優しさに溢れて 2
もはやその対象は人間ですらなく、一つの大きな世界。
絵空事にも近いその願い事に、室内へと沈黙が落ちた。
「……"妖、精界"……?」
「その存在を、信じますか?」
仮にも相手は王族――、しかも皇太子だ。
きちんと礼節を持ちながらも、シャノンは真っ直ぐな瞳を周りへ向ける。
「夢物語のそんな世界を。滅亡しそうだから救いたいと言って、きちんと耳を傾けて貰えますか?」
そんな突飛のない話を、どれだけの人間が信じるのか。
もし、そんなことを願ったのがアリアでなければ、恐らくシャノンだって信じない。
なにを迷い事を、と。頭がおかしいのではないかとすら思うかもしれない。
「異世界への扉を開く為に、五つの宝玉が必要だと言って、皇太子である貴方は、公爵家へそれを献上しろと説得できますか?」
誰も宝玉を揃えた先になにがあるのかなんて知らない。それを、どうして一公爵令嬢でしかない少女が知り得ると思えるのか。
そんな突飛のない話をして、公爵家がそれに応じてくれるのか。
"家宝"だと受け継がれ、代々ずっと秘匿して守ってきた宝玉を渡せなど。
「無理矢理権力を行使して集めたとして、自分達とは関係ないそんな世界の為に、力を貸せと言って納得して貰えますか?」
この世界と妖精界とは姉妹世界のようなものだという伝承は残されているが、それは定かではない。
お互いに及ぼす影響すらわからぬ中、危険を犯してまで見知らぬ世界を守る価値があるのか。
どのようにして滅びかけているのかはわからないが、それを救うために危険がないはずもない。
「もし万が一、失敗でもしたら、貴方はその地位を追われることになったりしないですか?」
少しでもそこに綻びがあれば、責任を取らされることは間違いない。
そこにはデメリットを見出せてもメリットなど見つからない。
「……全部、自分の為なんかじゃない。コイツがそういうヤツだってことは、きっと俺より付き合いの長い貴方たちの方が知ってますよね?」
今更自分などが主張しなくても、ここにいる彼らが少女を誰よりも大切に思っていることがわかる。
知り合ってそう長くはない自分がそう思えるのだ。彼らにとっては今更過ぎるだろう。
「万が一の時は、自分一人が咎を受ければいいと思って」
他のモノ全部を守る為。
最悪の場合は、自分一人が犠牲になればいいと思って。
わかっていない、と言ってやりたい。
もっと簡単な方法があることを。
全部諦めなくて済む方法。
もっと周りを頼って巻き込んで。
迷惑をかけて欲しい、とみんなが望んでいる。
「……他にもコイツが隠してることは山ほどあるけど」
ギルバートのこと。化け猫の正体。他にも問題は山積みではあるけれど。
「とりあえず、この真実を聞いて、貴方はコイツを断罪せずに済む方法を見つけられますか?」
結果的に、今、ここには、将来の国のトップたちが集まっている。現状抱えた問題を解決できるとしたら、彼らしかいない。
一子爵家の子息でしかないシャノンに、政治の世界などわからない。
けれど、できる、と言って欲しい。
救われなければおかしいと思う。
なにかを救おうとする行為が断罪されるなど、そんな理不尽な世界であって堪るかと思う。
「……"妖、精界"……」
突然降って沸いた突飛もない話に、リオはその言葉を驚きと共に反芻した。
それからややあって。
「……アリア」
身を固くして自分へ向けられる言葉を待つ少女の方へと向き直る。
「……本当に?」
俯き、ぐっと握られた手が一瞬震えたのに、それが答えなのだと悟る。
「……」
返される沈黙。
――『……リオ様は……、妖精の存在を信じますか?』
妖精の姿を思い描いて微笑んだ少女の瞳は、今思えばその存在を知っているかのようだった。
「……在っても、不思議じゃない」
リオの口から、独白のような言葉が洩れる。
王家に残されている伝承を思い起こせば、それはただの夢物語とするには随分と緻密な資料のように思う。
ただ。
「それを、国として認めさせるとなると……」
本当にそんな別世界が存在していたとして。
けれど、もはや"妖精界"などという世界は、夢物語でありお伽噺だ。
