怪盗 vs 婚約者
力ずくで扉が開け放たれた音がして、一瞬舞った風の勢いが治まったその後には。
「シ、オン……ッ!?」
「な……っ!?」
いつもの無表情ながらも息を切らせた様子のシオンがいて、アリアは驚愕に目を見張っていた。
「……な、んで……」
ここが何処だかはアリアも知らないが、逃げることを考えていたギルバートのことだ。王都近くでないことは確かだろう。
リオやルーカスの瞬間移動を思えば距離など関係ない問題だが、それにしてはアリアの元に直接ではなく、走ってきたようにシオンは僅かに呼吸を荒くしている。
もしかしたらこの近くまではルーカスの瞬間移動で転移してきたのだろうかとも思ったが、それならばなぜ直接ではないのだろう。
すっかり忘れてしまっていたが、そもそもアリアが逃げても無駄だと思ったのは、リオやルーカスが直接アリアの元へ来ることが可能だからだ。
「……闇の結界とは厄介だな」
部屋の中央。愛しの少女が半分以上肌を晒しながら男の下で寝転がされてる様を捉え、シオンはギリッと奥歯を噛み締める。
どうしてルイスでもルーカスでもなく、シオンがこんなところに姿を現すのだろうというアリアの疑問は、とても答えが返ってくるものではないだろう。
けれど、ギルバートはシオンのその言葉の意味を理解したのか、ちっ、と小さな舌打ちを洩らした後、身を起こしてアリアの顔を見下ろした。
「……そういや、前も思ったけど、アンタ、婚約者に居場所を悟られる探知機的なモノ持ってないか?」
アリアと会った最初の事件。ジゼルとの人間違いでアリアが何処かへ姿を消した際、シオンは少女の居場所を的確に把握していた。
その時それを不思議に思ったのだと、今さらながらに思い出す。
「……え?」
自分の居場所が把握されているという自覚がなかったのか、ギルバートの問いかけに驚いたように瞳を瞬かせたアリアは、けれど一瞬の後になにかを思ったらしく、みるみる瞳を大きくする。
(……ま、さか……)
恐る恐る落とされた視線の先。胸元で輝く魔石に、アリアは僅かに身を震わせる。
「……う、そ……?」
シオンに贈られてからというもの、よほどのことがない限り、肌身離さず身に付けていた、魔力の込められた不思議な輝石。
それに、そんな付加価値がついていたなどと。
「コレ、か……。やられたな」
シオンの少女への本気の執着心に舌を巻き、ギルバートは小さく舌打ちする。
「ギ……、ギルバート……、ごめんなさ……」
「アンタのせいじゃない」
自分のせいで居場所が悟られてしまったと動揺に瞳を揺らめかせるアリアへと、ギルバートははっきりと否定する。
そしてそんな二人の遣り取りを眺め遣り、シオンはアリアとギルバートの元へと歩み寄ると、愛しの少女の元から男を引き剥がし、その頬へと握り締めた拳を思い切り打ち込んでいた。
「――ッ!!」
衝撃にギルバートの身体がよろめいて、変装用の眼鏡が飛んだ。
「……ギルバート。やっぱりお前か」
「!」
忌々しげに呟いて、けれど優先順位は別だとばかりに、シオンは室内にあった膝掛けのような布地を手にしてそれをアリアの肩からかけてやる。
「……やっぱり、って……」
「確信はなかったがな」
動揺に揺れる瞳に見上げられ、シオンは苛立たしげに吐き捨てる。
ZEROの正体がギルバートだ、などと、二、三度会ったくらいでさすがのシオンもわかるはずがない。
ただ、今回の怪盗劇の真相を聞いた時、ふいに浮かんだ関係図。
妙に自分へと挑発的な態度を見せていたZEROとギルバート。もし、その二人が同一人物だったとしたら、と……。
「……とすると、残るメンバーはシャノンとアラスター。……それに、ノアも、か……?」
「……っ」
有能すぎるシオンのその疑問符に、ぎくりとアリアの肩が強張った。
これでは、他のメンバーへと追撃の手が伸ばされるのも時間の問題だ。
けれど。
「男の嫉妬は怖いねぇ……」
血の滲んだ唇の端を拭い、ギルバートが挑発的な笑みを浮かべてみせる。
独占欲にまみれた男が、愛しの少女に手を出されかけ、それを許せるはずもない。
