優しさに溢れて 3
静まり返った部屋の中で、唯一ユーリ一人だけが、悩むように頭上を見上げ、「う~ん……」と苦悩するかのように眉間へと皺を寄せて右へ左へと視線を投げる。
恐らくは、すぐにでも抱き締めたいとでも思っていそうなシオンに、よく我慢しているなと変な感心をしながらも、アリアをじっとみつめているシャノンの横顔を観察する。
そうしてユーリは悩んだ末に、シャノンのその背中をバシッ!と叩いてやっていた。
「!?」
衝撃に驚くシャノンに、顎だけで、くいっ、と少女の傍に行くように伝える。そんなユーリに顔をしかめたシオンには、自らその隣へ足を運んで悪戯っぽい瞳を向けて笑ってみせる。
とりあえず今は譲ってやれよ。と、くすりと苦笑を洩らして。
「……シャノン」
傍に立った気配に、アリアはゆっくりと顔を向ける。
「……アンタはホント、馬鹿だよなぁ……」
そう苦笑するシャノンの瞳は優しかった。
「まぁそれは、お互い様か」
自分だって、怖がって能力を使わないでいた。
もっと早くにこの少女からのSOSを察してやれていたらと後悔はするけれど、他人の心を視ることへの勇気をくれたのは他でもない目の前の少女だから、それはもうどうしようもない。
今だって、勝手に他人の心を踏みにじるようなことはしたくないと思っている。
ただ、この能力が誰かを助けられるなら。
「……あの……、私……」
自分の気持ちをどう言葉にしたらいいのかわからずに戸惑うアリアへと、シャノンは仕方ないなと微笑った。
「知ってるよ。アンタ自身が気づいていなくても、俺にはわかるから」
本当は隠された心の底で全て話してしまいたいと思っていたこと。
でも、それができなくて苦しんでいたこと。
だから自分は無理矢理暴くことを決めてしまった。
――なぜなら、本当は。アリア本人がそれを望んでいたのだから。
「これで良かったんだろ?」
確信を持って問われた確認に、大きな瞳に留まり切れなくなった涙が一雫だけ零れ落ちた。
「アンタが救われるなら、俺はいくらでもこの能力を使ってやる」
「シャノン……」
本当は、苦しくて。
早く、暴いて欲しかった。
楽に、なりたかった。
だから。
「……ありがとう」
シャノンへと綺麗な微笑みを返した少女をみつめ、シオンは少しだけ苦々しい思いをしながら隣に立つ友人の顔を見下ろした。
「……お前は本当に、よくわかっているな」
「ん?」
なにがだよ?と、見上げられる大きな瞳は、当たり前すぎてなにを問われているのかわからないくらい無垢で透明な色をしていた。
「アイツを、一番的確に救う方法を、だ」
シオンがどんなに迫っても、アリアは内に秘めた想いを口にしたりしないだろう。否、誰を相手にしても、心に秘めると決めてしまったことを引き出させることはできないのかもしれない。
けれど、それをわかった上で。
アリアに自白させるわけでもなく、そのままのアリアを救い上げる方法を、この友人はよくわかっている。
「……そりゃまぁな? それがオレの役目だと思ってるし?」
あっけらかん、と笑うユーリは、それがどれだけ凄いことなのかをわかっていない。
本当に、全てを任せてしたいたくなるほどに。
「なに? 譲ってくれる気になった?」
ふふん、と偉そうな態度で鼻を高くする友人へと、いくらユーリ相手でも「そんなわけはないだろう」と言おうとして。
「……そうやって時々けしかけてくるのも全て計算か?」
ふと、これさえわざとなのだろうかという思いが湧く。
少女を絶対に離すな、と。
それは、ユーリからのそんな警告。
それにユーリはニヤリと笑い、意味深に輝く瞳をシオンへ向ける。
「いや? 半分は本気だけど?」
あくまで半分だけ。
残り半分はきちんとシオンの味方だ。
「……それじゃあ、どうしようか」
他にも聞いておくべきことはあるように思われるが、告げられた真実を前にして、リオは困ったように微笑っていた。
やるべきことは決まっている。
皇太子として。
そこに賭ける価値はあると思っている。
みんなを救う為にできること。
「まずは議会の招集だね」
