二条の光
赤裸々な気持ちを告げてくる低い声。
恥ずかしげもなく愛の言葉を囁いてくる唇も。
どうしようもない熱を与えてくる綺麗な指先も。
好きかもしれない、と思ったのは少し前。
好きだ。愛してる。って。
もう言ってはくれないの?
待って欲しいと言えば待ってくれた。
もう、待たせることもできないの?
その指先で涙を拭って。
泣くな。もう大丈夫だ。って抱き締めて。
いつの間にか身体に馴染んだその香りに包まれると安心するの。
――ねぇ、どうして。
――今、ここにいてくれないの。
*****
座標もよくわからないままギルバートが外へと繋いだ先は、推測するに異空間への出入口付近。恐らくは、普通の瞬間移動を使うことができない異空間でそこから脱出することができたのは、ギルバートの扱う空間転移が闇属性のものだからだろう。
競り出した崖のような場所に封印の施されたような紋様が見られたが、例えそこから先ほどの場所に戻れたとしても、今、そこへ行くわけにはいかなかった。
「……嫌よ……、いや……。うそ……」
「アリアッ」
呆然と。譫言のような呟きを漏らしているアリアへと、ギルバートは強い声色で声をかける。
「ぃや……、シオン……」
「アリアッ!」
ふるふると力なく首を振る弱々しい肩を掴んで大声を上げても、ギルバートのその声がアリアに届く様子はない。
「いや……」
「しっかりしろ……っ!!」
痛いくらいに肩を揺さぶって、その顔をみつめて叫ぶ。
「……ギル、バート……」
けれど、自分の顔を覗き込んでくる人物のことを認識はしても、その瞳に姿は映らない。
大きな瞳から涙を溢れさせながらも決して大声で泣き出したりはしない少女の姿は、むしろ壊れかけた人形のようで、ギルバートは苛立たしげに大きな舌打ちを響かせていた。
「……あの男がいなくなったならちょうどいい」
耳元へと顔を寄せ、低く少女へ語りかける。
「このままアンタを連れ去って、二人で何処かに逃げようか」
くす、と妖しい笑みを浮かべ、仄暗い感情を言葉に乗せて囁きかければ、みるみると少女の瞳が見開かれていく。
「……アリア」
頬へと手を伸ばし、動けずにいる少女の唇へと顔を寄せる。
吐息が口元へとかかり、唇が重なりそうになったその瞬間。
「……っ!」
――パシン……ッ
と。
頬を叩かれ、ギルバートはニヤリとした笑みを溢していた。
「っ! こんな時になに言って……っ」
「こんな時、だ」
怒りでもなんでもいい。
アリアの意識が自分へ向いたことを確認し、ギルバートは厳しい表情で語りかける。
「少しは正気に返ったか?」
「っ」
自分をみつめる真剣な瞳。
その瞳に射抜かれて、アリアは少しだけ冷静さを取り戻す。
前にも、こんなことがあった。
あれは、目の前でユーリが連れ去られた時。
あの時もシオンが、強引にアリアを呼び戻した。
やっぱり、二人は似ている、と思う。
――シオンに、似ているから?