だが。
「オレが許せないのはそこじゃない」
先ほどその頬を殴り付けた拳を握り込み、シオンは殺意さえ滲ませた鋭い視線をギルバートへと向ける。
「お前の目的は知らないが、コイツは興味本意でこんなことをするようなヤツじゃない」
アリアが今回の事件の犯人の一人だと聞かされた時、確かに驚きはしたものの、それと同時に妙に納得する自分もいた。
この少女であれば、なにか大きな理由を抱え、そんな行動を取ったとしても不思議ではない。
――きっとまた、"なにか"を救う為に、一人で抱え込んでいる。
ここ最近のアリアからは、そんな危うさが滲み出ていたから。
「……コイツを巻き込むなら最後まできちんと守れ」
シオンが怒りを感じるのはそこだった。
アリア一人を置いて逃げたと聞いた。
例え、その後助け出しに来たのだとしても。
例え、一度退くというその判断の方が正しいものだったのだとしても。
「コイツを犠牲にするのは許さない」
もし自分ならば、例え一瞬でも傍を離れたりしない。
許せないのはそこだとギルバートを睨み付け、シオンは少女の肩を抱き寄せていた。
「アリア」
ふわりとシオンの匂いに包まれて、アリアは瞳を不安定に揺らめかせる。
「……シ、オン……」
憤りを隠せないシオンの感情が空気を通して伝わってくる。
それなのに、なぜだか酷く泣き出したい心地にさせられて。
とても、安心してしまうことに動揺する。
「……あの……、その……」
シオンが自分を連れ戻す為に追ってきたことはわかっている。
その意味は、恐らくルイスの見解と異なるものかもしれないことも。
だからこそ、もう、自分のことは見捨てて貰わなければ。
「……私のことは……、もう……っ」
「お前は本当にわかってないな」
アリアの言いたいことを察したのか、その先の言葉を制して、シオンはなぜかくすりと笑った。
さらりと髪の先を掬ってくる指先と、頬を撫でる掌がくすぐったい。
なにかの決意を滲ませて、今にも泣き出しそうに瞳を揺らすアリアの姿に、ギルバートが身体の横で作った拳を握り込む。
「……椿姫が、なんで男の元を去ったか知ってるか?」
アリアも母親と観たというオペラの悲劇のヒロイン。優秀なこの男であればその物語も知っているだろうとギルバートは唇を噛み締める。
「……男に、自分のために全てを棄てさせたくなかったからだよ」
男が、本気で自分を愛してくれていることを知っていたから。
自分の為であれば、なにもかも、全て棄ててしまえることを知っていたから。
だから、そんなことはさせられないと。
一人、姿を眩ませた。
きっと、この少女も。
「……架空のそんな女とコイツを一緒にするな」
だが、シオンは益々強くアリアの肩を抱き込むと、不快そうに眉を寄せる。
「コイツは、相手が誰でもそうするヤツだ」
だから、ほんの一時でも目が離せなくなる。
相手が、自分だからじゃない。
特別な存在だから、という理由じゃない。
それが、誰だとしても、この少女は救いの手を差し出すことを止めないから。
だから。
「お前だって知ってるだろう」
こうしてギルバートにも手を伸ばしたのだろうと、シオンは本気で嫌そうに顔を歪ませる。
他人を助けることを止めろ、と、そう咎められたらどんなに楽か。
この腕の中に閉じ込めて、周りなどなにも見えないようにその目を塞ぐことができたなら。
けれど自分は、そんな少女だからこそ惹かれ、愛してしまったのだと思えば、そこは諦めるより他はない。
その羽根を捥いで飛べなくしてしまったら、きっと生きてはいけないから。
「……そう、だな……」
当たり前のように差し出される手に、自分が特別なわけではないと言われた気がして、ギルバートは視線を落とす。
初めて少女と出逢った時から、自分だって彼女を見てきた。
いつだって、誰かの為に手を差し伸べてきた少女の姿を。
だからこそ、シャノンは少女の為に自分の元へと足を運び、その荷を一緒に背負いたいと言ったのだ。
……長くなってしまったので一度切らせて頂きますm(_ _)m