act.4-1 Jewel of the water ~水の宝玉~
透き通るような蒼い空。時折柔らかく靡く風。
真っ白な棚田に、幻想的な空色の水が流れている。
ここは、"あちらの世界"の遺跡の"パムッカレ"……、ではなく、それをモデルにしたのであろう、「水の宝玉」へと続く道中だった。
四つの珠玉を厳重に保管したリオは、最後の一つである「水の宝玉」を献上するよう、アクア家へと要請した。普通であれば当主であるアリアの父親が動くところではあるのだが、ここまでの過程もあり、きちんと許可を得た上で、アリアが取ってくることになったのだ。となれば、シオンが同行するのは当然で。アリアとしては、多少でも"ゲーム"の流れを汲むべく、シャノンやアラスターにも声をかけたかったところではあるのだが、さすがにそうもいかず、我が儘を言ってギルバートだけは行動を共にさせて貰っていた。
美しい水の世界が広がる石灰棚。
どうしてもうずうずしてしまう気持ちを抑えられずに、アリアは靴を脱いでしまっていた。
「……アリア」
なにをする気だ。と眉を潜めるシオンへと、アリアは少しだけ申し訳なさそうに微笑する。
「ちょっとだけ」
ね?と甘えるように"おねだり"されてしまえば、シオンがそれ以上愛しい少女を止められるはずもなく。
裸足になったアリアは、目の前に広がる美しい光景に誘われるまま、なんの躊躇もすることなく水の中へと足を入れていた。
「ん~。気持ちいい……」
水属性のアクア家の直系であるアリアは、幼い頃から水の存在をすぐ傍に感じ、愛し愛される関係だ。こんなに綺麗な水の光景を前にして、ただ眺めているだけでなどいられない。
青空の広がる中、ぬるま湯にも近い水に足を浸して、アリアはぱしゃぱしゃと音を立てながら歩き出す。
濡れないように少しだけスカートの裾を上げて、幸せそうに微笑うアリアは、まるで幻想の世界の住人のようだった。
「おいっ、あんまりはしゃいで転ぶなよっ?」
楽しそうに小さく水を蹴るアリアの姿を、嘆息一つで見守る様子を見せたシオンの一方で、ギルバートは自らも靴を脱ぐとアリアの後を追っていく。
「! ギル」
「あ。気持ちいいな」
暑くもなく寒くもなく、心地いい青空の下。素足を水に晒す行為は思ったよりも気持ちのいいもので、ギルバートは素直な笑みをアリアに向ける。
「でしょ?」
そう笑うアリアは、悪戯っぽい瞳をしながらも得意気だ。
「シオン……!」
一緒にどうかと手を振るアリアに、シオンは小さく肩を落とす。
アリアの傍にギルバートがいるのは気にくわないが、目の届く範囲内であれば黙認すべきかと悩んでしまう。少しは信じてやれ、過保護すぎる、とはユーリからも言われている。
楽しそうにアリアが歩く度に水が跳ね、それが陽の光を受けて輝く。
キラキラとした光の中で、水と戯れる少女の姿に、ギルバートは眩しげな瞳を向けていた。
「まるで水の精だな」
「え?」
くるりと舞ったアリアの足元で、水の雫もまた踊る。
自分をみつめてくるギルバートの言葉に目を丸くしたアリアは、おかしそうにくすりと笑っていた。
「なに言ってるの」
確かにアリアは水の魔力が強いけれど、"水の精霊"というのならば、本物の"妖精"の姿を知っている。
小さくて、とても可愛らしい存在。
そんな彼らを救いたくて、今、こうして宝玉を集めている。
自分が"水の精"などとは、彼らに失礼だと笑うアリアに、けれどギルバートはくすりと口元を緩めていた。
「そうか? そんなに的外れでもないと思うけどな」