だから、ギルバートにも時々魅惚れてしまったりするのだろうか。
「……ごめ……」
「泣いてる暇があったら動け」
アリアが取り乱す気持ちはわからなくもない。
ただ、今は、それに寄り添っている暇はないから、ギルバートは焦る気持ちと戦いながら口を開く。
「オレよりよっぽどお前の方が権力があるだろう」
泣くことも、嘆くことも後でできる。
後悔、させない為に。
自分と同じ絶望を味合わせない為に。
「お前が動くのが遅くなればなるほど、アイツに再会できる可能性は低くなるぞ」
動くなら、今。
今より早く動くことなどできないのだから。
「……生存確率は半々だ」
ぐっと強く拳を作り、ギルバートは唇を噛み締める。
あのシオンだって、勝算ゼロで動いたわけではないだろう。
一番可能性が高い選択肢を選んだだけ。
「……まぁ、もっとも、貞操の方は危ないかもしれないけどな……?」
「……な……っ?」
意味ありげなギルバートの苦笑に、アリアは瞬時に顔を赤らめる。
冗談めかして言ってはいるが、アリアにだってそれが理解できないわけじゃない。
リデラはずっと、「美味しそう」と言っていた。
そこに込められた欲望が、単純に「食べたい」わけではないことくらいすぐにわかる。
殺して喰らうことは簡単だが、それはほんの一時腹を満たすだけ。
ヘイスティングズもそうだった。
殺して腹に収めるよりも、生かさず殺さず手元に置いて、飽きるまで貪り尽くす方が有益だ。
「どうする」
シオンを助ける為になにが最善か、とギルバートは問いかける。
「アンタが決めろ」
自分は、それに従うだけ。
「……ギル」
ギルバートの気持ちを正しく受け止めて、アリアは意を決するべく、いつからか癖になっている胸元へと手を置いた。
手を、置いて。
「……嘘……」
いつもと違う感触に、動揺に瞳を揺らめかせる。
「……ない……」
「なにがだ」
今度はなんだと少しだけ苛立たしそうに向けられる問いかけに、アリアは唇を震わせる。
「……ペンダント」
いつからか、服の上からソレに触れるのが癖になっていた。
ソレが自分の居場所をシオンに特定されるものだとわかってからも、不思議と外そうとは思わなかった。
シオンが、自らアリアの首につけてくれた魔法石。
それを、失くした。
どこで落としたのか知らないが、不吉な予感に泣きそうになってくる。
だからといって、泣いて迷っている場合じゃない。
「……リオ様のところに……。王宮に跳んで!」
迷いない瞳をギルバートへ向け、アリアは最善を選択する。
王宮には、リオがいる。
"奇跡の魔力"を持つユーリがいて、"今作"の"主人公"であるシャノンもいる。
アリアには、頼れる存在がこんなにもいるから。
不安に押し潰されそうになる弱い心を叱咤して、アリアは懸命に前だけを見ることにする。
何処かへ消えた魔法石。
それは、まるで、本当にアリアを手離したことを語っているようで。
泣くのは後だと、アリアは必死に零れそうになる涙に耐えていた。
*****
「リオ様……っ!」
「っ! アリア!?」
切羽詰まった様子で現れたアリアに、リオはすぐに状況を把握すべく思考を巡らせた。
「……なにがあったの?」
「……っ」
神妙な顔を向ければ、アリアの顔が泣く直前のように歪む。
取りに行ったはずの宝玉を持ち帰った様子はない。
ルーカスが迎えに行くはずのタイミングとも違う。
どうやらギルバートの空間転移で戻ってきたらしいと推測できたが、シオンの気配を感じられない。
「……シオン……、が……っ!」
なにか話そうとして喉を詰まらせるアリアの泣き出しそうな表情に、すぐさま最悪の事態を想定する。
「……アリア。落ち着いて」
「オレが話す」
こんな時だからこそ冷静でいなければと、優しくアリアの肩に手を伸ばしたリオに向かい、ギルバートが代わりに説明すると名乗り出る。
手短に、けれど的確に状況を語るギルバートは、さすがに頭が回る。
そしてその状況を瞬時に理解したリオは、傍に立つ寡黙な側近へと振り返っていた。
「ルイス。すぐに師団長を呼んで」
畏まりました。と頭を下げたルイスへと、自らはセオドアを連れてくると言って、最短・最善の道を計算する。
