"怪盗"
申し訳ありません…。投稿予約日を間違えました…。
空間転移で移動した先は、ギルバートの家でもジャレッドの事務所でもなく、アリアが今まで一度も訪れたことのない、街中からその賑わいが聞こえてくるホテルの一室だった。
「どぉ、して……」
この世界にもいわゆる"ホテル"というものは存在している。ここがどこだかはわからないが、恐らくは中流クラスのグレードだろう室内を見回して、アリアはギルバートへと泣きそうになった瞳を向けていた。
「……こんな、こと……」
アリアを連れ戻すなど、ただ危険が増すだけだ。
アクア家の秘宝を手に入れるならば、今を置いて他はないと、確かにそうシャノンにも伝えたはずなのに。
「……オレは怪盗だからな」
その手がさらりと長い髪を掬い、アリアの顔を上向かせる。
「アンタを奪いに来た」
「……ZE、RO……?」
真剣なその瞳に、アリアの顔へと戸惑いの色が浮かぶ。
確かにギルバートは自称"怪盗"で、怪盗は「奪う」ことが仕事だけれど。
「アリア」
いつも"アンタ"としか呼ばれない名前呼びに、アリアの瞳が僅かな驚きに見張られる。
「オレに、アンタを浚わせてくれ」
「……な、にを……」
「どこまででも逃げてやる」
戸惑いに揺れる瞳へと真剣な言の葉を告げて、ギルバートは頬に触れた指先を、その感触を確かめるようにそっと撫で下ろす。
「あの婚約者じゃなく、オレを選べ」
それは、一体、どんな意味か。
「……ZE、RO……」
妙に乾く唇でそれだけを紡げば、なぜかギルバートはくすりという嘲笑にも似た笑みを溢した。
「……"ギル"、って呼べよ」
「……え……?」
「……もう、オレをその愛称で呼ぶ人間はこの世にはいない」
哀しそうに見下ろされるその瞳に、アリアは小さく息を呑む。"ゲーム"の中で描写されていた、ギルバートの幼い日々のこと。
――『可愛いギル』
――『私の、可愛い可愛いギルバート』
――『ギル、大好きよ』
愛に溢れた家庭。
暖かな腕の中に抱き締めて、愛の言葉を惜しげもなく口にして。
いつまでもこんな幸せが続いていくのだと、明日を疑うことのなかった暖かな日々。
あの日に全て失った、幸せ溢れる遠い想い出。
ギル、と。
幸せそうに呼ばれていたその愛称。
「……アンタは全部知っていると言っていた。……オレの両親が殺されたことも?」
静かなその問いかけに、アリアの瞳が答えを迷うようにゆらりと揺れた。
それが、全てを物語る。
「……ずっと、敵を討つ為に生きてきた」
指先でその髪に触れ、頬に触れながらギルバートはぽつりと呟いた。
いっそ、あの時一緒に死んでしまいたかったという絶望の中、復讐心だけに縋って生きてきた。
復讐することに身を委ねていなければ、一秒だって正気を保っていられなかった。
けれど。
「……その為にアンタが囚われの身になるのなら、そんなことはもうどうでもいいと思った」
真摯なその言の葉に、少女の瞳が揺らめいた。
シャノンに怒鳴り付けられるまでもなくわかっていた。
この少女が独りであの場に残る意志を見せた時、胸に走った鋭い衝撃。
一体、なにをしているのかと。
後悔、してしまった。
自分は今まで、なんの為に復讐を誓っていたのか。
これでは、本末転倒だ。
自分は、また、失うのか。
大切なものを守れなければ、それはなんの意味もない。
全てを失ったあの日から。
幼い子供が求めていたのは、柔らかな温もりだ。
全てを知っていて。知っているからこそ。なにも言わずに傍にいて、ずっと自分を見守ってくれていた。
その瞳が時折哀しげに曇るのを。それでも慈愛に満ちた眼差しを向けてくれていることには気づいていた。
母親の愛にも似たそれは、自分がずっと欲しかったもの。
あの日求めて与えられず、諦めてしまったもの。
いつの間にか、傍にあった。
自分でも、気づかぬうちに。
「……この拘束具……」
アリアの腕に嵌められた金色のブレスレットに目を落とし、ギルバートは小さな呟きを洩らす。
それがアリアの魔力を奪う魔具だと、ギルバートも気づいたらしい。
「……アイツがいればなんとかなるんだけどな」
アイツ、という自嘲気味な物言いに、僅かな違和感を覚えたアリアは静かにギルバートの顔を見上げる。
「……アルカナ、は?」
アリアの拘束具を痛々しげにみつめながら触れてくる手は、なぜだかとても優しいもの。
おずおずとその顔色を窺ってきたアリアへと、ギルバートは悔しげに指先を震わせていた。
「……アンタを助けに行くといったら反対されて仲違いした」
むしろ、見捨てろと。
消してやる、というあの言葉は。
――この少女を殺す、と……。
まさか、と。冷たい汗が背中を流れた。
一体、なにを言っているのか。
あの後、アルカナは、気づけばギルバートの視界から姿を消していた。契約主である自分から離れ、今、何処にいるのだろう。
「……もしかしてアンタは……。オレの両親を殺した犯人も知っているのか……?」
浮かんだ疑念。
一度浮かび上がった疑いは、そう簡単に晴れてはくれない。
ざわつく胸の鼓動に、それを肯定して欲しいとも、否定して欲しいとも願ってしまう。
自分は、過ちを犯したのではないか。
そう――、始めから。
「……っ、し、知らないわ……っ」
焦ったように首を振った少女のその反応に、それ以上を言及する気にはなれなかった。
