優しさに溢れて 1
目を覚ますと、そこは見たことのある王宮の来賓室だった。
ベッドに寝かされていたアリアの横には、なぜかゆったりと椅子に腰をかけて読書をしているシオンがいて、その姿を認めた瞬間、アリアは先ほど自分が晒した羞態を思い出して火を吹いた。
シオンのことが好きかもしれない、と思ってしまえば、その恥ずかしさは一入だった。
「!」
けれど、アリアと目を合わせたシオンは顔色一つ変えることなく、こちらの様子が見えないように立てられていた衝立ての向こうへと無言で視線を投げる。
それにアリアはもぞもぞと起き上がり、誰かの気配がするそちらの方へと歩き出す。パタリと本を閉じたシオンがその後に続いて、そこに居た人物へと、アリアはぎくりと足を止めていた。
「起きたんだね」
「……リオ……、様……」
覚悟をしていたとはいえ、実際にその柔らかな微笑みを前にしてしまうと罪悪感で胸が痛む。
自分を責めていいはずなのに、いつもと変わらない優しい空気に、泣き出しそうになってしまう。
「彼だったらちゃんと別室にいるよ?」
まぁ、さすがに一緒には無理だし、閉じ込めさせて貰ってるけど。と、アリアの心配事さえ先に払拭させて、リオは言葉を続ける。
「君たちが捕まったことは、まだボクたち以外は知らないから」
だから安心していいと気遣われ、どう言葉を返していいのかわからない。
少なくともZEROが確保されたという情報がまだ外にまで出ていないことに胸を撫で下ろし、アリアは視線を彷徨わせながらリオへと口を開いていた。
「……あの……、リオ様……」
とはいえ、なにを話したらいいのかはわからない。
(どうしたら……っ)
リオには全て告白しようと思っていたけど、それは全て終わってからのつもりだった。こんな中途半端な場面ではない。
「……申し訳、ありません……」
アリアの平凡な頭ではこんな短時間で考えが纏まるはずもなく、滑り出た言葉は、ただの謝罪だけだった。
「……」
しばしの沈黙があって、リオが何処か哀しげな瞳をアリアに向ける。
「……話してはくれないのかな?」
「……あ、あの……」
「理由があるんだろう?」
欠片足りともアリアを疑うことのない優しい双眸に、どうしたらいいのかわからない。
そうしてアリアが返す言葉に迷っている間にも、ルイスが外から誰かに呼ばれ、その場から姿を消していた。
「……リオ、様……」
その、綺麗な瞳を裏切れない。
アリアがしようとしていることを全て話したら。
きっと、この優しい従兄は、迷うことなくアリアの味方をしてくれる。
リオだって、知ってしまえば、助けを求めて伸ばされている手を見捨てたりなんてできないだろう。
それはきっと、せっかく手にした皇太子の立場を危うくしてまでも……。
「ここまできて秘密事?」
それはちょっと寂しいね。と、責めるでもなく静かに微笑まれてしまえば、全てを話したくなってしまう。
(どう、したら……)
ZEROは捕らえられてしまった。シャノンたちの存在をシオンは話していないようだけれど、もはやシャノンたちも動くことは不可能だろう。
例えシオンが話さなくても、"仲間"の正体に辿り着くのも時間の問題だけでしかない。
それに、不安要素は他にもある。
(アルカナ、は……)
こうなると、アルカナは単独でアクア家から宝玉を奪いに動くのか、それとも、ZEROを助け出しに動くのか。
少なくとも、宝玉へと続く扉の封印を解除することは、魔に属するアルカナにはできないはずだ。
どちらにしても、宝玉はなんとしても集めなければならない。
極端な話、集めるのは誰でも構わない。妖精界への扉を開き、救いの手を差し伸べられるなら。
と……。
不意に扉の向こうが騒がしくなり、絨毯へとパタパタとした走る音が吸い込まれているような、王宮内らしくない軽い足音が耳に届く。
バタン……ッ!と。ノックもなく開かれた扉。
それに、アリアの横でさすがのシオンも顔をしかめたものの、無言で室内へと飛び込んできた人物へと顔を向けていた。
「アリア……!」
「ユ、ユーリ!?」
なんとなくそんな予感はしていたものの、本来ここに居るはずのない人物の姿に、アリアは大きく目を見張る。
それに……。
「シャノン……」
こちらも多少は息を切らしてはいるものの、ユーリとは違って落ち着いた様子でその後から姿を現したシャノンと。