このタイミングで怪盗団の正体を暴いてくれた有能な側近には、本当に感謝するしかない。
もし、全て終わってから告白されたら、その罪を糾弾しなければならなかった。
今、露見してよかった。
今ならばまだ、自分の動き次第で全て取り返すことができるから。
「……リオ、様……」
不安そうに向けられる少女の瞳に、リオはくすりと笑みを溢した。
「これでもね? 皇太子として、僕は優秀な方なんだよ?」
そんなことは知っている。
でも……。
「……リオ様」
一体なにをする気ですかと向けられる、側近からの咎めるような視線に、リオは一瞬にして顔を引き締めるとはっきりと宣言してみせる。
「皇太子の立場を賭けても、"国"を動かしてみせる」
「それは……!」
それは、アリアが最も恐れていたことだ。
けれど、「なりませんっ」と反対の色をみせるルイスへと、リオはくすりと苦笑を溢していた。
「ルイス。君までボクが信じられない?」
「……っ。いえ、そんなことは……」
この偉大な皇太子を疑うなどと、出過ぎた真似だと恐縮するルイスににこりと笑い、リオはとってはおきの切り札を口にする。
「公爵家は全家、ボクが皇太子でいてくれないと困るんだ。そうだろう?」
国のトップは、一に国王、二に王妃、三に五大公爵家。
次いでそれなりの権力を認められているのが皇太子だ。
そしてその内の五大公爵家は、皇太子の婚約者を娘に持つアーエール家を筆頭に、リオが将来国王になることを望んでいる。
国王とて、絶大な光の魔力を持つ皇太子を頼り切っている以上、その影響力を無視できない。
「ならば、全力でボクを守るしかない」
その立場を逆手に取って、逆に協力させてみせると、リオは今までにない策略家な面を浮かばせる。
「……そんな、随分と荒業を……」
普段の温厚なリオからは想像もできない強気な発言に、この人にはこんな大胆な顔もあったのかと、ルイスは僅かな動揺を隠せない。
――それはきっと、全て彼女を守る為。
「そう? ボクは案外ボクらしいとも思うけど?」
今までが少し我慢しすぎていたくらいだと悪戯っぽい色を瞳に乗せて、そのままの笑顔をアリアへと向ける。
「だからね? アリア」
気のせいか、その声色にはほんの少しだけ黒さが滲む。
「今度こんなことをしたら……」
さらりとアリアの長い髪を掬い、その顔をしっかりと覗き込んで口を開く。
「その時は、皇太子命令で婚姻誓約書にサインして貰うよ?」
「…………え……?」
一体今自分はなにを言われたのだろうと、とても理解が追い付かずに時を止めるアリアに満足気な笑みを溢し、リオは次にシオンの方へと視線を投げる。
「いいかな?」
それは、シオンへの問いかけ。
同意を求めてくるリオへとほんの僅かに目を見張り、それからシオンはくすりと愉しげな笑みを口元へと刻んでいた。
「皇太子命令ともなれば、その時は責任持って籠の鳥にしてやろう」
「……な……っ?」
ここに来て、なんとなくその意味を察したアリアは、リオとシオンの二人の約束事に驚きの余り絶句する。
リオの言う"婚姻誓約書"とは、他でもない"アリアとシオン"の。
戸籍制度などのないこの世界は、誓約書にサインをした正本を教会へと提出し、副本を自分達が所持することによって正式な婚姻が成立する。
「……アリア」
不敵に笑うシオンの意味深な瞳に、ぎくりと肩が強張った。
「あと一回だけならば、なにをしても許してやる」
むしろ、やらかしてくれて構わない。とさえ続けられそうな低い声色に、声にならないひきつった悲鳴が喉の奥を響かせた。
「その後は、今が昼か夜か、今日が何日なのかもわからない生活をさせてやる」
「――っ!」
あまりにも恐ろしいことを平然と口にするシオンへと、アリアの瞳が大きく見開かれる。
そんなこと、とてもではないけれど許容できるはずがない。
「冗談じゃ……っ」
「それが嫌ならもう次はないからな?」
「……っ」
愉しそうな笑みに口元を歪ませながらも、決してアリアを赦しはしないシオンの宣言に、アリアは反論の言葉を持つことができなかった。