シャノンの言うように、あることもわからないそんな不確かなものに対して、"国"は動けない。
それでも。
「……アリア。ちゃんと答えて」
なぜ、そんな誰も知らない世界をこの少女が知っていて。
そこへと繋がる扉の出現方法を知っていて。
しかも、接したこともないその世界が滅びかけている、などと。
そんな問いかけを口にするには、今更すぎて。
リオは、今だ俯くアリアへと真っ直ぐな瞳を向ける。
「……"妖精界"、は、あるんだね?」
そんな幻の世界。
ある、という確信しかリオにはない。
「しかも、それが滅亡の危機にある、と」
それを知って、少女が動かないわけはない。
可愛らしい妖精から助けを求められて、手を差し伸べないわけがない。
「……アリア?」
「……リオ、様…………」
不安に揺れる双眸がリオを見上げた。
なにか言おうと開きかけた唇が、迷うように小さく動いたものの、言葉が紡がれることはなく。
きゅっ、と引き結ばれた唇。
握り締められた手。
「……アリア!」
不意にその名を呼んだ人物――、ユーリへと、びくりとアリアは反応した。
反応し、目が合うと、そこに込められた気持ちに気づいて再び瞳の奥が揺らめいた。それから、その隣に立つシャノンへも顔を向けて――。
叱咤するように自分をみつめてくるシャノンの瞳に、こくりと小さな息を呑む。
――"主人公"二人に求められてしまえば、逆らえない。
そうして。
……こくん、と。
やっとのことで首を縦に振ったアリアの肯定に、リオはアリアの目の前まで足を運んでいた。
「アリア……」
――パチ……ッ、
と。
軽い音の後に頬へと感じた仄かな痛みに、アリアは大きく目を見張る。
「……リオ……、さま……?」
「……アリア」
ごめんね?痛かった?と静かに洩らされる微笑に、リオに頬を叩かれたのだと理解する。
もちろんそれはとても軽いもので、ほとんどなかった痛みも、もはや消えてしまっているようなレベルのものだけれど。
けれど、目の前の心優しい従兄がまさかそんなことをするとは信じられなくて、アリアは呆然としてしまう。
そして、それだけのことを自分がしたのだということを今更ながらに理解して、瞳へと涙が浮かんだ。
「……君は、ボクが……、ボクたちのことが信じられないのかい?」
例え国の上層部たちが。他の大人たちが誰一人として信じられない絵空事だろうとも。
リオはもちろん、ここにいる誰もが欠片足りともアリアの言葉を疑わないだろう。
迷惑がかかるから、などど。
少女らしいと言ってしまえばそれまでだけれど、もっと頼って欲しいと思う。
迷惑をかけて潰れてしまうほど弱いと思われているとしたら、それはとても悲しいことだ。
こんな細い肩に全ての荷を負わせて平気でいられるはずがない。
自分たちがそんなことで潰れないほど強いことを信じて頼って欲しい。
「……ごめんなさい……」
震える唇で、なんとかそれだけを口にした。
それは、心からの謝罪。
信じられないのか、と聞かれて身体が震えた。
信じられない、なんてことがあるはずがない。
ただ、怖くて。
"ゲーム"の記憶を口にしてしまうことが恐ろしい。
この世界に自分は異質な存在だと思う。
あまり"運命"に逆らい続けると、排除されてしまいそうで。
それが、怖くて堪らない。
話さない、という選択肢を選んでいることこそ、アリアの身勝手に他ならない。
だって。
みんなが、好きで。
傍にいたい。離れたくないと思ってしまうから。
じんわりと瞳に涙が滲んで、本当は全てを話してしまいたかった自分がいることに気づかされる。
"ゲーム"の流れだとか"強制力"だとか言い訳をして、"ゲーム"の運命に誰よりも囚われていたのはアリアだ。
雁字搦めに縛られて。身動きが取れなくなって。
本当は。最初から全てを話してしまいたかった。
一人で全てを背負い切れるほどアリアは強くはない。
――『……視んでいいわよ?』
――『……アンタの荷物、少し寄越せ』
本当は。
辛かった。苦しかった。
誰かに縋って泣いてしまいたかった。
――シャノンに。救いを求めていたのは自分の方だ。
シャノンであれば、全てわかってしまうから。