「……それから、君はボクの代わりにここに残って。後を頼んだ」
部屋を出る一歩手前。
かけられた真剣な声色に、ルイスは思わず振り返る。
「なにをおっしゃっているんです……!」
自ら最前戦に出向くなどなにを考えているのかと訴える側近に、リオはそれをさらりと流して柔らかな微笑みを浮かべてみせる。
「君以外に頼める人間はいないだろう?」
「だからといって……!」
不在の理由を誤魔化すことも、なにかあった時に迅速に動くことも、普段からリオの近くで仕えるルイス以外に任せられる人材はいないと語る主へと、ルイスは咎めるような声を上げる。
"皇太子"という立場と責務を、もう少し自覚して欲しいと思う。次期国王たるもの、自ら危険地帯に足を踏み入れるものではない。
それでも。
「……ボクは君に命令はしたくないんだ」
お願いできないかな?と向けられる苦笑いに、ルイスは込み上げる感情を飲み込んだ。
元々、自分が傷つくことよりも他人の傷の方に心を痛める性格だ。「我慢している」と語ったその気持ちは本当のことだろう。
「……畏まりました」
不承不承頷いて、ルイスは「後はお任せ下さい」と頭を下げていた。
元よりアリアたちを迎えに行くために身体を空けていたルーカスはすぐに掴まり、瞬間移動を使ったリオがセオドアを連れて戻るまでそう時間はかからなかった。
その間にも、まだ王宮に留まることを余儀なくされていたユーリとシャノンとルークも一体何事かと顔を出し、ギルバートから簡単な説明を受けた後はアリアへと心配そうな瞳を向けていた。
「大丈夫だ」
「……ユー、リ」
どうしてこうも、ユーリの言葉は力強いのだろう。
それだけで本当に大丈夫な気持ちになって、アリアは消えてしまったペンダントのあった胸元部分をぎゅっと握り締める。
「あのシオンが、アリアを他の男に渡すわけないだろ?」
くすっ、と笑うユーリの台詞は恥ずかしすぎるものだけれど、それと同時に、嬉しい、とも思ってしまう。
本当に。それだけの為に。無事でいてくれたらいい。
「……俺も行く」
「シャノン」
一歩前へと進み出たシャノンから、決意の込められた瞳を向けられて、アリアは一瞬戸惑いの色を浮かばせる。
シャノンは"今作の主人公"だけれど、そこに本来魔族は登場していない。申し訳ないとは思うけれど、単純な魔法力だけを考えた時にはあまり役には立てないだろう。
それでも。
「場所がわからないなら、残留思念を追跡する道案内人は必要だろ?」
シャノンが"主人公"たる最大の所以。他の誰も持ち得ないその能力が、アリアたちをシオンの元へと確実に導いてくれる。
「アンタが好きな男の元に、最短で連れてってやるよ」
例えそれで自分の許容力を超えてしまっても、最大の追跡能力をしてみせると告げるシャノンに、アリアは瞳を揺らめかせる。
「…………好、き……?」
馴染みのないその言葉を、確認するかのように反芻してから飲み込んだ。
その単語の二文字が、妙にアリアの鼓動を早くする。
「違うのかよ」
自分に向けてひそめられたシャノンの表情。
――……好、き……?
その言葉の意味を何度も頭の中で考えて、ぐるぐるとそれだけが思考の波となって渦巻いた。
「…………ううん」
頭が答えを出すより前に緩く首を振り、言の葉が紡がれる。
「……好き、なの……」
言葉として口にしてしまえば、すんなりとその感情は胸に落ちた。
あぁ、そんなんだ。と、素直に認める自分がいる。
「……シオンのことが、好き」
告げた途端、じんわりとした感情が胸を満たして瞳へと涙が滲んだ。
「……会いたい」
会いたい。
声が聞きたい。
抱き締めて欲しい。
「それ、本人に言ってやれよ。瀕死の状態でも全回復するから」
「っ!」
顔を覆って震えるその華奢な肩を優しく叩いて笑ったユーリに、一気に涙が引っ込んだ。
ユーリの笑顔につられるように口許が緩く笑ってしまう。
「待たせた分、覚悟しといた方がいいぞー?」
「! ユ、ユーリ……!」
カラカラ笑うユーリに、不安が何処かへ消えていく。
生きてさえ、いてくれれば。
――迎えに、行くから。
「取り戻しに行こう」
自分へと差し伸べられる、"主人公"二人の手を取った。
――今までと変わらぬ日常を。