「ルークまで……」
ユーリは相変わらずだなぁ。と、全く緊張感なく笑うルークまでいて、アリアは動揺に瞳を揺らめかせる。
「……どうしてここに」
アリアが捕まったことをユーリとルークは知らない。一方、シャノンは察することはできるかもしれないが、だからといってなにかできることがあるわけではない……、はずだ。
シャノンはユーリとは一度顔を合わせた程度の顔見知りレベルで交流はない。ルークのことなどもちろん知らない。
それが、なぜ。この面子でこの場に現れるのか。
「……俺は、アンタたち全員を助けに来た」
強い意志の籠った瞳をアリアへ向け、シャノンはきっぱりと宣言した。
――全員を助ける、とはどういう意味か。
「……きっと、誰もアンタを断罪することを望んでない」
少女を、犯罪者などにさせたりはしない。
そして、恐らく、少女の周りにいる人間たちも、誰一人彼女を犯罪者にさせたくないだろう。
それを、叶える方法があるとしたならば。
「だったら、俺にできることは一つだけだ」
公爵家から秘宝を盗み出したことが罪に問われないかと言えば、それはもちろん大罪だろう。
その大罪を帳消しにする権力をシャノンは持ち合わせていない。
ただ、そこに導くための道筋を作ってやることくらいならばできるかもしれないから。
「アンタが話せないのなら、俺が代わりに全部話してやる」
「シャノン……ッ」
全部知ってしまえば、逆に可笑しくて笑えてきた。
なにをそんなに難しく考えているのだろうと。
最も、自分の価値を全くわかっていない少女にそれを言ったところで理解して貰えるとも思えないけれど。
咎めるようなアリアの声に、シャノンは恨めし気な目を向ける。
「なんだよ、『後はお願い』って」
散々人を巻き込んでおいて。
自分はさっさと舞台から降りるのか。
そんなことは、許さない。
「……アンタは勝手すぎる。だったら俺だって勝手にする」
視みたければ視んでいいと言った。
ならばこんな時にそれを利用させて貰わなくてどうするのか。
「……君は……、アリアの事情を知ってるの?」
アリアとシャノンの不可思議な会話に、初対面であるリオの瞳に戸惑いの色が浮かぶ。
そんなリオの顔をみつめ、シャノンは対峙した人物へと確認するかのように口を開いていた。
「……リオ様……、ですか?」
皇太子の容姿などは常識レベルで耳に入ってくる。それでも実物を知らないシャノンが初対面のその人を「リオ様」だと思ったのにはもちろん理由がある。
自分より遥かに身分の高い皇太子にも臆することなく、シャノンは思い出すように目を閉じた。
「『リオ様に迷惑がかかる。皇太子としての立場を危険に晒させるわけにはいかない』……ずっとそんなことを思ってた」
それから目を開け、今度はチラリとシオンへと視線を投げる。
「……『シオンを巻き込めない。シオンに全てを棄てさせたりできない。婚約者の自分が犯罪者になったら、ウェントゥス家の名前に傷がつく』……だから、離れようとしてた」
自分の想いを綺麗に暴かれて、アリアの肩がびくりと恐れを抱くように小さく震えた。
「どっちにしろこうやって迷惑かけてんだから、始めから全部話せば良かったんだ」
「シャノン……ッ!」
きっぱりと言い切ってみせるシャノンへと、泣きそうなアリアの制止の声が上がったが、シャノンはその告白を止めるつもりはない。
知ってしまえば、こんなにも簡単だ。
なにをそんなに難しいことを考えているのか。
最初から全てを話していれば。
どこに問題があるというのか。
かける迷惑の大きさが違うだけで、どちらにしたって迷惑をかけるなら。
いっそ、思い切り迷惑をかけてしまえばいい。
――誰一人として、それを重荷だと思う者などいないから。
「……君、は……」
「俺は精神感応者です。恐らく、彼女に関して大体のことは把握できていると思います」
自分へと引き継ごうとした少女の願い。
ぎくりと少女の肩が強張る様子には見ないふりをする。
"精神感応者"という単語に全員が疑心暗鬼の目を向ける中、そんなことには構わずシャノンは口を開く。
「コイツが救いたいと思っているもの」
「シャノン……ッ!」
ダメだと首を振った少女の金色の長い髪が、緩やかに宙を舞ったけれど。
「今にも滅亡しそうな"妖精界"」