貴方に捧ぐ
好きだ。愛してる。って囁いて。
いつだってその愛情に甘やかされて、満たされて、いつの間にか溺れてしまう。
もっと甘やかして。溺れさせて。
いっぱい我が儘を言わせて。困らせて。振り回させて。
こんな私のどこがいいの?
迷惑をかけたら、本当に仕方ないな、って苦笑して。
また無茶をしたら、きちんと怒って叱ってよ。
それでもきっと、キス一つで許してくれる?
私はすごく我が儘だから。これからもきっと、同じことをしてしまう。
その度に腕を伸ばして引き止めて。
抱き締めて離さないで。
懲りずに同じことを繰り返したら。
呆れる?
怒る?
だから。
目を離さないで。
傍にいて。
何処にも行かないように縛っていて。
私が何処かに行こうとしたら。
追いかけて、抱き寄せて。
離さないって、抱き締めて。
声が聞きたい。
――好きだ、って言って欲しい。
今すぐ会いたい。
――痛いくらい強く抱き締めて。
キスをして。
離さないで。
私にも。
――好き、って言わせて。
*****
ギルバートと共に脱出した場所までみんなで跳んだ後。
限界まで残留思念を視んでシオンと女の痕跡を辿ったシャノンは、後一歩というところで過負荷を起こして倒れてしまっていた。そして、そんなシャノンを背負って運ぶことを名乗り出たルークは、一番後ろに下がって歩いていた。
シオン救出に向かったメンバーは、他に、ユーリとリオ、ルーカスにセオドア、そして、アリアとギルバートだ。
冷たい石畳の続く異空間。ここを真っ直ぐ行った先だとシャノンが示した通りに足早に歩を進めれば、そこには妙に拓けた空間が待ち構えていた。
「……あらあら。また随分と大人数でのお迎えね?」
ハイヒールの音を響かせて、色香の籠った優雅な微笑みを浮かべた女が奥の方から現れる。
「……リデラ」
「恋しい男に会いに来たの?」
くすっ、とアリアに視線を投げ、「そんなに待ち切れなかったのかしら?」とわざとらしい疑問符を投げ掛ける。
「……シオン、は……」
「あの男だったら、殺してないから安心して?」
そう笑みを浮かべる真っ赤な唇が、妙に意味深な声色を響かせる。
殺していない、という言葉に少しだけ安堵を覚えたものの、生きていることと無事でいることは同義ではない。
「……シオンは何処にいる」
初めて対面する魔族にも臆することなく、アリアの気持ちを代弁するかのように、ユーリの力強い瞳が女の姿を捕らえていた。
「会いたいの?」
「……っ」
一刻も早く会いたかった。その気持ちに嘘はない。
でも、それと同時に少しだけ恐い、とも思ってしまう。
生きてさえいてくれれば、とは思っていても、今、シオンがどんな状況に置かれているのか想像すると、ふるりと身体が震える。
「そんなに恐い顔で睨まなくても、ちゃんと会わせてあげるわよ」
せっかちねぇ……。と、頬に手をやり、吐息を吐き出して。
「私は優しいから。会いたいのなら、望みはちゃんと叶えてあげる」
いやに優しく、甘い声色で優雅に微笑んだ。
「――可愛い私の下僕にね」
「な、ん……っ?」
それは、一体どういう意味か。
「……聞こえたかしら? いらっしゃい。貴方の恋人が会いに来たわよ?」
顔を見せてあげたら?とリデラが振り向いた先。
その意味を推測するよりも、理解するよりも早く。
先ほどリデラが現れた部屋の奥から影が差し、ずっと求めていた人物がその姿を覗かせた。
「……シ、オン……?」
じわ……っ、と、アリアの瞳に涙が滲む。
生きてくれていた。
無事でいてくれた。
一見しただけだけれど、大きな怪我などもなさそうで。
女の趣味なのか、なぜか元々着ていた服ではなく、軍服のようなものに着替えさせられてはいたものの、それが酷く似合っていて。
とても格好いいけれど、それは一体どういうことか。なにがあったのかと、一抹の不安も胸を過る。
視界が、ぼやける。
ゆっくりと歩いてきたシオンがリデラの横で足を止め、隣に立った気配を感じたリデラが、す……っ、と赤い爪先を差し出した。
と。まるでそうすることが当たり前のような自然な動作でシオンがその手を取って。
「……リデラ様」
恭しく膝を下り、その手の甲へと口づけた。
「……シ、オン……」
呆然とするアリアの周りで、その場にいる全員の顔へと緊張が走る。
無言のままその場に佇むシオンの瞳は、アリアを映していなかった。
シオンの様子がおかしいことは、誰の目から見ても明白だ。
「……アリア」
すぐさまセオドアがアリアの横に立ち、なにかあってもすぐに対処できるようにシオンを見据えたまま緊張を滲ませる。
「……ま、さか……」
リデラの横に立ったまま、なにをするでもなく顔だけをこちらに向けているシオンに、息を飲むリオの声が洩らされた。
――『私の下僕』
優雅にそう告げた言葉の意味。
「……人を操る、んだったよね」
そういえば、と女の能力を思い出したルーカスが呟けば、リデラはそれを肯定するかのように妖艶な微笑みを返していた。
「……お前……っ! あんだけカッコつけといてなにやってんだよ……っ!」
今にも掴み掛かりそうなギルバートの声。
「……シオン……?」
顔を潜めた、ユーリの疑問符。
「この男はもう私の忠実な僕だから」