自分の疑念が例え正しくても間違っていても、変わらない事実は一つだけ残されている。
――あの化け物は、この少女を切り捨てようとした。
それだけは、間違いない。
「……そうか」
聞こえるか聞こえないかくらいの呟きを洩らし、ギルバートは再度アリアへと目を向ける。
こうして見ると、その身体はとても細く華奢だった。
こんな小さな肩に、今までどれだけの重荷を背負わせていたのだろうと思えば、思わず抱き寄せてしまいたくなった。
「……アリア」
この少女の正体は知られてしまった。
ならば、取れる行動は一つだけ。
「オレと一緒に逃げてくれ」
「……ぇ……」
一体なにを言われているのかと、少女の瞳が戸惑いに揺れる。
「何処まででも。世界の果てまででも逃げてみせるから」
元々、なにも持っていない。
全て、あの日に失った。
だから、今さら失うものなんてなにもない。
――この、少女以外は、なにも。
一度その温もりに気づいてしまえば、もう手離せない。
その髪に触れて抱き締めたいと、そう思ってしまう。
「……で、でも……。宝玉、は……」
「アンタが集めて欲しいと言うなら、この後時間がかかっても手に入れてやる」
ギルバートの言葉に応えるでもなく、なぜか宝玉の心配をする少女に、そういえばそうだったと思い起こす。
宝玉を集める手伝いをすると言ったこの少女は。純粋にギルバートの為、というわけではなく、なにかを隠し、なにか別の目的を持っている。
それがなにかはわからないが、ただ自分の欲望の為に動いていたということだけは有り得ない。
だからきっと。
――『……アイツは、なに一つ自分の為に動いてない……』
その言葉通り、その目的は誰かの為に。
なにかを救いたくて動いている。
「アンタの望みはそれだけか?」
「……ギ、ルバート……」
それだけであればなにも問題ないと穏やかな笑みを瞳に浮かべたギルバートへと、アリアは迷うような仕草を見せる。
ここで宝玉を揃えることを断念されることだけは避けなければならない。とはいえ、ギルバートがアルカナとの"契約"を無効にすることが不可能である以上、それは必ず成し遂げなければならないものではあるのだけれど。
「さっきのオレの望みは叶えてくれないかよ?」
「え……?」
くす、と洩らされた試すような笑いに、アリアはなんのことだろうと一瞬瞳を瞬かせる。
けれど、それがギルバートの愛称を呼ぶことだと理解すると、アリアは少しだけ躊躇うような様子を見せながらもゆっくりと口を開いていた。
「ギ、ギル……?」
全ての希望を放棄していたギルバートが「叶えて欲しい」と望むのならば、出来る限りはその気持ちに応えてあげたいと思う。
それが、こんなに簡単なことであるならばなおのこと。
ただ、その小さな望みを向ける相手がなぜ自分なのだろうという戸惑いは隠せない。
"ゲーム"の中でも、確かにシャノンがギルバートを「ギル」呼びする場面はあった。けれどそれはギルバートが自ら望んだわけではなく、ただ単純にシャノンが「ギルバート」と呼ぶのが長くて煩わしいと思った末に出てきただけのものだった。
それでもそう呼ばれた時、ギルバートは少しだけ驚くように目を見張った後、嬉しそうに笑ったのだけれど。
――そう、まさに今のギルバートみたいに。
「――っ」
とても穏やかな表情で嬉しそうな笑みを浮かべられ、アリアは大きく目を見張る。
そんな風に子供みたいな純真な笑顔を見せられて、どうしたらいいかわからない。
「アリア……」
けれど、戸惑いに揺れるアリアへと伸ばされた指先が金色の長い髪を掬い、掌が頬に触れてきたのに、アリアは反射的にその瞳をみつめ返してしまう。
そしてそのまま静かに顎を取られ、少しだけ上向かされる。
それが口づけの角度だと気づくには、少しだけ時間を要した。
ギルバートが腰を屈め、目を閉ざした綺麗な顔が眼前まで迫り、唇へと柔らかな感触が伝わった。
そうして生暖かな感触が唇を割ってこようとするのに、アリアはやっと事態を理解して慌ててその胸を押し返していた。
「ギ、ルバート……ッ!?」
一体自分の身になにが起こっているのかわからず混乱する。
キスをされたのだと、状況がそれを察しても頭が理解に追いつかない。
「……な、にを……」
混乱するアリアを静かに見下ろして、ギルバートはその華奢な身体へと、逃さないとでもいうかのように手を伸ばす。
「アンタが欲しい」
「……っ!」
ぐいっと身体を抱き寄せられ、真摯な瞳で覗き込まれながら告げられた言の葉に、アリアは大きく息を呑む。
この状況で告げられたその言葉の意味がわからないほど子供じゃない。
「ど、して……」
血流が身体を巡る音が妙に頭の奥で響く気がする。
あまりの困惑に支配され、ただギルバートの顔を見上げることだけしかできなかった。
「そんなの決まってるだろ?」
くすりと可笑しそうな笑みを溢し、ギルバートはなんてことはないような様子で口を開く。
「アンタのことが好きだからだ」
当初はキス直前で留めておいたのですが……。
「やっちゃって!」的なお声を頂いたので、やらかしてしまいました……。よ、よかった、デス、か……?(びくびく)修正するなら今のうち……。
次回はR15に収まらなくて困っています、第2弾です(笑)。……本当に困ってます……。……この展開大丈夫デスカ……(遠い目)。