリオの"皇太子命令"にすらなっている。
もちろんシオンとの結婚が嫌なわけではないけれど、さすがにそれはまだ早すぎる。――しかも、待ち受けるのは本気か冗談なのか、監禁生活とあっては堪らない。
「もう少ししたら、金を積んで買収した男が迎えに来るはずだ。あくまで気を失ったふりだと話は通してある。妙な真似をするようだったらすぐに離脱して貰って構わない」
リオの隣で、ルイスが淡々と説明する。
アリアたち3人を何処からか拐ってきた体で、リオたちが怪しいと睨んでいる男の元へと送り込まれることになっている。
「頼んだよ」
緊張を孕んだ真剣な瞳を向けられて、アリアたち3人は無言で頷き返していた。