もし本当に"妖精界"というものが存在して、その世界が滅びに向かっているというのなら。それを救おうとしている少女の存在は、その世界の住人からしてみればまさに"女神"そのものではないかと思う。
スカートの裾を少しだけ持ち上げて、素足を水に晒して無邪気に笑う少女の姿は眩しすぎて、それに惹き付けられるかのように、ギルバートはアリアの傍まで足を運ぶ。
そうして思わず腰を屈めて、その唇にキスを落としそうになって。
「ギル……?」
「っ油断も隙もないヤツだな」
自分の顔に射した影に、アリアがきょとんと不思議そうな表情を浮かべる中、いつの間にやってきたのか、シオンが二人の間へと腕を差し入れていた。
「ケチケチすんなよ、これくらい」
「よほど牢獄暮らしがしたいらしいな」
「コレも一緒なら喜んで」
「独房に決まってるだろう」
「二人共……!」
自分を挟んで視線で火花を散らされて、アリアは焦ったように声を上げる。
"ゲーム"の"ヒーロー"同士、どうにか仲良くしてくれないかと思うものの、どうにも似た者同士な二人にそれを求めるのは無理そうだと、アリアはがっくりしてしまう。
「お前も少しは警戒しろ」
「え……?」
そうして今度は憤りの先が自分へと移ってきて、アリアは瞳を瞬かせる。
警戒、とは一体なんのことなのか。
「襲われかけただろう」
「っ!」
もうすっかり忘れていたことを指摘され、瞬時にアリアの頬へと赤身が差す。
襲われた、というほど大袈裟なものではないけれど、あの時のことを思い出してしまえば、さすがに恥ずかしいと思ってしまう。
「どうしてお前はすぐに気を許すんだ」
説教じみた口調で厳しい目を向けてくるシオンに、ついついそんなことを言われても、と思ってしまう。
ギルバートは"続編"の"メインヒーロー"。なんだかんだあったとしても、嫌うどころか心を許してしまうのは仕方がない。
「そんなこと言ったって、こんな幻想的な場所、キスの一つや二つするだろ、フツー」
そんなシオンに、ギルバートは全く悪びれる様子はなく、開き直りにも近い態度で二人を見遣る。
「普通?」
「普通だろ?」
ジロリと向けられる視線に、余裕の笑みを返し。
「……アリア」
「え?」
それに煽られたかのように、シオンはアリアの腕を引くとその唇にキスを落としていた。
「っ! シオン……ッ」
「普通はするらしいぞ?」
「――っ!」
ギルバートの前でなにを考えているのだと、咎めるように羞恥に潤んだ瞳を向けてくるアリアへと、シオンは意味ありげな笑みを浮かべる。
確かにこんなに綺麗で美しい場所。二人きりであれば、アリアもその雰囲気に酔ってしまってもいいかな、とも思ってしまうけれど。
実際は、ここにはギルバートもいるのだから、悪ふざけは本当に止めて欲しい。……シオンに言わせれば、だからこそ、きっちりこの少女は自分のモノだと知らしめておきたい、というところだったりするのだが。
「あ~、アンタ、マジでムカつくな」
二人の世界を作りかける天敵に、ギルバートはムッとした表情を浮かばせる。人の言葉の逆手を取って目の前で見せつけてくるなど、本当に質が悪い男だと舌打ちしたくなってくる。
「お前が言ったんだろう」
普通はキスするものだと言われたからしただけだと、素知らぬ顔で主張して、シオンは鋭い視線をギルバートへと向ける。
「コイツはオレの婚約者だ。金輪際手を出すな」
「オレを誰だと思ってんの? 人のモノを奪うのが怪盗のオシゴトだぜ?」
「怪盗は廃業だろう」
ああ言えばこう言う。さすがに頭の回る言い合いに、アリアなどはハラハラしてしまう。
自分を廻っての言葉の応戦だということだけでも頭が痛いのに、二人の会話は所々セクハラじみたものが覗いたりするから堪らない。