妖しい仕草で傍にある腕へと指先を滑らせれば、それに促されるままシオンがリデラを庇うように前へ出た。
「私に危害を加えるつもりなら、彼が先に相手になってくれるそうよ?」
くすくすくす、と酷く愉しげな笑みを溢すリデラへと、誰もが緊張感を張り付けたまま、その場から動くことができずにいる。
一番後方で、完全にダウンしているシャノンを支えているルークもまた、悔しげに唇を噛み締めていた。
「……シ、オン……」
ふらり、とアリアの身体が傾いて、勝手にシオンの元へ向かおうとするのを、セオドアがその両腕を掴んで引き止める。
「……元に戻す方法は」
潜めた声でリオがルーカスにそう問いかけるのに、
「彼女を倒すしかないんじゃないかな」
す……っ、と冷たく細められた瞳が、妖艶な微笑みを消すことのない女へと向けられる。
高位魔族であるリデラを倒すこと自体、勝算は五分五分だ。
そこにきてシオンが女の剣となり盾となり、自分達の前へと立ち塞がるというのなら、それはかなり厳しい闘いになる。
シオンの実力を、ルーカスは正確に理解しているつもりだった。
「……あるわよ? 他にも一つだけ。そんなことをしなくても元に戻す方法が」
密やかに交わされる会話を耳にして、リデラが不気味なほど満面の微笑みでアリアへとチラリと視線を投げる。
「な、にを……」
「彼を、元に戻したい?」
縋るように揺らめく少女の瞳に、リデラは酷く甘い誘惑を落としていく。
「できるわよ? 貴女なら」
にっこりと。意味ありげに向けられる甘い声。
「私は優しいから。ちゃんと最期に二人の望みは叶えてあげる」
アリアの望みは、シオンを取り戻すこと。
シオンの、望みは……。
「最愛の貴女を抱きたかったって言うから」
リデラのその言葉に顔を上げ、アリアはシオンの顔をみつめる。
いつもアリアの瞳を真っ直ぐ射抜いてくる真摯な双眸は、今、何処を見ているのかもわからなかった。
「私の可愛い下僕になる、ご褒美をあげることにしたの」
それは、つまり。
「その望みを叶えて貴女を犯し殺せば正気に戻れる、って。そんな風に術をかけておいたから」
最愛の少女をその手にかけて正気に戻ったその瞬間。腕の中の亡骸を抱いたまま、男がどうなってしまうのか想像するだけで愉しくて仕方がない。
冷たくなった身体に。自分が殺してしまった恋人を前にして、どんな絶望の色を浮かばせるのか。
おかしくなって狂うのか。
そうしたら。
――その後はもう、なにも感じない傀儡にして、手元に置いておいてあげる。
「奪いたかったのでしょう? 貴方の思うままに好きにしなさい? 公衆の面前でみせつけてあげればいいの」
酷く愉しそうに笑うリデラへと、アリアの瞳が僅かに見開かれる。
リデラに言われるまま、シオンが一歩前へと踏み出したのに、セオドアがアリアを背後に庇っていた。
「……セオドア」
「近づくな。今のヤツは普通じゃない」
不安気にかけられるアリアの声に、セオドアは緊張の色を滲ませる。
「でも……」
一歩、二歩、と近づいてくるその姿に。
「……シオン……。……生きて、いるのよね……?」
確かにそこで動いているその姿に、自然、涙が浮かんだ。
「……怪我とか……、大丈夫……?」
「アリアッ」
自分を制止する腕を外して前へと進み出ようとするアリアへ、セオドアの咎めるような声が上がる。
「へいき」
それに、仄かに微笑んで。
「私は、大丈夫だから」
アリアの方からも、シオンの元へと歩み寄る。
「ほぉら、早く。無理矢理奪ってやりなさい」
くすくすと楽しそうに笑うその声がすごく不快だった。
リデラへと攻撃をするべきか、誰もが判断できずにいる中で、アリアだけが迷わずシオンの傍に寄る。
「……シオン……、良かった。無事で」
何処にも傷がないことを確認するかのように腕に触れたアリアの指先に、ぴくりとシオンの身体が反応した。
ふわり、と、慣れた香りが鼻に流れて、安心感から涙が零れた。
「……無理矢理なんかじゃないから」
シオンの顔を見上げてアリアは微笑う。
リデラの支配下に置かれていてさえ、アリアを「欲しい」と思ってくれた。
確かに愛されていることがわかって、嬉しいとさえ思ってしまう。
例え操られているとしても、やっぱりシオンはシオンだから。
「シオンが欲しいなら……、全部あげる」
シオンを、元に戻す為じゃなく。
シオンが、それを望むなら。
「私もそれを望むから」
想も、身体も、全部。
……命さえ。
「……好きにして」
なにも恐くない。
だって、相手はシオンだから。
「シオンになら、なにをされても構わないから」
その胸に耳を傾けなくても、そっと触れているだけで、その鼓動が確かな音を響かせているのがわかる。
いつもと違う、ガラス玉のような瞳だけがとても物悲しいけれど。
それでも、そこに自分の姿が映り込んでいるのがわかって安堵する。
「待たせてごめんなさい」
真っ直ぐシオンの顔を見上げて、アリアはゆっくりと言葉を紡ぐ。
「……シオンが好き」
確かにそう口にしてしまうと気恥ずかしくて。
思わず頬へと熱が籠ってしまう。
「大好きなの」
ぴく、とシオンが反応を返してくれた気がして、アリアは花のような笑みを浮かべる。
「めちゃくちゃにして?」