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……堕ちる。

 声もなく泣いている少女の顔が浮かんだ。

 次から次へと、ただ頬へと涙が伝い落ちていく。

『……シオン……』

 自分を想って泣く姿。

 あの少女は誰にでも心を砕く優しさを持っているから。

 だからきっと、また、酷く心を痛めている。

(……アリア……、泣くな)

 泣かせてやりたい、と本気で思う。

 けれどそれは、自分の腕の中での話。

 一人で泣くことは。

 ましてや、他の誰かの男の腕の中で泣くなんてことは許せない。

『シオン……、お願い……』

 はらはらと零れ落ちていく涙を掬ってやりたくて手を伸ばす。

 けれど。

(すぐに、行くから……)

 伸ばした手は、なにもない虚空を虚しく切っただけ。

『……シオン……』

 止めどない涙を流す少女に、シオンの声も()も届かない。

(アリア……!)

 叫んで。

 手を伸ばして。



「アリア……」

 身体中の。特に手首の痛みに目を覚ました。

「……あら? お目覚め?」

 目を開けてすぐに飛び込んできた、愛しの少女とは似ても似つかない妖艶な女のくすくすとした笑みに不快そうに眉を潜め、シオンは状況を把握すべくすぐに優秀な脳を働かせ始める。

 例え夢の中とはいえ、この女の姿を見ているよりはよっぽどそのまま目を覚まさずにいた方が良かったと、思わず音にならない舌打ちを洩らしてしまう。

「貴方が寝ている間に、すこぉしだけ味見(・・)させて貰っちゃったけど許してね?」

 女からの攻撃を、致命傷だけは避けるように防いだ後、意識を手離したところまでは覚えている。

 黒く細い縄のようなもので、無理矢理立たせられるような格好となって各々(それぞれ)の手首を天井から吊り下げられた己の姿に、シオンは嫌気に眉を寄せる。

「……悪趣味だな」

 先ほどの応戦でかなりの魔力を消費したが、首筋に感じる痛みと残された魔力の感覚から、女の言葉通り、自分が意識を失っている間にかなりの魔力を女に吸われたのであろうことを理解する。

 とても、拘束を破るほどの魔力を発動できるとは思えない。

「女になぶられる趣味はないんだが」

 酷く楽しそうに傷だらけの身体を眺めている女へと、シオンは強気な態度を失うことなく口にする。

「あらぁ? これはこれでとても素敵よぉ?」

「触るな」

 くすくすと妖艶な笑みを溢しながら肌の上へと這わせてくる指先に、シオンは心底不快げに声を上げる。

「一度試してみたら、案外病み付きになるかもよ?」

「余計なお世話だ」

 自分の生命(いのち)を握る女に、媚びるようなことはしない。

 自分一人が取り残された場合、殺される確率はかなり低いと考えたシオンの計算は正しかった。もちろん、殺されなかったからといって、場合によってはどちらがいいのかはわからないのだけれど。

「まぁ、そうね。貴方はどちらかといえばこちら側の人間かも」

 反抗的な態度を改めることのないシオンの物言いに、リデラは特に気分を害した様子もなく肩を竦めて空を仰ぐ。

 この若く瑞々しい肉体が、追い詰められて悦びを覚えるような類いのものではないことくらいわかっている。

 けれど、だからこそ、徹底的に痛め付けてやりたいとも思うのだけれど。

「どうして貴方を殺さなかったかわかる?」

 妖しくその唇を指先で辿りながら、リデラはくすくすと笑みを溢す。

「手駒がないのよね」

 元々リデラは単独行動だ。

「私のものになりなさい?」

 甘くその耳元へと囁きかけ、赤いマニュキアに飾られた指先が、誘うように胸元を滑っていく。

「私を楽しませて頂戴」

 唄うように告げられるその囁きは、甘い誘惑に満ちている。

 まるで、麻薬に侵されるかのような甘美な刺激。

 だが。

「貴方の場合、貴方自身を傷つけるよりあの子(・・・)を痛めつけた方が楽しめそうね」

「やめろ……っ!」

 いいことを思い付いたとばかりに煌めいた瞳に、シオンが瞬時に声を上げれば、女は歓喜に身を震わせていた。

「いいわぁ、その顔。ゾクゾクしちゃう」

「――っ」

 自分のその反応は逆効果だと、シオンは自由の効かない身体でぐっと拳を握り締める。

 なにをする気かは知らないが、少女に危険が及ぶようなことをさせるわけにはいかない。

「……貴方が大切に守ってきたあの子。まだ生娘よね?」

「……なにをする気だ」

 怒りをぶつけることが女を煽ることにしかならないことはわかっても、沸いた憤りを隠せない。

 愛しい少女のことを引き合いに出され、ギリリとシオンの奥歯が噛み締められる。

「私は優しいから、貴方のその望みを叶えてあげるわ」

 くすくすくす、と、嫌に不快な笑みが脳を直接揺さぶって、シオンは爪が食い込み、血が滲むほど強く拳を握り込む。

 ここで、正気を失うわけにはいかない。

 女の罠に、堕ちるわけにはいかなかった。

「……抱かせてあげる」

 とても甘美で優しい誘惑。

 くらり、と。覚えのあるお香の香りが鼻腔をくすぐって、シオンの身体中を侵していく。

 優しいでしょう?と微笑んで。

「あの娘を滅茶苦茶にしてやりなさい」

 なにかの暗示のように、脳へとその囁きが満ちていく。

「犯して、その絶頂の中で殺してやりなさい?」

 もしかしたら、あの少女はそんな絶望さえ全てを綺麗に受け止めてしまうかもしれないけれど。

 それはそれで見物だと、女は酷く愉しそうに真っ赤な唇を歪ませる。

 少女が壊されていく過程もとても素敵だとは思うけれど、それよりも、この強気な男が絶望に己を失う姿を想像するだけで、身が震えるほどの官能が走っていく。

 うっとりと瞳を蕩けさせ、女は美しく甘美な声色で囁きかける。



「貴方のその手で、あの小娘を殺すの」

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