意味ありげな笑みを口元に刻むギルバートと、明らかに不快そうなシオンの牽制。
幻想的な水の光景の中、この世界には三人だけ。
「……そろそろ行くぞ」
そうして小さな吐息を洩らしたシオンに手を差し出され、アリアは一瞬悩むような様子を瞳に浮かばせる。
その手を取ることが嫌だというわけではもちろんなくて。ただ、ギルバートの前だと思うとやはり少しだけ気恥ずかしさが拭えない。
どうしようかとチラリと視線を投げれば、そこには嘆息中のギルバートの姿があり。けれど、目が合うとニヤリと笑って自らも手を差し出してくる。
「!」
右にはシオン。左にはギルバート。二人の顔を交互に見、アリアはシオンの手を取ると、次にギルバートの手も取った。
アリアがシオンの手を取った瞬間は、やっぱりな、と苦笑いを浮かべかけたギルバートだが、少しだけ驚いたように目を見張った後、仄かに嬉しそうな笑みを溢す。その一方で、シオンは少しばかり嫌そうに眉をしかめていたが、アリアを咎めるようなことはしなかった。
美男子二人にエスコートされるように水際まで歩きながら、アリアは思わず、ふふふ、と喜びを噛み締める。
「なんだよ?」
「まるで、お姫様にでもなったみたいだなぁ、って」
まるで騎士二人に手を引かれて歩くお姫様のようで、アリアは悪戯っぽい瞳を向ける。
古今東西、"お姫様"は小さな女の子が夢見る筆頭だけれども、もちろん今のアリアにそんな願望などはない。
「なったみたい、って、元からアンタは姫だろう」
「なに言ってるの」
恐らくギルバートが言っているのは、王家の血を色濃く継ぐ血統のことだろうが、それをあっさり否定して、アリアはくすくすと笑みを溢す。
水辺には、先ほどアリアが脱いだ靴が、持ち主をきちんと待っていた。
もし、ガラスの靴があったとしても、それを放り出す勇気が欲しいと思う。
例え、裸足のままでいても、それでもシオンは自分をみつけてくれると思うから。
ただ護られるだけなんて願い下げ。
一緒に歩いて生きたいと思うから。
「どうした?」
「……ううん。幸せだなぁ、って」
訝しげなシオンの視線に首を振り、アリアは緩やかな微笑みを浮かべてみせる。
罪悪感に悩んで苦しんで。
胸が押し潰されそうだったあの時間はなんだったのかと思うほど、今のアリアは穏やかだ。
本当に。なんて贅沢なのだろうと思う。
シオンが、自分を愛してくれていて。
ギルバートまで傍にいて。
もし"ゲーム"の"ファン"がこれを知ったなら、狂喜でおかしくなってしまうのではないだろうか。
「……まぁ、そうだな」
そんなアリアの素直な微笑みを前にして、ギルバートもまた僅かに目を見張ると嘆息と共に口を開く。
「少なくとも、不幸だとは思えない、な」
この世で、自分が一番不幸だと思った過去がある。
絶望に、消えてしまいたくなった日々もある。
それでも、今、この瞬間は。
生きていて良かったと。生きていたいと思うから。
神を呪った日もあった。
けれど今、この少女との出会いに感謝する自分もいる。
「……ギル……」
自分へと、なんとも言えない苦笑を向けてくるギルバートへと、アリアは目を丸くする。
"幸せ"、とまではいかなくても、ギルバートがそう思ってくれることは、ただ純粋に嬉しかった。
「……良かった」
少しは、救えているのだろうか。
まだ、これから訪れる試練を思えば、不安になってしまう気持ちを消すことはできないけれど。
それでも、仄かな暖かさに胸の奥を満たされて。
アリアは、柔らかな微笑みを浮かべていた。
GW引きこもり応援キャンペーン(?)ということで、本日より毎日更新致します。(そしてこの期間で完結です)